久保九兵衛
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久保 九兵衛(九兵衞、くぼ くへえ、1852年4月22日(嘉永5年3月4日[1][2])- 1937年(昭和12年)1月23日[1][3][4])は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・栄三郎[1]。
経歴
[編集]越前国丹生郡風巻村[1](福井県[3]丹生郡風巻村、天津村[4]、清水町風巻[5]を経て現福井市風巻町)で、斎藤[2](斉藤[1])清兵衛の三男として生まれ[1][2]、1854年4月15日(安政元年3月18日)同郡三留村(三方村、清水町三留を経て現:福井市三留町)の大地主、庄屋、酒造業・先代久保九兵衛の養嗣子となり[1][2]、1880年(明治13年)10月1日、家督を相続し九兵衛を襲名した[1][2]。本保村(のち吉野村本保、現越前市)のたつみ(河野家屋号)塾などで漢学を修めた[1]。
1884年(明治17年)9月、三留村外九カ村官選戸長に就任し、1887年(明治20年)12月まで在任[1][3][4]。1882年(明治15年)6月、福井県会議員に選出され、1894年(明治27年)9月、衆議院議員に当選のため退職するまで、通算5期在任した[1][3][4]。また、1891年(明治24年)丹生郡会議員に当選し1894年9月まで務めた[1]。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(福井県第3区)に永田定右衛門を参謀にして挑戦したため、自由党から除名され立憲革新党に転じて当選し[1][6]、その後、実業同志倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[3][4]。
福井県会選挙歴
[編集]- 1期:1882年6月当選 – 1884年9月辞任[7]
- 2期:1887年12月当選 – 1988年12月県会解散[8]
- 3期:1889年1月当選 – 1890年3月半数改選抽選退職[8]
- 4期:1890年9月補欠当選 – 1891年7月府県制施行退職[8]
- 5期:1893年8月当選 – 1894年9月衆議当選退職[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。