中之保村
表示
なかのほむら 中之保村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
合併 中之保村、富之保村、下之保村 → 武儀村 |
現在の自治体 | 関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 武儀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 17.52 km2. |
総人口 |
1,832人 (1955年) |
中之保村役場 | |
所在地 | 岐阜県武儀郡中之保村間吹4508-1 |
座標 | 北緯35度34分25秒 東経137度01分39秒 / 北緯35.5736度 東経137.0275度座標: 北緯35度34分25秒 東経137度01分39秒 / 北緯35.5736度 東経137.0275度 |
ウィキプロジェクト |
中之保村(なかのほむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあった村である。
合併で武儀村(1971年に町制施行し、武儀町)となり、現在は関市の一部である。
津保川およびその支流(中之保川)沿いの谷間の村であった。
歴史
[編集]- 江戸時代初期、この地域は上有知藩領であったが、慶長16年(1611年)に天領となり、元和元年(1615年)より尾張藩領となる。
- 明治時代初期[1]、比根村、拭井村、多々羅村、間吹村、若栗村、梁瀬村が合併し、中之保村となる。
- 1884年(明治17年) - 中之保村と下之保村とで戸長を設置し、戸長役場は下之保村に開設する。
- 1889年(明治22年) - 戸長役場を廃止。中之保村と下之保村は単独に村として成立。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 中之保村、富之保村、下之保村が合併し武儀村となる。
教育
[編集]- 中之保村立中之保小学校 (2003年に富之保小学校と統合し、武儀東小学校(2021年に統合により関市立武儀小学校))
- 中之保村立中之保中学校 (1968年に下之保中学校、富之保中学校と統合し、武儀中学校。2016年に統合により関市立津保川中学校)
脚注
[編集]- ^ 武儀町史(1992年発行)によると、現存する資料で中之保村の戸長が判明しているのは1880年以降である。このことから遅くても1879年以前には中之保村が成立していたと推測される。