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九鬼隆貞

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九鬼隆貞
時代 江戸時代中期
生誕 享保14年(1729年
死没 安永9年12月12日1781年1月6日
戒名 雲外隆松高峯院
官位 従五位下式部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
丹波綾部藩
氏族 九鬼氏
父母 九鬼隆寛
兄弟 隆恭隆由隆邑隆貞隆許
永井直行正室、諏訪頼寿室、花房職雍継室
間部詮方長女仲織田信右小笠原長庸
隆郷九鬼隆棋正室、斉藤三英正室、蕗ら
隆晁隆棋
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九鬼 隆貞(くき たかさだ)は、江戸時代中期の大名丹波国綾部藩5代藩主。官位従五位下式部少輔

略歴

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4代藩主・九鬼隆寛の四男として誕生

長兄で嫡子だった隆恭が廃嫡されたため、宝暦2年(1752年)に世子となる。明和3年(1766年)、父の隠居により跡を継ぐ。安永9年(1780年)12月12日に死去した。享年52。

死去の際、隆貞には実子として三男隆郷がいたが、この実子は父が死んだ年に生まれたばかりだったため、跡を田沼意次の七男で婿養子の隆棋が継いだ。法号は雲外隆松高峯院。

系譜

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