ポートマン子爵

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ポートマン子爵家の紋章は、ポートマン家元来のもの(左)と、バークリー家の紋(右)とで構成されている。

ポートマン子爵(英:Viscount Portman)は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族資産家エドワード・ポートマン英語版1873年に叙されたことに始まる。

ポートマン家はロンドンの一等地メリルボーン(オックスフォード街ベイカー街周辺)を地所に持ち、英国長者番付にその名を連ねる一族である。

歴史[編集]

メリルボーンとポートマン家[編集]

一族の地所メリルボーン地区を描いた19世紀の地図。

ポートマン家の祖サー・ウィリアム・ポートマン英語版(?-1557)は、ヘンリー8世の御世に控訴院主席判事英語版を務めた法曹家である[1]。彼は1554年に270エーカー[註釈 1]に及ぶ敷地(現在のロンドンの一等地メリルボーン地区)を購入、同地はロンドンとともに発展し、子孫も巧みに土地開発を行った[2][3]。ゆえに、同家は現在でも英国屈指の資産家である[4]

その孫ジョン(?-1612)は1611年にイングランド準男爵位の(サマセット州オーチャード・ポートマンの)準男爵英語版(Baronet, of Orchard Portman in the County of Somerset)を授けられている[5]

しかし、彼の孫にあたる6代準男爵ウィリアム(1641-1690?)が嗣子なく死去すると、この準男爵位は断絶した[6]

一方で、その所領と財産はウィリアムの甥にあたるヘンリー・シーモア(?-1728)に相続された[6]。ヘンリーはベリー・ポメロイのシーモア準男爵家英語版五男坊であり、彼の妻アンは初代準男爵サー・ジョン・ポートマンの次女にあたる[註釈 2][6]。彼はその後ポートマン姓に改姓している[6]。しかし彼には子供がいなかったため、その死後はいとこにあたるウィリアム・バークリー(?-1737)が地所と財産を承継するとともに、彼もまたポートマン姓を父称した。

その子ヘンリー・ポートマン(生没年未詳)の代になると、メリルボーンは農地から住宅地へと急速に変貌を遂げていく[2]。ヘンリーは特に開発に辣腕を発揮した人物で、ポートマン・エステート英語版を設立して巧みに中流階級や労働者層向けの住宅建設を行い、現在の資産家ポートマン家の礎を築いている[2][3]

ポートマン家、英国貴族となる[編集]

2代子爵を描いたカリカチュア

その子エドワード・ポートマン(1799-1888)1837年サマセット州オーチャード・ポートマンにおけるポートマン男爵(Baron Portman, of Orchard Portman in the County of Somerset)に叙されて、ポートマン家は英国貴族となった[7][8][9]。さらに、その晩年の1873年にもドーセット州ブライアンストンのポートマン子爵(Viscount Portman, of Bryanston in the County of Dorset)を授けられている[7][8][10]。いずれの爵位も連合王国貴族爵位である[7]

その息子である2代子爵ヘンリー(1829-1919)の頃になると、一族はオックスフォード街やベイカー街周辺の開発を積極的に進めている[2]

その後、3代子爵ヘンリー(1860-1923)には子がなかったため、爵位は弟クロード、その息子エドワードの順で継承された[7]

その5代子爵エドワード(1898-1942)が没すると、叔父シーモア、その弟ジェラルド、同名の息子ジェラルドの順で僅か6年の内に3回も代替わりしている[7]

しかし、8代子爵ジェラルド(1903-1967)にも子供はおらず、爵位は甥のエドワード・ヘンリーが継いでおり、これ以降は彼の系統で現在に至っている[7]

現在のポートマン家[編集]

オックスフォード街に面する老舗百貨店セルフリッジズ

現当主である10代子爵クリストファー(1958-)1999年貴族院改革以後も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。また、彼は貸し出していた物件を一気に買い戻したのち、8000万ポンド(約107億円)をつぎ込んで再開発を行った[2]。そのため、同地の地価は毎年上昇傾向にあり、ポートマン・エステートの推定資産は約20億ポンド(約2846億円)にも上るという[2]

なお、ドーセット州ブライアンストン英語版に位置する旧邸宅ブライアンストン・ハウス(Bryanston House)は、その敷地や建物は私立校ブライアンストン・スクール英語版として利用されている。

一族と爵位にかかるモットーは『清き心と快活な精神(A Clean Heart and a Cheerful Spirit)』[7]

現当主の保有爵位[編集]

現当主である第10代ポートマン子爵クリストファー・エドワード・バークリー・ポートマン英語版は以下の爵位を保有している[7]

  • 第10代ポートマン子爵(10th Viscount Portman)
    (1878年3月23日の勅許状のよる連合王国貴族爵位)
  • 第10代サマセット州オーチャード・ポートマンにおけるポートマン男爵(10th Baron Portman, of Orchard Portman in the County of Somerset)
    (1837年1月27日の勅許状による連合王国貴族爵位)

ポートマン子爵 (1873年)[編集]

法定推定相続人は現当主の息子であるルーク・ヘンリーオリヴァー・リチャード・バークリー・ポートマン閣下(1984-)[11]

系譜図[編集]

脚注[編集]

註釈[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 尺貫法に換算すると、約32万坪。
  2. ^ なお、ベリー・ポメロイのシーモア準男爵家は親族から序列第二位の英国爵位サマセット公爵を継承して、現在に至っている。

出典[編集]

  1. ^ Archbold, William (1896). "Portman,William(d.1557)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 46. London: Smith, Elder & Co. p. 199.
  2. ^ a b c d e f ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト”. www.news-digest.co.uk. 2020年5月22日閲覧。
  3. ^ a b The Portman Estate”. www.portmanestate.co.uk. 2020年5月22日閲覧。
  4. ^ "Sunday Times Rich List". The Sunday Times (page 27). 26 April 2014
  5. ^ Extinct and Dormant English Baronetcies”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月22日閲覧。
  6. ^ a b c d Seccombe, Thomas (1896). "Portman,William(1641%3F-1690)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 46. London: Smith, Elder & Co. p. 200.
  7. ^ a b c d e f g h Portman, Viscount (UK, 1873)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月22日閲覧。
  8. ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). pp. 730-731. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/730 
  9. ^ No.19460”. The Gazette 24 January 1837. 2020年5月23日閲覧。
  10. ^ No.23961”. The Gazette 25 March 1873. 2020年5月23日閲覧。
  11. ^ The young elite 1-10

関連項目[編集]

外部リンク[編集]