南子
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南子 | |
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衛の公爵夫人 | |
南子の像(北魏) | |
配偶者 | 霊公 |
氏族 | 子姓宋氏 |
出身諸侯国 | 宋 |
南子(なんし、生年不詳 - 紀元前480年)は、春秋時代の衛の霊公の夫人。
概要
[編集]宋に生まれ[1]、衛の霊公に嫁いだ。『論語』に「子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之」(孔子が南子に謁見した。子路はこれを嫌がり不快に思ったが、孔子は「私にやましい所があれば、天これを厭うだろう、天これを厭うだろう」と誓っていった)と記載されている[2]。南子は衛において奔放に行動した結果、姦婦・淫乱[3]とされた[4][5]。宋の公子朝と不倫していたとされ、世間的に大変評判が悪かった。ただ夫の霊公の寵愛はゆるがなかった。紀元前496年、太子の蒯聵が南子を殺そうとして発覚し、蒯聵が国外追放になった[6]。紀元前493年、霊公が死去すると、南子は公子郢を擁立しようとした。公子郢が承知しなかったため、蒯聵の子の輒が衛の君主として即位した。これが出公である[7]。紀元前480年、蒯聵が祖国に戻り、衛の君主として立つと、南子を殺害した[8]。歴史的事実ではないが、いくつかの映像作品などでは、南子が孔子に恋愛感情を抱いていたと解釈して、礼儀を重んじる堅物孔子を誘惑する女性として描かれている。
作品
[編集]小説
[編集]映像作品
[編集]- 映画
- テレビドラマ
脚注
[編集]- ^ 『史記集解』衛康叔世家所引賈逵
- ^ 『論語』雍也第六
- ^ 日本近現代文学に内在する他者としての「中国」国立台湾大学出版中心 淑文主編
- ^ 新釈漢文大系 68 論衡上山田勝美 明治書院 1976
- ^ a b c 崔海燕「二人の南子 : 谷崎潤一郎「麒麟」と林語堂「子見南子」」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 : 別冊』第17巻第1号、早稲田大学大学院教育学研究科、2009年9月、331-341頁、CRID 1050001202488435072、hdl:2065/30037、ISSN 1340-2218。
- ^ 『史記』衛康叔世家および『春秋左氏伝』定公14年
- ^ 『史記』仲尼弟子列伝および『春秋左氏伝』哀公2年
- ^ 『列女伝』孽嬖伝「衛二乱女」