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中川直亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中川直亮(なかがわ ちょくりょう、1880年11月27日 - 1958年12月23日)は、日本の教育者。

来歴

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1880年明治13年)11月27日石川県石川郡安原村にて、中川弥三郎の長男として生まれる。1906年広島高等師範学校を卒業。その後広島高等師範学校、福岡県師範学校で教職を務め、1917年には福岡県立京都高等女学校の校長に就任。1920年には横浜市視学、1922年には横浜市教育課長に就任した。1923年関東大震災後は、横浜市震災記念館開設を発案、計画立案を行うとともに、小学校復興に際し避難用スロープを導入した鉄筋コンクリート造の校舎建設を進めた。1929年には横浜商業専修学校横浜女子専修学校の校長に就任。勤労青年への補習教育に力を注いだ。戦後は、横浜地方裁判所横浜家庭裁判所の調停委員・司法委員、横浜調停協会理事などを歴任した。 1958年昭和33年)12月23日交通事故により死去。享年79。

参考文献

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  • 横浜郷土研究会 編『横浜に震災記念館があった』横浜郷土研究会〈よこれき双書14〉、1995年3月30日。