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ルイ・ルロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイ・ルロワ
Louis Leroy


fr
誕生日 1812年7月11日
出生地 フランスの旗 フランス帝国 パリ
死没年 (1885-07-30) 1885年7月30日(73歳没)
死没地 フランスの旗 フランス共和国 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
流派 アカデミズム絵画
芸術分野 版画絵画戯曲、美術批評
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ルイ・ルロワLouis Leroy, 1812年7月11日- 1885年7月30日)は、フランスの版画家、画家、劇作家。今日では、印象派の登場初期に「印象派」という名前を新聞紙上で使って風刺したことで知られている。

サロン・ド・パリに何度も入選し、1838年には版画部門でメダルを受賞した実力のある画家であった[1]

印象派の展覧会評

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1874年4月15日から5月15日まで、パリ・キャピュシーヌ大通りにある写真家ナダールのスタジオで、クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワールカミーユ・ピサロエドガー・ドガなど30人のメンバーで構成される「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社による「第1回展覧会」が開催された。

ルイ・ルロワは、展覧会初日から10日たった4月25日、風刺新聞『ル・シャリヴァリ英語版』に、「印象派の展覧会」と題する記事を発表した[2]

その内容は、グループ展を見たアカデミズム絵画の画家ジョゼフ・ヴァンサンが、憤慨の余り正気を失うという滑稽なルポルタージュであった[2][3]。その前半では、ヴァンサンは、グループ展の画家たちの作品の完成度が低いことを批判し、ジャン=バティスト・カミーユ・コローの影響だと嘆いている。ところが、後半では、ヴァンサンは錯乱の余り「印象派画家(アプレッショニスト)」の立場に同化し、その手軽な描き方を賞賛し、師ベルタンやアカデミズムの巨匠を罵るに至っている[4]

この展覧会評は、画家たちのグループを「印象派」という言葉で呼ぶことが定着するのに大きな役割を果たした。「印象派」という言葉は、モネの「印象・日の出」という作品名に由来すると言われることがあるが、ルロワの記事では、必ずしもこの作品名に由来して「印象派」と名付けている形跡はない[5]。また、ルロワ以前の展覧会評でも、印象という言葉をキーワードとして使っている例があり、ルロワが初めて使ったとはいえない[6]

脚注

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参考文献

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  • 島田紀夫『印象派の挑戦――モネ、ルノワール、ドガたちの友情と闘い』小学館、2009年。ISBN 978-4-09-682021-6 
  • 吉川節子『印象派の誕生――マネとモネ』中央公論新社〈中公新書〉、2010年。ISBN 978-4-12-102052-9