マックス・スレーフォークト
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マックス・スレーフォークト Max Slevogt | |
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自画像(1915年) | |
| 生誕 |
1868年10月8日 |
| 死没 |
1932年9月20日 |
| 運動・動向 | ドイツ印象派 |
マックス・スレーフォークト(Max Slevogt、1868年10月8日 - 1932年9月20日)は、ドイツの画家である。ロヴィス・コリント、マックス・リーバーマンと並んで、ドイツ印象派の代表的作家とされ、ドイツにおける外光派(Pleinairisme)の代表とされる。
略歴
[編集]バイエルン州のランツフートに生まれた。1885年から1889年の間、ミュンヘン美術院で学び、当時の美術院のスタイルであった暗い色調の絵を描いていたが、1889年にパリを訪れ、私立美術学校のアカデミー・ジュリアンに入学した。1896年にはドイツの風刺雑誌「ジンプリチシムス(Simplicissimus)」やミュンヘンの絵入雑誌「Jugend」に挿絵を描き、翌年ウィーンで、初めて個展を開いた。1890年代の終わりにはスレーフォークトの絵画の色調は明るいものになっていた。
1900年にはパリ万国博覧会のドイツ館のために作品を描き、1901年には、ベルリンにロヴィス・コリントとともに移り、旧来の芸術を批判し、伝統からの脱却・分離を標榜した「ベルリン分離派」のメンバーに加わった。
1914年にエジプトを旅し、多くの油絵や水彩画を描き、イタリアを旅して帰国した。ラインラント=プファルツ州のラインスヴァイラーの古い館を購入しそこに住んだ。第一次世界大戦中は、戦場画家として、西部戦線に動員された。

作品
[編集]-
ライオンの檻の前の少女(1901)
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(1917)
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リビヤ砂漠の砂嵐
参考文献
[編集]- Max Slevogt-Gallery Schloss Villa Ludwigshöhe in Edenkoben, su max-slevogt-galerie.de.
- Max Slevogt sul sito della Deutsche Nationalbibliothek