南谷村 (鳥取県)

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みなみだにそん
南谷村
廃止日 1953年4月1日
廃止理由 新設合併
矢送村南谷村山守村関金町
現在の自治体 倉吉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,430
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上小鴨村、矢送村、山守村、北谷村
南谷村役場
所在地 鳥取県東伯郡南谷村
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南谷村(みなみだにそん[1] / なんこくそん(通称)[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の倉吉市の一部にあたる。

地理[編集]

小鴨川の中流左岸の沖積平野と天神野台地に位置していた[2]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡安歩村、大鳥居村、松河原村、泰久寺村が合併して村制施行し、南谷村が発足[1][2]。旧村名を継承した安歩、大鳥居、松河原、泰久寺の4大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1924年(大正13年)電気点灯[2]
  • 1953年(昭和28年)4月1日、東伯郡矢送村、山守村と合併し、町制施行し関金町を新設して廃止された[1][2]。合併後、関金町大字安歩・大鳥居・松河原・泰久寺となる[2]

耕地整理事業[編集]

1907年(明治40年)大字泰久寺の山根愛吉ほか有志11名が天神野原野30町歩の開墾を出願し、1913年(大正2年)に実地調査を行い、郡役所の後押しもあり6か村(小鴨村、上小鴨村、山守村、北谷村、社村)にも広がり、天神野原野450町歩の開墾計画が纏められ、1916年(大正5年)天神野耕地整理組合を設立[2]。同年9月の長尾溜池新設工事(1918年完成[3])、1917年(大正6年)泰久寺地区から開田工事に着手した[2]。なお、1908年(明治41年)谷村演習場厩舎を建設[4]。1910年(明治43年)天神野地域内に陸軍演習場「谷村演習場」が設けられていて、条件付きで陸軍省用地162町歩を耕地整理地区に組み入れていた[2]。1925年(大正14年)に演習場は廃止となり、跡地は移住農家により1939年(昭和14年)頃までに水田化された[2][4]。厩舎跡には農村指導者の養成を目的に1929年(昭和4年)山陰国民高等学校が開校し、1934年(昭和9年)県立修練農場、1950年(昭和25年)県立経営伝習農場を経て1967年(昭和42年)県立農業経営大学校となる[2][4]。(現鳥取県立農業大学校

産業[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

乗合バス[編集]

  • 1935年(昭和10年)鳥取県道・岡山県道倉吉江府線(鳥取県道・岡山県道7号江府中和用瀬線 → 国道482号の前身)倉吉 – 堀間のバス路線開設[2]

橋梁[編集]

  • 1937年(昭和12年)南谷橋が鉄筋橋となる[2]

教育[編集]

  • 1887年(明治20年)関金小学校、南谷小学校が合併し松河原尋常小学校開校[3]。1892年(明治25年)南谷尋常小学校に改称[3]。1919年(大正8年)南谷尋常高等小学校に改称[3]。1941年(昭和16年)南谷国民学校を経て1947年(昭和22年)南谷小学校に改称し、1958年(昭和33年)に閉校[3]。(参照:倉吉市立関金小学校

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』763頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』746頁。
  3. ^ a b c d e 「松河原〈関金町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』716頁。
  4. ^ a b c 「大鳥居〈関金町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』179頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]