ムンギキ
設立 | 1980年代後半 |
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設立者 | マイナ・ジェンガ |
設立場所 | ケニア |
活動期間 | 1980年代- |
活動範囲 | ケニア |
構成民族 | 黒人(ケニア人) |
構成員数 (推定) | 10万人 |
主な活動 | 麻薬密売、強盗、暴行、恐喝及び強要、殺人 |
敵対組織 | ケニア軍、ケニア警察、ケニアの自警団 |
ムンギキ(スワリヒ語:Mungiki、英語:Mungiki)は、 東アフリカに位置する共和制国家であるケニア共和国で活動する犯罪組織。
歴史[編集]
創設[編集]
創設は1980年代後半とされており、創設者の一人によると、初期のムンギキは犯罪組織ではなく、マサイ族との土地をめぐる紛争や、当時カレンジン族が支配していた政府に忠実な勢力との紛争でキクユ族の農民を守るために、地元民兵組織として発足したのが始まりとされている。
創設者たちは、英国の植民地支配と戦ったマウマウ戦士をモデルにしてムンギキをモデルにしたと考えられている。
犯罪組織として[編集]
最初は自警団として発足したムンギキであったが、1980年代から1990年代のケニアはケニアの急速な人口増加に起因する深刻な失業が社会問題となっていた。また土地不足から生じる不満。その不満を抱えた失業中の若者のがムンギキに参加したことによって次第に窃盗や強盗、殺人などに移行した。
組織[編集]
ムンギキはキクユ族を中心に構成されているストリートギャングまたは、一種の宗教のような性質を持つ事で知られている[要出典]。
特定なボスは存在しておらず、複数の派閥のリーダーによって運営されている。ムンギキはケニア国内に約10万人のメンバーを有しているとされている。
犯罪活動[編集]
ムンギキの構成員の多くは、貧困と犯罪が蔓延するケニアの首都ナイロビで二番目に大きなスラム街、マタレ地区に住んでいる。マタレ地区のスラム街のほとんどの住民は、ムンギキを恐れており、ムンギキから盗難や物的損害からの保護を受けるために、そのお金の一部をムンギキに支払います。また、公衆トイレの管理や使用料の支払いも強制されている[1]。
ムンギキはさまざまな犯罪活動を行っており、主な犯罪行為は政治家の暗殺・殺人、強盗、窃盗、誘拐、拷問、麻薬密売、麻薬製造、銃密売、銃の製造、みかじめ料の徴収、人身売買、臓器売買、資金洗浄などが挙げられる。
ケニア政府の対応[編集]
ケニア警察の対応[編集]
2007年11月オスカー団体ケニア人権委は2007年8月までの5年間にケニア警察がムンギキ派に対する弾圧で8,000人以上を殺害し、さらに4,000人が行方不明であると報告した。 これらの申し立てはインタビュー、検死、警察の報告書に基づいており、国際刑事裁判所への控訴を通じて広く広まった。
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ “警官も晒し首にするケニアの恐怖「ムンギキ」:Foresight | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト”. 新潮社 Foresight(フォーサイト). 2023年12月23日閲覧。