ミロリュブ・アレクシッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミロリュブ・アレクシッチセルビア語: Мирољуб Алексић1919年8月10日 - 2016年1月12日)は、セルビア教授画家[1]

経歴[編集]

ニシュ出身であり、第二次世界大戦中には捕虜になった経験もある。ニシュで教育を受けた。1945年から1949年までベオグラードの美術アカデミーにてイヴァン・タバコヴィッチに師事した。卒業後はニシュの高等学校で美術の非常勤教師となり、1949年から1956年までニシュの芸術学校で教授を務めた。

1956年から1962年までStevan Sremacでデッサンの教鞭を執っていた。

1959年にはセルビアの美術家協会の会員となり、1974年から1983年まで美術学校の校長を務めた。

1989年から1994年までは、ニシュの美術家協会の会長を務めた。96歳で死去し、ニシュの墓地に埋葬された。

作品[編集]

  • ニシュ、ザイェチャルレスコヴァツの美術館や、そのほか世界各国のコレクターや蒐集家が所持している。また、国内外で100以上のグループ展に参加した。

脚注[編集]

  1. ^ Енциклопедија Ниша, Култура, Центар за научна истраживања САНУ и Универзитета у Нишу, Ниш, (2011). стр. 13;

外部リンク[編集]