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中高記念館

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中高記念館
中高記念館の位置(愛知県内)
中高記念館
情報
旧用途 学校
設計者 不詳[1]
構造形式 木造、桟瓦葺[2]
階数 2階建[2]
竣工 1880年
所在地 492-8137
愛知県稲沢市国府宮2丁目7-17
座標 北緯35度15分11.7秒 東経136度48分17.8秒 / 北緯35.253250度 東経136.804944度 / 35.253250; 136.804944 (中高記念館)座標: 北緯35度15分11.7秒 東経136度48分17.8秒 / 北緯35.253250度 東経136.804944度 / 35.253250; 136.804944 (中高記念館)
文化財 稲沢市指定文化財
指定・登録等日 1975年4月1日
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中高記念館(ちゅうこうきねんかん)は、愛知県稲沢市国府宮2丁目7-17にある建築物

「中高」とは中島郡高等小学校を意味し、中島郡高等小学校の正面玄関に相当する建物である[3]。明治中期の学校建築の遺構として貴重な建築物とされ[4]、稲沢市に現存する近代洋風建築としては最も古い建築物とされる[5][1]

歴史[編集]

禅源寺時代(1880年~1912年)[編集]

中高記念館は、1880年(明治13年)10月17日に中島郡稲葉村禅源寺(現・稲沢市稲葉1丁目)に建築された[6]。1887年(明治20年)に開校された中島郡高等小学校の正面玄関にあたる校舎で、数回移建されたこともあって元来の姿は不明だが、創立以来学校の中枢建物として利用されてきた建物である[7]

著名な卒業生としては1891年(明治24年)3月卒業の大角岑生海軍大将海軍大臣)などがおり、大角の同級生には第7代山田市三郎稲沢銀行頭取)がいた[8]。中島郡高等小学校には寄宿舎も設けられており、後に社会的な成功を遂げる人物を多数輩出している[9]

1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊。その後、元のままで再建された[10]

1892年(明治25年)、学制改革によって名称を中島郡高等小学校から稲沢高等小学校と改称[11]

高御堂時代(1912年~1940年)[編集]

1912年(明治45年)1月、稲沢町大字高御堂に移転し、稲沢町役場に利用されたが、2階の一室は、稲沢高等小学校の裁縫室に使用していた[12]

1929年(昭和4年)、稲沢町役場が新設されると同時に、再び稲沢高等小学校が引き継いだ[13]

稲沢中学校時代(1940年~1960年)[編集]

稲沢町農会や宮田用水が使用していたが、創立50周年祝典のおり、建物が腐朽していくのをおそれた関係者が中高記念保存会を組織し、第3回の卒業生である元海軍大将、海軍大臣を務めた大角岑生を総裁に推して、現在の稲沢中学校の敷地内への移転と保存事業を計画[14]

1939年(昭和14年)5月地鎮祭を執行し、中高館と名前を改めて工事を進め、翌1940年(昭和15年)10月に竣工するに至り、一時宿直室などに使用されていた[15]

1957年(昭和32年)7月から愛知県の中島地方駐在員室となった[16]

国府宮2丁目時代(1960年~現在)[編集]

1960年(昭和35年)11月に現時点に移建し、教育委員会が使用していたが、稲沢市役所新庁舎が出来ると同時に、教育委員会が移転したため、福田悪水土地改良区、稲沢市役所北出張所などが入っていた[17]

1976年(昭和51年)2月から3月と、1977年(昭和52年)10月から1978年(昭和53年)3月までの2期に分けて保存修理を実施し、1978年(昭和53年)6月をめどに、郷土資料館として、一般に開放されている[18]。1978年(昭和53年)6月24日から7月1日にかけて、郷土資料館の開館記念展が開催された[3]。1階の第1展示室には中島郡高等小学校の卒業証や教科書などが、第2展示室には稲沢市域で出土した土器や須恵器などが、2階の第3展示室には提灯や蠅取りなどの生活用具が展示された[3]

文化財としての活用[編集]

中高記念館は明治中頃の学校建築の遺構として由緒ある貴重な建造物であり、1975年(昭和50年)4月1日に稲沢指定第30号として、稲沢市有形文化財の指定を受ける[19]

明治期の風格と郷土史に触れる機会を設けるために、稲沢まつりにおける文化財展(特別展)の会場として、年一回程度一般公開されている[20]。2012年(平成24年)10月18日から21日まで、中高記念館で尾張国分寺跡などの出土物を展示する文化財展が催された[21]

2022年(令和4年)10月の特別公開時には少年時代を稲沢市で過ごした漫画家の佐藤まさあきの特別展が開催された[22]

建築[編集]

外観[編集]

桁行六間半(11.08メートル)、梁間六間(11.84メートル)の総二階建て寄棟造の建物で、屋根は桟瓦葺である[23][24]。 正面中央に玄関車寄がついており、一階は吹き抜け、二階手摺で周囲を巡らせている[25]。 各階の窓台の下には下見板が張られ、ペンキ塗りされている。二階の鴨居より上は漆喰塗仕上げとなっている[26]

内部[編集]

一階・二階ともに、床組は大引を梁行方向で柱に枘差し、厚板張り[27]。 一階には、中央に廊下が設けられている[28]。吹き抜きの玄関車寄から入ったところは土間である[29]。廊下の左右は表側に室をつくり、裏側は左側に室、右側に階段と廊下を配する廊下のつき当りは引違いの戸口となる[30]。二階は廊下をはさんで二室を配し、玄関車寄の上階へは両袖壁の間に開かれる両開戸がある[31]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「あいち遺産 中高記念館(稲沢市)市内最古の洋風建築」『中日新聞』中日新聞社、2013年11月30日。
  2. ^ a b 市指定文化財 中高記念館 稲沢市
  3. ^ a b c 愛甲昇寛「稲沢市における文化財保護事業」『地域社会』地域社会研究会、1979年3月、pp.12-13
  4. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、pp.1-2
  5. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.45
  6. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  7. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  8. ^ 大角大将伝記刊行会『男爵大角岑生伝』海軍有終会、1943年、pp.68-69
  9. ^ 『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 稲沢』国書刊行会、1983年、p.23
  10. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  11. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  12. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  13. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  14. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  15. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  16. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  17. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  18. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  19. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、1頁
  20. ^ 「稲沢の『中高記念館』公開」中日新聞、2012年10月19日
  21. ^ 「明治期の風格 郷土史触れて 稲沢の『中高記念館』公開」『中日新聞』中日新聞社、2012年10月19日。
  22. ^ 「稲沢ゆかり劇画家の魅力紹介 『中高記念館』の一般公開開始で特別展」『中日新聞』中日新聞社、2022年10月15日。
  23. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、p.2
  24. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.236
  25. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、p.2
  26. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、p.2
  27. ^ 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年、p.2
  28. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.235-238
  29. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.235-238
  30. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.235-238
  31. ^ 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年、p.235-238

参考文献[編集]

  • 『愛知県の近代化遺産 愛知県近代化遺産 (建造物等) 総合調査報告書』愛知県教育委員会、2005年
  • 『稲沢市指定有形文化財中高記念館修理工事報告書』稲沢市教育委員会、1978年
  • 『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』新修稲沢市史編纂会事務局、1978年

外部リンク[編集]