北条庄三郎
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北条 庄三郎(ほうじょう しょうさぶろう、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての人物。後北条氏の一族。北条氏邦の四男。祖父は北条氏康。少三郎とも表記される[1]。
生涯
[編集]北条氏邦の四男[1]。三男の光福丸が天正15年(1587年)生まれなので、少なくともそれ以降の生まれとなる[1]。
最初は京都紫野大徳寺で喝食となっていた(『 利家夜話』『京大坂之御道者之賦日記』)。慶長2年(1597年)に父・氏邦が死去すると、氏邦を預かっていた前田利家は庄三郎を召し出して元服させ、氏邦の家督と遺領1000石を相続させた。通称も采女と改めさせ、甥の前田慶次郎(前田利太)の娘を妻に迎えさせた(『温故集録』)。
元和年間から寛永年間にかけての頃に死去し、家督は子の主殿介が継承した[1]。