世継寂窓

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世継 寂窓(よつぎ じゃくそう、生年不明 - 1843年天保14年〉11月17日)は、日本の江戸時代後期の画家。京都の豪商

画を僧月僊に学び、後に、の画風を習得した。松かさを好んでえがいた。和歌連歌茶道にもすぐれ、茶器をつくった。天保14年死去。名は真員、は伯周、通称は八郎兵衛、屋号は岐阜屋、に寂窓・希仙[1][2]

略歴[編集]

京都の人[2]。三条高倉西において糸商を営み富を得た[2]。頗る風雅の嗜み深く、画を月仙(或は岸駒ともいう)に学び、後に、の古名蹟を探って自ら一家の風を立てたが、更に連歌及び茶技をよくし、上田秋成村瀬栲亭與謝蕉村円山應擧松村呉春等と往来して風雅の交わりを深くした[2]。その画と共に手作り茶碗も巧みな作品を残している[2]

天保14年11月17日没、享年未詳[2]大雲院に葬る。大雲院過去帳に寛誉希僊寂窓禅定門岐阜屋八良兵衛と記されている[2]

脚注[編集]

  1. ^ 世継寂窓 コトバンク 2023年6月閲覧
  2. ^ a b c d e f g 世継寂窓 国際日本文化研究センター 2023年6月閲覧

外部リンク[編集]

  • 内田誠一「世継寂窓と王維の「輞川図」」『安田女子大学紀要』第42号、安田女子大学、2014年2月、267-272頁、CRID 1390009225203214848doi:10.24613/00000325ISSN 02896494