コンテンツにスキップ

前田長禧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前田 長禧(まえだ ながとみ、明和2年(1765年) - 文化2年7月8日1805年8月2日))は、江戸時代高家旗本前田長敦の長男。通称は永次郎、靭負。官位は従五位下侍従・信濃守。

安永元年(1772年)12月15日、将軍徳川家治御目見する。安永5年(1776年)6月5日、父長敦の死去により家督を相続する。表高家に列する。安永7年(1778年)6月、遠江国内の領地を武蔵国多摩郡内に移される。安永9年(1780年)6月17日、高家職に就き、従五位下侍従・伊豆守に叙任する。後に信濃守に改める。文化2年(1805年)7月8日死去、41歳。

正妻は遠山伊氏の娘。長男長英ら2男1女あり。

先代
前田長敦
高家前田家(高辻家流)
第3代当主
1776年 - 1805年
次代
前田長英