ホーマー・ヴァン・メーター

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ホーマー・ヴァージル・ヴァン・メーター
Homer Virgil Van Meter
生誕 1905年12月3日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州アレン郡フォートウェイン
現況 死没(28歳)
死没 1934年8月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミネソタ州ラムゼー郡セントポール
職業 ギャング
罪名 銀行強盗、殺人、窃盗、自動車泥棒
刑罰 射殺
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ホーマー・ヴァン・メーター(Homer Virgil Van Meter 1905-1934)は1930年代のアメリカのギャング。デリンジャーギャングに加わり複数の銀行強盗を行なった。

略歴[編集]

若い頃[編集]

1905年12月3日、インディアナ州フォートウェインで生まれた。父親は鉄道の車掌だがアルコール依存性だった。

1924年に12歳で家出をし、シカゴでベルボーイやウェイターとして働き始めるが、10代のうちに飲酒運転や窃盗で服役した。19歳のとき車泥棒で捕まりサウスイリノイ刑務所(現在のメナード矯正センター)に入れられた。刑務所の記録によると右腕に”HOPE”というタトゥーがあり梅毒に感染していた[1]

仮釈放されるも、1931年2月にインディアナ州クラウンポイントでの列車強盗で逮捕されペンドルトン厚生施設に入れられた。ここでジョン・デリンジャーハリー・ピアポントと出会った。ヴァン・メーターはいつも大声で冗談ばかり言っている騒々しい男だった。デリンジャーとは友人になったが、物静かなピアポントとは気が合わなかった。

やがてヴァン・メーターとピアポントの態度があまりに悪く手に負えなくなったので、2人は同じ時期にインディアナ州刑務所に移された[2]。ピアポントを慕うデリンジャーも自ら希望して移った。ヴァン・メーターは1933年5月、9年間の刑期を終え仮釈放が認められた。(デリンジャーも1週間後に仮釈放された)

デリンジャーギャング時代[編集]

仮釈放から3ヶ月後、ベビーフェイス ・ネルソントミー・キャロルと組んで銀行強盗を2件働いた。翌年インディアナ州刑務所仲間のデリンジャー、ジョン"レッド"・ハミルトンらと再会し、警察署からの武器強奪や銀行強盗などの重犯罪を繰り返した[3]

1934年3月、捜査局はデリンジャーギャング特捜班を設けた。1934年4月に一味はウィスコンシン州のリトル・ボヘミア・ロッジに隠れるが、ロッジのオーナーの密告され捜査局に包囲された。メンバーは散り散りになり、銃撃戦でレッド・ハミルトンを失いながらもデリンジャーとヴァン・メーターはなんとかシカゴに辿り着いた。

2人は弁護士のルイス・ピケット(Louis Phillip Piquette,54)が手配してくれたマフィア仲間のジミー・プロバスコの家に隠れ、ここでデリンジャーと共に顔の整形手術を受けた。しかしほとんど変わっていないことに怒り狂ったヴァン・メーターは医者を殺そうとするが、一緒にいた仲間に抑えられた。

捜査当局の目がシカゴに向けられるのを懸念したマフィアは2人を追放し、ヴァン・メーターとデリンジャーは、5月のほとんどをシカゴ近郊の森にある小屋や赤いパネルトラックの荷台で過ごした[4]。5月24日、イーストシカゴで職務質問してきたパトロール中の警官2名を射殺し[5]、6月30日にインディアナ州サウスベンドのマーチャンツ国立銀行を襲った際にも警官1名を射殺、数名の通行人を負傷させるなど数々の凶悪犯罪を犯した。

捜査局は7月にデリンジャーをシカゴの映画館で射殺した。ヴァン・メーターは恋人のマリー・コンフォーティとミネソタ州セントポールに逃げた。

最期[編集]

セントポールでヴァン・メーターは自分のシボレーを売って新車を買うことにした。1934年8月23日の夕方4時半ごろ、彼は紺色の上質なスーツに麦わら帽、白いシャツに明るい色のネクタイをして、地元マフィアのボスのハリー・ソウヤーと仲間のトミー・ギャノンと共にセントポール・オート・カンパニーという自動車店を訪れた[6]

しかし警察は彼の動きを察知しており、警察署長とトム・ブラウン刑事ら4人がショットガントンプソンを持って5時間も前から待ち伏せしていた[7]。商談を終え明日また来る約束をしてヴァン・メーターが店を出ると刑事が現れ彼を止めた。咄嗟に自分のシボレーに向かおうとするとソウヤーとギャノンが乗り込み走り去ってしまった。

ヴァン・メーターは走って逃げたが射たれた。50発以上の弾丸が発射され26発が命中、銃創のほとんどが背中側にあり両手の指も何本か千切れかけていた。ある報告書には、ブラウンが最初に撃った散弾は左胸と顔面に命中し、体が地面から離れ数十センチ後ろに飛ばされたとある[8]。後に遺体を見た家族は「射撃訓練の標的のようだった」と表現したという[9]

警察は『ヴァン・メーターは拳銃を2発を発砲しながら逃げその銃は道路脇に落ちていた。現金1,320ドルを回収した』と発表した。検死報告によると茶色の髪を黒く染め口ひげを生やし、顔にはワックスが注入されていた。指紋を酸で溶かし右腕の”HOPE”のタトゥーも切除されていた。

遺体は列車で故郷のフォートウェインに運ばれ、リンデンウッド墓地に埋葬された。遺族の希望によりメーター家の墓地から離れた区画に埋められた。

裏切り[編集]

証言[編集]

警察の発表には疑わしい点が多い。

  • 4人の目撃者は「男は片手に麦わら帽子、もう片方は何も持っていなかった」と言い、銃を握っていた証拠がなかった。4人とも細部に至るまで一致しており信憑性は高い。
  • 住宅地にいた女性は「道路にうつ伏せに倒れた男に向けてブラウン刑事が機関銃を連射した」と話した。
  • ヴァン・メーターをよく知る仲間は「彼はいつでも町を出られるように1万ドル(現在の20万ドル)以上持ち歩いていたはずだ。刑事らが横領したに違いない」とマスコミを通して訴えた。
  • 事件から5年後の1939年、当時ハリー・ソーヤーの部下のトーマス・カーウィンは捜査局の聞き取り調査でこう証言した。「裏切ったのはソウヤーとギャノンだ。ブラウン刑事は1万ドル、ギャノンにはヴァン・メーターの数丁の銃を受け取った」

警察の汚職[編集]

当時のセントポールは政治家や警察官の汚職が蔓延しており、犯罪者にとって”安全な”街だった。デリンジャー亡きあと捜査局の目がヴァン・メーターに向けられると厄介なので、マフィアと汚職警官が共謀して彼を排除したのは十分に考えられる[10]

ヴァン・メーターが射殺された年、FBIはブラウンら警察官4人がマフィアから賄賂を受け取っていたと発表した。(ブラウンは解雇されたが有罪にはなっていない)

恋人のマリー・コンフォーティはヴァン・メーターが死んだ次の日に自首し、恋人を裏切った者たちに復讐したいと捜査局への協力を申し出た。しかし犯罪者を匿った罪からは逃れられず、13ヶ月の懲役刑が言い渡された[11]

登場する作品[編集]

  • "Gang Busters:Homer Van Meter" 演 - リチャード・クレイン (1952年 テレビドラマ)
  • 「殺し屋ネルソン」”Baby Face Nelson” 演 - エリシャ・クック Jr.(1957年 映画)
  • 『ギャング王デリンジャー』”Young Dillinger” 演 - ジョン・アシュレー(1965年 映画)

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Homer Van Meter” (英語). Babyface nelson journal. 2023年10月8日閲覧。
  2. ^ Homer Van Meter” (英語). Babyface nelson journal. 2023年10月8日閲覧。
  3. ^ December 3, Name Homer MeterFull Name Homer Virgil Van MeterBorn (2017年8月18日). “Homer Van Meter - Alchetron, The Free Social Encyclopedia” (英語). Alchetron.com. 2023年10月8日閲覧。
  4. ^ Van Meter2” (英語). Babyface nelson journal. 2024年4月1日閲覧。
  5. ^ Van Meter2” (英語). Babyface nelson journal. 2024年4月10日閲覧。
  6. ^ Van Meter2” (英語). Babyface nelson journal. 2024年4月10日閲覧。
  7. ^ This Random City Was A Literal Paradise For Prohibition Gangsters” (英語). History Collection. 2024年4月10日閲覧。
  8. ^ Van Meter2” (英語). Babyface nelson journal. 2024年4月10日閲覧。
  9. ^ December 3, Name Homer MeterFull Name Homer Virgil Van MeterBorn (2017年8月18日). “Homer Van Meter - Alchetron, The Free Social Encyclopedia” (英語). Alchetron.com. 2023年10月8日閲覧。
  10. ^ Van Meter2” (英語). Babyface nelson journal. 2023年10月10日閲覧。
  11. ^ Don't Call Us Molls: Marie Comforti”. www.dillingerswomen.com. 2023年10月8日閲覧。