三姓神話

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三姓神話(さんせいしんわ)について記述する。済州島には、朝鮮半島檀君神話とは異なる耽羅民族の独自の神話があり、『瀛州誌』、『高麗史』地理志、『世宗実録』、『南槎録』、『耽羅志』に次のような内容で表されている[1][2]。なお、東国の碧浪国(へきろうこく)のことを『高麗史』地理志、『南槎録』、『耽羅志』は日本国として、日本から来た娘としている[3]

内容[編集]

『高麗史』57卷-志11-地理2-033[編集]

初無人、三神人從地聳出其主山北麓有穴曰毛興、是其地也。長曰良乙那、次曰高乙那、三曰夫乙那、三人遊獵荒僻、皮衣肉食。一日、見紫泥封蔵木函、浮至東海濱、就而開之、函內又有石函。有一紅帶紫衣使者、隨來開函、有靑衣處女三人及諸駒犢五穀種、乃曰:「我是日本國使也、吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國而無配匹、於是命臣侍三女而來、宜作配以成大業。」使者忽乘雲而去、三人以年次分娶之。就泉甘土肥處射矢卜地、良乙那所居曰第一都、高乙那所居曰第二都、夫乙那所居曰第三都、始播五穀且牧駒犢、日就富庶。十五代孫高厚、高淸、高季昆弟三人、造船渡海、泊于耽津、蓋新羅盛時也。于時客星見南方、太史奏曰:「異國人來朝之象也。」及厚等至、王嘉之、稱厚曰星主、以其動星象也。令淸出袴下、愛如己子、稱曰王子。又稱其季曰都內。邑號曰耽羅、以初來泊耽津而朝新羅也。各賜寶蓋・衣帶而遣之、自此子孫蕃盛、敬事新羅。以高爲星主、良爲王子、夫爲徒上。其後服事百濟、除星主・王子之號、以其爲佐平使者、爲恩率。及羅濟亡、耽羅國主見太子未老、朝高麗太祖、因賜星主・王子爵瑞山。

訳文[編集]

瀛州と呼ばれ、未だ人の住まない太古の済州に、良乙那、高乙那、夫乙那の3つの姓のある三人の神人が、漢拏山の北山麓の地の、三姓穴に現れ、これが済州人の先祖である。ある日、漢拏山を展望していた彼らは、北の海の方から流れてくる木の箱を発見した。開けてみると、箱の中には東国の碧浪国(日本)から来たという使者と美しい三人の姫、家畜や五穀の種が入っていた。三人の神人は、彼女達を妻として迎え、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくった。

脚注[編集]

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  1. ^ 浦野起央『朝鮮の領土:【分析・資料・文献】』三和書籍、2016年9月。ISBN 978-4862512024p332
  2. ^ 拳骨拓史『韓国人に不都合な半島の歴史』PHP研究所、2012年10月。ISBN 978-4569808000
  3. ^ 鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族 神話解読と現地踏査』中央公論社中公新書1085〉、1992年7月。ISBN 978-4121010858p70

関連項目[編集]