ライモンド・トミンツ

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ライモンド・トミンツ(Raimondo Tominz、1822年 - 1906年)はイタリアの音楽家、昆虫学者、植物学者である。

略歴[編集]

現在のスロヴェニアのGradiscuttaで生まれた。父親は有名な画家のジュゼッペ・トミンツ(Giuseppe Tominz)である。青年時代からピアノと作曲法を学んだが、昆虫学と植物学の研究者としての評価が高い。トリエステ植物園の顕花植物の研究で知られる。

トリエステ園芸協会(Società di orticoltura di Trieste)の会長を務め、カイコの品種改良を試み、フランスの高名な昆虫学者、ゲラン=メネヴィル(Félix Édouard Guérin-Méneville)らに、結果を報じた[1]。音楽家としては、ヤママユのポルカ(Bombyx Yama-Mao : polka per piano)を作曲している[2]。1863年にシンジュサンSamia cynthia pryeri)やヤママユAntherea yamamai)など、日本(極東)産のカイコの養殖と交配に関する論文を執筆した[3]

1877年にトリエステ植物園の創設者で園長のムツィオ・トマシーニと、植物園の植物目録("Delectus seminum quae Hortus Botanicus tergestinus pro mutua communicatione offer")を出版した[4]。2年後トマシーニが没するとトマシーニの弟子で、トリエステ自然史博物館の館長のカルロ・マルチェセッチ(Carlo Marchesetti)と植物園を管理し、植物園を充実させ、1903年に植物園を公的施設とした[5]

参考文献[編集]