ルイ・ブライユ

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Louis Braille
Braille.jpg
生誕 (1809-01-04) 1809年1月4日
Flag of France (1794–1958).svg フランス帝国 クヴレ
死没 1852年1月6日(1852-01-06)(43歳)
フランスの旗 フランス共和国 パリ
墓地 パンテオン
北緯48度50分46秒 東経2度20分45秒 / 北緯48.84611度 東経2.34583度 / 48.84611; 2.34583
国籍 フランスの旗 フランス
"ルイ・ブライユ"のブライユ式点字表記
A stone bust of Braille with an audiotronic memorial plaque
Braille's memorial in the Panthéon

ルイ・ブライユLouis Braille, 1809年1月4日 - 1852年1月6日)は、フランスアルファベット点字開発者。

ブライユは、パリの東方60 kmにあるイル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県にある人口2700人ほどの小さな村クヴレで生まれた。ブライユの父親のシモンは馬具革靴などを製作するすぐれた腕前の職人で、自宅の一階に工房を持っていた。しかしブライユが3歳の時、その工房で遊んでいるうちに父親が使っていたで誤って眼球を突き破ってしまい左目を失明した。ブライユはその後、感染症により5歳で全盲となった。

ブライユは1819年ヴァランタン・アユイフランス語版が設立したパリ王立盲学校に入学する。1821年、フランス軍の軍人シャルル・バルビエフランス語版が考案した、夜間に命令が出たときに用いるソノグラフィフランス語版と呼ばれる12点(横2×縦6)式の暗号を知り、アルファベットを表すためには6点あれば十分で、その方が遙かに読みやすいことからこれを改良して1824年頃までに横2×縦3の現在の6点式の点字を発明した。それ以前、視覚障害者のための印刷は、図画盤というざらざらした板に紙を乗せ、先のとがった物で左右が逆の文字を書いていたが、この方式は視覚障害者自身が上手に書くことは非常に難しかった。その後、楽譜数式の書き方も定め、これが世界中で使われる点字となった。ブライユはパリ盲学校を卒業し、同校の教官になった。

晩年のブライユは盲学校教師として教鞭を取り、また教会のパイプオルガンを演奏するなどして活躍した。その傍らか晴眼者・視覚障害者両用の点文字の開発に勤しんだ。この点文字は、はじめブライユが点字器で試みたものをブライユの友人の盲人でもあるピエール・フランソワ・ヴィクトル・フーコーが独特の機械を開発し、のちにラフィグラフ英語版と呼ばれるようになった。その方法はタイプライターの普及にともない廃れて、現在では使用されていない。

ブライユは1852年肺結核のため43歳の若さで亡くなった。死後百年にあたる1952年、ブライユの遺骸は故郷のクヴレ村からパリに移され、ヴィクトル・ユーゴーエミール・ゾラなど多くの国民的英雄を祀るパンテオンに葬られた。

クヴレ村ルイ・ブライユ通り13番地にあるブライユの生家は点字博物館として公開されており、世界中の視覚障害者たちがその元を訪れ、盲人たちに光をもたらしてくれたブライユの遺徳を偲んでいる。

点字を表す言葉は多くの国で、ブライユの名前から“Braille”(フランス語読みではブライユだが、英語読みではブレイルになる。)と呼ばれている。

小惑星(9969)のブライユは、ブライユの名ににちなみ命名された。

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