マラ・テクレ・ハイマノート

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マラ・テクレ・ハイマノート(Mara_Takla_Haymanot、在位期間?~?)は、エチオピア帝国の初代皇帝(諸王の中の王)[1]

マラ・テクレ・ハイマノート
ማራ ማራሌ ሀሚቶት
ザグウェ朝初代皇帝
在位 ? - ?
別号 アクスム王国国王

出生
エチオピア帝国
死去
ザグウェ朝エチオピア帝国
埋葬 ザグウェ朝エチオピア帝国
子女 タタディム1世
王家 ザグウェ家
王朝 ザグウェ朝
宗教 エチオピア正教会
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概要[編集]

彼が建てた王国、ザグウェ朝が基となったエチオピア帝国の最大版図

マラ・テクレ・ハイマノートは、ソロモン朝エチオピア帝国よりは以前の時期であるものの、エチオピアの皇帝であったとされる[2]

伝説上では960年頃、女王グディトアクスム王国の遺跡を破壊した。そして、権力の中心をより南の地域に移動させ、その後40年間、彼女は王国の残りの部分を支配した。しかし、後に彼女の建設した王朝は、最終的には1137年にマラ・テクレ・ハイマノートによって打倒され、打倒した彼はアクスム王国の最後の王ディル=ニードの娘と結婚し、エチオピアの支配をアガウ族の手に取り戻した。その為、彼はザグウェ朝エチオピアの初代皇帝であるとされる[3]。 

エチオピアに伝えられる伝説の中の建国物語は、現在の歴史の考え方では不確かなものである。しかし、ザグウェ朝初代皇帝である彼の後継者、タタディム1世は息子とされている。その後、エチオピア帝国皇帝の位は、彼の孫のジャン・セユム1世へと引き継がれていき、のち数十代ザグウェ朝のエチオピア帝国の皇帝・皇族がつづいた。しかし、後にソロモン朝初代国王のイクノ・アムラクとの争いでザグウェ朝は滅亡することとなるのである。

脚注[編集]

  1. ^ See G.W.B. Huntingford, "'The Wealth of Kings' and the End of the Zāguē Dynasty", Bulletin of the School of Oriental and African Studies, 28 (1965), pp. 1–23
  2. ^ Taddesse Tamrat. "The Legacy of Aksum and Adafa" in Church and State in Ethiopia. Oxford: Clarendon Press, 1972, pp. 53–64.
  3. ^ Bruce, Travels to Discover the Source of the Nile (1805 edition), vol. 2 pp. 451–453