リトル・サルケルド駅

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リトル・サルケルド駅
旧リトル・サルケルド駅への通路
所在地 イングランドの旗 イングランド
イーデン区英語版
座標 北緯54度42分46秒 西経2度40分37秒 / 北緯54.712824度 西経2.676877度 / 54.712824; -2.676877座標: 北緯54度42分46秒 西経2度40分37秒 / 北緯54.712824度 西経2.676877度 / 54.712824; -2.676877
ホーム数 2
その他
現況 閉鎖
歴史
開業 1876年5月1日 (1876-05-01)[1]
閉鎖 1970年5月1日 (1970-5-1)[1]
初期企業 ミッドランド鉄道
後継会社 ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道
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ロング・メグ信号所

リトル・サルケルド駅(リトル・サルケルドえき、: Little Salkeld railway station)は、イングランドのカンブリア州 ハンソンビー英語版行政教区とグレート・サルケルド英語版にあるリトル・サルケルド村で使用されていた鉄道駅である。セトル・カーライル線英語版は今も貨物輸送と乗客輸送として運転されている。この駅はミッドランド鉄道が1876年に開業したが、1970年にイギリス国鉄がこの路線におけるローカル線からの撤退を表明したことにより駅は閉鎖された[2]

歴史[編集]

ロング・メグ鉱山に通ずるリトル・サルケルド駅と支線はともに1970年代に閉鎖したにもかかわらず、閉鎖されたプラットホームは今もなお残されたままであり、駅舎は個人住宅として維持管理されている。1918年にロング・メグ鉱山切通し近くで発生したリトル・サルケルド鉄道事故では7名の人々が犠牲になった。1933年にはリトル・サルケルド駅で常駐の信号係が変則的なブロック作業を行ったために、迂回中の貨物列車と南行きの特急列車が衝突するという事故が発生し、鉄道員1名が死亡、さらには乗客30名と5名の駅員が負傷するという事態に発展した[3]。鉄道員駅舎もまたここに存在している。

製粉所の近くにはリトル・サルケルド陸橋(ドッズ・ミル陸橋とも)があり、村の真北にはイーデン川英語版を渡るイーデン・レイシー陸橋(ロング・メグ陸橋とも)がある[4]

イーデン・レイシー陸橋とリトル・サルケルド駅の北には嘗てロング・メグ側線の信号所があった。イギリス国鉄のロンドン・ミッドランド・リージョン英語版の15型にロンドン・ミッドランド・リージョン標準基盤の40スロットルを取り付け、上り線に接続されただけのロング・メグ側線地上基盤に代わって1955年に開設した。ミッドランド鉄道信号所は1915年3月13日まで操業していた。1990年7月11日、独立ブロック区画がカルガイスからロー・ハウス踏切信号所まで拡張されたことにより、ロング・メグ信号所は正式に閉鎖された(確かにこれより数年前には永久に「スイッチを切った状態」だったのだが)[5]

駅長[編集]

  • G・ホワイト(1876年-1877年[6]
  • G・ウッディング(1877年-1880年[6]
  • W・G・ミッチェル(1880年[6]-1883年[7]
  • G・ベーカー(1883年-1886年[7]
  • H・クレス(1886年-1891年[7]
  • トーマス・スミス(1891年[7]-1914年ごろ)
  • ロバート・ジェームス・ティンズリー(1959年-1970年 、ラングウォースビー駅の駅長も兼ねていた)[8]

ロング・メグ鉱山[編集]

ロング・メグ鉱山側の廃墟

1885年、ロング・メグ・ドリフト鉱山はロング・メグ・プラスター株式会社により開山され、1886年にミッドランド鉄道に接続された。

カーライル・ブラスター・アンド・セメント株式会社は1914年もしくは1915年に鉱山を閉山したが、1922年にロング・メグ・プラスター・アンド・ミネラル株式会社が硬石膏採取のために鉱山を再開させた。1939年にブリティッシュ・プラスター・ボード会社に購入された鉱山はブリティッシュ・ジプサムと名を改めたものの、1976年に鉱山は閉山した[5]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b Quick 2009, p. 248.
  2. ^ Old Cumbria Gazetteer Retrieved : 2012-09-08
  3. ^ "Accident at Little Salkeld on 10th July 1933" Railways Archive; Retrieved 28 April 2017
  4. ^ Settle & Carlisle Railway Archived 30 July 2012 at the Wayback Machine. Retrieved : 2012-09-08
  5. ^ a b Long Meg Signal Box Retrieved : 2012-09-08
  6. ^ a b c “1871-1879 Coaching”. Midland Railway Operating, Traffic and Coaching Depts: 735. (1871). https://www.ancestry.co.uk/imageviewer/collections/1728/images/32167_636897_0431-00393?ssrc=&backlabel=Return 2021年3月13日閲覧。. 
  7. ^ a b c d “1881-1898 Coaching”. Midland Railway Operating, Traffic and Coaching Depts: 38. (1881). https://www.ancestry.co.uk/imageviewer/collections/1728/images/32167_626640_0604-00024?ssrc=&backlabel=Return 2021年3月13日閲覧。. 
  8. ^ “New Stationmaster at Little Salkeld”. Bradford Observer (England). (1959年11月10日). https://www.britishnewspaperarchive.co.uk/viewer/bl/0002296/19591110/094/0009 2021年3月13日閲覧。 

参考文献[編集]

Quick, Michael (2009) [2001]. Railway passenger stations in Great Britain: a chronology (4th ed.). Oxford: Railway & Canal Historical Society. ISBN 978-0-901461-57-5. OCLC 612226077.

外部リンク[編集]

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ラングウォースビー駅 ミッドランド鉄道
セトル・カーライル線
(現在または過去の所在地)
ラソンビー・アンド・カーコスウォルト駅