五坊寂静院
五坊寂静院 | |
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所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山684 |
位置 | 北緯34度12分59.9秒 東経135度34分53.1秒 / 北緯34.216639度 東経135.581417度座標: 北緯34度12分59.9秒 東経135度34分53.1秒 / 北緯34.216639度 東経135.581417度 |
山号 | 高野山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝・1198年(建久9年) |
開山 | 伝・明寂上人 |
開基 | 伝・八条女院 |
文化財 | 阿弥陀如来及両脇侍立像(重文)ほか |
法人番号 | 7170005004849 |
五坊寂静院(ごぼうじゃくじょういん)は、和歌山県伊都郡高野町にある、高野山真言宗の寺院。高野山(金剛峯寺)の子院の一つで、高野十谷のうちの一心院谷に位置する。
概要[編集]
寺伝によると「妙法蓮華経」に因む、妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、これらを一心院としたのが明寂上人であるという[1]。その後、行勝上人が相伝し、貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇・後柏原天皇などの歴代天皇より綸旨を賜り、勅願寺となった。平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、相当な有力寺院であった。
歴史[編集]
- 1198年(建久9年)八条女院は、不動堂・八大童子像・不動明王像を寄進する。
- 1223年(貞応2年)貞暁上人は、伽藍を再建し、五坊寂静院と改称する。
- 1248年(宝治2年)日蓮が遊学する。
- 1908年(明治41年)不動堂・八大童子像・不動明王像を金剛峯寺へ移設する。
- 1940年(昭和15年)火災により、本堂が焼失する。
- 1967年(昭和42年)中宮寺旧本堂を五坊寂静院へ移築する。
文化財[編集]
重要文化財(国指定)[編集]
- 木造阿弥陀如来及両脇侍立像
- 絹本著色不動明王三童子像