合田平
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合田 平(ごうだ ひとし、1876年〈明治9年〉7月 - 1934年〈昭和9年〉10月24日 )は、大正・昭和期の医師(軍医)。大日本帝国陸軍軍医総監。
人物・経歴
[編集]新潟県中頸城郡高田町(現・上越市)出身。代々高田藩医を務める合田家六代当主、合田義宜の長男として1876年に生まれる。旧制新潟県立高田中学校、旧制第一高等学校、を経て、1902年3月東京帝国大学医科大学を卒業。陸軍二等軍医に任官する。[要出典]
東京衞戍病院勤務後に、東京帝国大学医学部大学院で学んだ。
近衛師団軍医部長、陸軍省医務局衛生課長、東京第一衞戍病院長を歴任した後、1925年に陸軍軍医監、1928年に陸軍軍医学校長、同年に陸軍省軍医局長、1931年に陸軍軍医総監となる[1][2]。
家系
[編集]合田家は代々、高田藩医の家系である。合田平は第七代当主(1911年家督相続)。菩提寺は上越市寺町にある天崇寺、孝巌寺である。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “医家合田家の歴史と蔵書”. 一般社団法人日本医学誌学会. 2027年7月24日閲覧。
- ^ “合田平 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年7月24日閲覧。