ルイトガルト・フォン・ザルツヴェーデル

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ルイトガルト・フォン・ザルツヴェーデル
Luitgard von Salzwedel
デンマーク王妃
在位 1144年 - 1146年

出生 1110年ごろ
死去 1152年1月29日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヴィンツェンブルク伯領、ヴィンツェンブルク
結婚 1130年以前?
1143/4年
1148年
配偶者 ザクセン宮中伯・ゾンマーシェンブルク伯フリードリヒ2世
  デンマーク王エーリク3世
  ヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世
子女 一覧参照
家名 ウドーネン家
父親 ノルトマルク辺境伯・シュターデ伯ルドルフ1世
母親 リヒャルディス・フォン・シュポンハイム
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ルイトガルト・フォン・ザルツヴェーデル(Luitgard von Salzwedel, 1110年ごろ - 1152年1月29日)は、デンマーク王エーリク3世の王妃。

生涯[編集]

ルイトガルトはノルトマルク辺境伯およびシュターデ伯ルドルフ1世とリヒャルディス・フォン・シュポンハイム=ラヴァントタールの間に生まれた。ノルトマルク辺境伯ルドルフ1世はザルツヴェーデルを本拠地としていた。ルイトガルトの父方の祖父はロタール・ウド3世である。父の死後、ルイトガルトはイェリホー英語版近くの母の所領に住んだ。ゾンマーシェンブルク伯フリードリヒ2世(ザクセン宮中伯フリードリヒ4世)と結婚し4人の子供をもうけたが、1142年までに近親婚として結婚を解消された。1143年からブレーメン大聖堂の首席司祭であった弟ハルトヴィヒは、1143年または1144年にルイトガルドをデンマーク王エーリク3世と結婚させた。兄で子のなかったルドルフ2世が1144年に死去し、また弟ハルトヴィヒも子がなかったため、ルイトガルトとその子らはシュターデ伯領の相続人となった。しかし1148年、ハルトヴィヒはブレーメン大司教への選挙の際に、ハルトヴィヒの死の際に伯領を大司教区に遺贈することをブレーメン大聖堂参事会との間で取り決めたため、ルイトガルトの子供たちから相続権が奪われた。王妃として、ハルトヴィヒは乱倫であることと、夫エーリク3世を浪費に走らせたとして非難された。ルイトガルトは姦通で非難された後は夫と別れ、神聖ローマ帝国に追放された。

夫の死後、1148年にヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世の2度目の妃となり、3人の娘をもうけた。ヒルデスハイム司教ベルンハルト1世ドイツ語版ミニステリアーレは、1152年1月29日の夜、ベルンハルト1世の扇動により、乱暴で野心的なヘルマン2世と妊娠していた妃ルイトガルトをヴィンツェンブルクで殺害し、6,000ポンドの銀を盗んだ。

子女[編集]

ゾンマーシェンブルク伯フリードリヒ2世(ザクセン宮中伯フリードリヒ4世)との間に4子をもうけた。

  • アダルベルト(1130年頃 - 1179年) - ザクセン宮中伯
  • アーデルハイト(1184年没) - ガンダースハイム修道院長(1152/3年 - 1184年)およびクヴェードリンブルク修道院長(1161年 - 1184年)
  • ゾフィー(1189/90年没) - ヴェッティン伯ハインリヒ1世(1142年2月27日 - 1181年8月30日)と結婚、チューリンゲン方伯ヘルマン1世と再婚。
  • ディートリヒ - ザクセン宮中伯、甥ヴェッティン伯ハインリヒ2世の後見人

ヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世との間に3女をもうけた。

  • 娘(1149年 - 1204年以前) - 1170年にシュヴァルツブルク伯ハインリヒ1世(1184年7月26日没)と結婚、ヴェッティン伯ウルリヒ1世(姉ゾフィーの子、1170年頃 - 1206年9月28日)と再婚[1]
  • 娘(1150年 - ?) - 1166年エストリズセン朝デンマーク王子マグヌス・ボリス(スウェーデン王マグヌス2世弟、1130年 - 1167年)と結婚
  • ヘートヴィヒ(1151年 - ?) - ガンダースハイム修道院の修道女

脚注[編集]

  1. ^ ヘルマン2世の娘の死後、ウルリヒ1世はザクセン公ベルンハルト3世の娘ヘートヴィヒと再婚した。

参考文献[編集]

  • Alf Henrikson: Dansk historia (Danish history) (1989) (Swedish)
  • Sven Rosborn (In Swedish): När hände vad i Nordens historia (When did what happen in the history of the Nordic countries) (1997)
  • Hans Olrik, "Lutgard (Ljutgard), –1152, Dronning", in: Dansk biografisk leksikon, vol. X: Laale - Løvenørn, p. 400. (デンマーク語)