レバン・コビアシビリ
表示
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
| 名前 | ||||||
| 愛称 | コビ | |||||
| ラテン文字 | Levan Kobiashvili | |||||
| ジョージア語 | ლევან კობიაშვილი | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1977年7月10日(48歳) | |||||
| 出身地 |
| |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 体重 | 78kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | 引退 | |||||
| ポジション | MF、DF | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1996–2014 |
| 100 (12) | ||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
レバン・コビアシビリ(ლევან კობიაშვილი、1977年7月10日 - )は、ジョージア・トビリシ出身の元サッカー選手。ジョージア代表でもあった。現役時代のポジションはMF(左サイドハーフ)、DF。
経歴
[編集]クラブ
[編集]ジョージアの数々のクラブを渡り歩き、1998年にSCフライブルクへレンタル移籍。後に完全移籍を果たし、2000-01シーズンはフライブルクは6位と大躍進を遂げ、主力の一人として活躍した。2003-04シーズンにシャルケ04へ移籍し、一時代を築き上げた。
2009年12月20日、ヘルタ・ベルリンへ移籍し、副将として若手主体のチームを牽引してきた。しかし、2012年5月15日に行われた2部3位のフォルトゥナ・デュッセルドルフと対戦した際、審判に暴行を行い、2013年5月16日までの1年間、練習試合を含むすべての試合の出場停止処分が課された[1]。しかし最終的には2012年12月31日までの約7ヶ月半の出場停止(ブンデスリーガ史上最長の出場停止期間)の処分確定となる[2]。ただし、審判への暴力についてはコビアシビリ本人ははっきり認めておらず、真偽については不明のままである。処分決定後、所属のヘルタ・ベルリンとも契約更新を行う。2014年のシーズン終了をもって現役引退。
代表
[編集]2011年10月12日、ギリシャ戦において、ジョージア代表としては初めての100試合出場を達成。これは2011年12月現在、ジョージアにおける最多出場記録となっている。
所属クラブ
[編集]
FCオリンピ・ルスタヴィ 1993-1994
FCディナモ・トビリシ 1995-1998
- →
FCアラニア・ウラジカフカス 1997 (loan)
脚注
[編集]- ↑ ヘルタ、コビアシビリに1年間の出場停止処分goal.com 2012年6月2日閲覧
- ↑ http://www.goal.com/de/news/827/bundesliga/2012/06/04/3148080/levan-kobiashvili-siebeneinhalb-monate-sperre
- ↑ “Kobiashvili takes GFF helm”. UEFA.com (2015年10月5日). 2016年1月13日閲覧。
- ↑ “元細貝同僚DF、引退からわずか1年で母国サッカー協会会長に就任”. フットボールチャンネル. (2015年10月5日) 2016年1月13日閲覧。
