劉義宗
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劉 義宗(りゅう ぎそう、? - 444年)は、南朝宋の皇族。新渝恵侯。字は伯奴。劉裕の甥にあたる。
経歴
[編集]劉道憐の子として生まれた。新渝県男の爵位を受けた。永初元年(420年)、爵位は侯に進んだ。黄門侍郎・太子左衛率を歴任した。元嘉8年(431年)、門生の杜徳霊が人を殴打した事件があり、劉義宗はこれを隠蔽した罪に問われて免官された。後に侍中・太子詹事となった。元嘉21年(444年)正月、散騎常侍・征虜将軍・南兗州刺史に任じられた。同年さらに死去した。散騎常侍・平北将軍の位を追贈された。諡は恵侯といった。
子女
[編集]- 劉玠(? - 453年、新渝懐侯、琅邪郡太守・秦郡太守、劉劭に殺害された)
- 劉秉
- 劉謨
- 劉遐(? - 477年、字は彦道、奉朝請・員外散騎侍郎、嫡母の殷氏の養女の雲敷と私通し、これに反対した殷氏を毒殺した疑いで始安郡に流された、明帝のときに黄門侍郎・都官尚書・呉郡太守を歴任した、謀反の罪で斉王蕭道成に殺害された)