ヴラジミール・クレメンティス
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ヴラジミール・クレメンティス(Vladimír "Vlado" Clementis、1902年9月20日-1952年12月3日)は、スロバキア出身の政治家、チェコスロバキア外務大臣(1948-1950)。
来歴・人物
[編集]スロバキア中部の都市ティソヴェツ生まれ。カレル大学在学中から社会主義運動に関わり 、1924年にチェコスロバキア共産党に入党。卒業後の1931年に弁護士資格を得てブラチスラヴァで弁護士事務所を開業し、1935年に下院議員に当選した。
1939年3月にポーランドからソ連を経由してパリに移住。更にアメリカへ渡って在米スロバキア人相手の活動に従事する予定だったが、独ソ不可侵条約の締結を批判したことで共産党から除名。そのままロンドンのチェコスロバキア亡命政府でスポークスマンとなった。
第二次世界大戦終結後にチェコスロバキアに戻ると共産党に復党、チェコスロバキア外務次官として国連憲章の調印式にチェコスロバキア政府代表として参加した。1948年2月の政変を経てヤン・マサリク外相が怪死すると後任の外務大臣に就任、スロバキアからのハンガリー系住民の追放を指揮しアヴィア S-199の供与などイスラエルへの武器支援を行う。1950年に外相から党中央委員に選出されるが、1951年1月にブルジョワ民族主義、トロツキー主義、シオニストからなる国家転覆に関わった罪で逮捕、党書記長だったルドルフ・スラーンスキーらとともに死刑判決を受け、1952年12月3日処刑された。
その後のスターリン批判の中で1963年に名誉回復、1968年4月30日にチェコスロバキア社会主義共和国英雄の称号を授与された。
関連項目
[編集]- スラーンスキー事件(Slánský trial)
- チェコの歴史
- チェコスロバキア共産党
- クレメント・ゴットワルト - スラーンスキー事件の首謀者。
- スターリニズム
- 極左
- 全体主義
- 大粛清
- 冤罪
- 告白 (1970年の映画) - スラーンスキー事件を描いた映画。