マックス・リーバーマン

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マックス・リーバーマン(1904年)

マックス・リーバーマン(Max Liebermann, 1847年7月20日 - 1935年2月8日)は、ドイツ画家ベルリン分離派創立者の一人である。

彼はベルリンユダヤ人実業家の息子で、法学や哲学を学んでいたが、その後1869年ヴァイマル1872年パリ1876年にはオランダに移り絵画を勉強した。一旦ミュンヘンに住んだが、1884年にベルリンに戻り残りの生涯をそこで過ごした。

リーバーマンは当初、田園の人物や、彼の生活風景などを描いていた。後に、彼はロヴィス・コリント(Lovis Corinth)、マックス・スレーフォークト(Max Slevogt)らとともにドイツ印象派の代表的作家となる。彼は受け継いだ遺産をフランスの印象派絵画の収集にも費やした。その後、自分の庭の風景のほかにブルジョワジーなど富裕階級の生活風景や肖像画を描くようになり、ドイツの美術界や上流社会で尊敬される画家となった。一方で、より新しい世代であったゴッホなどを余り評価せず、ベルリンのナショナルギャラリーがゴッホの作品を巨費を投じて買った際には非難の一文を書いている。

1899年から1911年まで、彼はベルリン分離派を指揮した。1920年から1932年までプロイセン芸術院の総裁の地位にあり、プール・ル・メリット勲章を受章、ベルリン名誉市民に推挙されるなど老齢ながらドイツ画壇に君臨した。しかし1933年ナチ党の権力掌握後、かれはユダヤ人の出自によって非難されるようになり、芸術院からもナチス体制へどのような態度を取るか問いただされた。1933年5月、彼は芸術家が出自や政治という要素によって非難されるような状態では芸術院にとどまることはできないと名誉総裁の称号を返上した。

発表の機会や栄誉をすべて失ったリーバーマンは1935年に世を去ったが、数十年にわたりベルリン市の名士で芸術院の重鎮でもあった彼の葬儀に立ち会ったのは、ケーテ・コルヴィッツら数名だけであった。

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

  • 『ヒトラーと退廃芸術』関 楠生、河出書房新社、ISBN 430922234X

外部リンク[編集]