パブリック・エネミーズ
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パブリック・エネミーズ | |
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Public Enemies | |
監督 | マイケル・マン |
脚本 |
ロナン・ベネット アン・ビダーマン マイケル・マン |
原作 | ブライアン・バーロウ |
製作 |
マイケル・マン ケヴィン・ミッシャー |
製作総指揮 |
G・マック・ブラウン ロバート・デ・ニーロ ジェーン・ローゼンタール |
出演者 |
ジョニー・デップ クリスチャン・ベール マリオン・コティヤール ビリー・クラダップ スティーヴン・ドーフ スティーヴン・ラング |
音楽 | エリオット・ゴールデンサール |
撮影 | ダンテ・スピノッティ |
編集 |
ポール・ルベル ジェフリー・フォード |
製作会社 |
ユニバーサル映画 レラティビティ・メディア |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 143分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
製作費 | $100,000,000[1] |
興行収入 |
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『パブリック・エネミーズ』(原題: Public Enemies)は、2009年のアメリカ合衆国の犯罪映画。監督はマイケル・マン、出演はジョニー・デップとクリスチャン・ベールなど。原作はブライアン・バーロウによる、実在の犯罪者ジョン・デリンジャーを主人公としたノンフィクション本である。
ストーリー[編集]
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舞台は1933年の大恐慌時代のアメリカ。銀行強盗のジョン・デリンジャーは、警察をあざ笑うかのような大胆な手口、弱者からは奪わないという姿勢で、犯罪者でありながら大スターのようにもてはやされていた。
司法省捜査局(BOI)長官、J・エドガー・フーヴァーは越境犯罪を繰り返すデリンジャーを「公共の敵筆頭(Public Enemy No.1)」として指名手配し、更にシカゴ支局へ“プリティ・ボーイ”・フロイドを射殺したメルヴィン・パーヴィス捜査官を赴任させる。
ある日、デリンジャーはビリー・フレシェットという神秘的な魅力をもつ女性と出会う。ビリーも、彼の強引で一途な愛に次第に惹かれていく。捜査の目をかいくぐり、密会する2人。
例え逮捕されてもすぐさま脱獄し、再び銀行強盗に手を染めるデリンジャー一味。しかし、それまで後ろ盾となっていた者達はデリンジャーを「お前のやり方はもはや時代遅れ」だと切り捨てる。一方、彼らを追うパーヴィス達捜査局は地方支局から古参の武闘派捜査官を呼び寄せ、少しずつ綻びを見せ始めたデリンジャー一味へと捜査の手を届かせようとしていた。
キャスト[編集]
※括弧内は日本語吹替
犯罪者[編集]
- ジョン・デリンジャー - ジョニー・デップ(平田広明)
- ビリー・フレシェット - マリオン・コティヤール(石津彩)
- ジョン“レッド”・ハミルトン - ジェイソン・クラーク(石住昭彦)
- ハリー“ピート”・ピアポント - デビッド・ウェナム(天田益男)
- ホーマー・ヴァン・メーター - スティーヴン・ドーフ(田坂浩樹)
- “ベビーフェイス”・ネルソン - スティーヴン・グレアム
- ウォルター・ディートリッヒ - ジェームズ・ルッソ
- アルヴィン・カーピス - ジョヴァンニ・リビシ
- フィル・ダンドレア - ジョン・オーティス
- チャールズ・マクリー - クリスチャン・シュトルテ
- “プリティボーイ”・フロイド - チャニング・テイタム
- ギルバート・カテナ- ドメニク・ランバルドッツィ
司法省捜査局[編集]
- メルヴィン・パーヴィス捜査官 - クリスチャン・ベール(東地宏樹)
- カーター・バウム捜査官 - ロリー・コクレーン
- J・エドガー・フーヴァー長官 - ビリー・クラダップ(森川智之)
- チャールズ・ウィンステッド捜査官 - スティーヴン・ラング(有本欽隆)
- サム・カウリー捜査官 - リチャード・ショート
- ジョン・マダラ捜査官 - ショーン・ハトシー
- クラレンス・ハート捜査官 - ドン・フライ
その他[編集]
- アンナ・セージ - ブランカ・カティク(林りんこ)
- ポリー・ハミルトン - リーリー・ソビエスキー(タルタエリ)
- バーバラ・パツク - エミリー・デ・レイヴィン
- リリアン・ホリー保安官 - リリ・テイラー
- ケネス・D・マッケラー上院議員 - エド・ブルース(小島敏彦)
- キャロル - キャリー・マリガン
スタッフ[編集]
- 監督:マイケル・マン
- 製作:マイケル・マン、ケヴィン・ミッシャー
- 製作総指揮:G・マック・ブラウン、ロバート・デ・ニーロ、ジェーン・ローゼンタール
- 原作:ブライアン・バーロウ
- 脚本:ロナン・ベネット、アン・ビダーマン、マイケル・マン
- 撮影:ダンテ・スピノッティ
- プロダクションデザイン:ネイサン・クロウリー
- 衣装デザイン:コリーン・アトウッド
- 編集:ポール・ルベル、ジェフリー・フォード
- 音楽:エリオット・ゴールデンサール
製作概要[編集]
本作は2004年に発表されたブライアン・バーロウのドキュメンタリー小説 ”America's Greatest Crime Wave and the Birth of the FBI, 1933–34.”(アメリカ最大の犯罪の波とFBIの誕生 1933-34年)を基にしている。
ジョン・デリンジャーを描いた映画といえばマイケル・チミノ監督の「デリンジャー」(1973)が有名だが、バーロウにとってこの作品は俳優がミスマッチで、内容にも根拠がないと感じていた。そのため、リアリティを重視することで知られるマイケル・マンが自分の小説の映画化権を買ったと知らされたときは、とても喜び安堵したと伝えている[2]。
配役[編集]
ジョン・デリンジャーとメルヴィン・パーヴィスFBI捜査官に関する情報は、新聞記事やニュース映像、関係者の証言などが豊富に揃っていた。
マイケル・マンはデリンジャーをとても魅力的な人物だったのだろうと考察する。『2,3分も一緒にいれば古くからの友人のように思えてくる』という逸話があるほどで、よくしゃべり(アメリカではよくしゃべる男性は好感が持たれる)ユーモアを持ち合わせる男だったと伝えられている[3]。
ジョニー・デップの祖父は、禁酒法時代に密造酒を製造販売した罪でデリンジャーと同じ頃に刑務所に入っていたことがあり、もしかしたらデリンジャーの肉声を聞いていたかもしれないと思うと非常に親近感を覚えたという[4]。
マンとデップは、デリンジャーが生まれ育ったインディアナ州のディリンジャー農場を訪ねた[5]。甥に当たるジェフ・スカルフ氏はデリンジャーの寝室を案内し、遺品や当時の手紙、写真などを見せてくれた。洗濯板を剃刀の刃で削って履墨を塗って作った木製の拳銃や、一般には公開されていない資料もあった。
スカルフ氏は2人が叔父のことをよく研究し敬意を払ってくれていることに感謝し、祖母がよく話していたという『デリンジャーを悪人にして欲しくない。でも美化してはいけない』という言葉を伝えた[6]。
パーヴィス捜査官役のクリスチャン・ベールは、パーヴィスがどんな人物だったのかを知るため、自叙伝や息子のアルストンが書いた本を読み、パービスの親戚を訪ねたりもした[7]。
パービスは身長163センチと小柄だが、身なりが良く乗馬と射撃を得意とし、プライベートではバレエやオペラを好んだ。当時のFBI局員にしては珍しく新聞記者に対して紳士的な対応をとることからマスコミの評判も良かった。一般にはデリンジャーを執念深く追っていたと思われているが、本当はなぜ大衆から英雄視されるのか理解できるような人物だったのではないかと、ベールは考えたという。
撮影中、ジョニー・デップとクリスチャン・ベールは敵対する役になりきるため、プライベートな会話を一度もしなかった。
一方、ウィスコンシン州メノミニー郡のメネノミーインディアン居留地ではマリオン・コティヤールが目撃され話題になった。彼女はデリンジャーの恋人だったビリー・フレシェットの出生地を訪ねていた。
役を演じるにはその人物の子供時代を知る必要があるという想いがあったからで、フレシェットの親戚を訪ねてどんな環境で生まれ育ったのかを探り、地元の女性たちと会話をしてその土地の方言を学んだ[8]。
マイケル・マンと一緒に数人の囚人の妻と会い夫が刑務所にいるときの心情をヒアリングしたり、現役のストリッパーと行動を共にするなど、役作りのため様々な体験をさせられた[9]
またマイケル・マンは、銀行のシーンで現職の銀行員が演技ではなく慣れた手捌きで紙幣を数えるアイデアを気に入り、銀行の出納係をはじめ新聞記者や看護師などを地元の一般人から募集した[10]。
ロケーション[編集]
撮影はウィスコンシン州、イリノイ州シカゴ、インディアナ州などで行われた。
これらの地域には保存状態の良い歴史的な建築物や街並みが残っており、これまでにも多くの映画の撮影地として利用されてきた。が、今回のような大規模な撮影は初めてで、各地で展示会や観光ツアー、仮装大会、クラシックカーのパレードなど様々なイベントが催された[11]。
1933年9月26日 インディアナ州立刑務所の脱獄
- 冒頭の脱獄シーンは、イリノイ州クレストヒルにあるステーツヴィル刑務所の南門を使用した[12]。
- 内部は「ブルースブラザース」や「プリズンブレイク」で有名になった旧ジョリエット刑務所で撮影。ステーツヴィル刑務所からは5キロほどしか離れていない。
- 映画ではデリンジャーとレッド・ハミルトンが外部から仲間を助け出した筋立てになっているが、実際は資金と拳銃の手配をしただけで事件があった日はオハイオ州の拘置所に入っていた[13]。ハミルトンも脱獄する側の1人だった。
1933年10月23日 インディアナ州グリーンキャッスルのセントラルナショナル銀行襲撃
- 映画で最初の銀行襲撃シーンの建物内部は、シカゴの旧シェリダン信託貯蓄銀行ビル(4753N Broadway St, Chicago)で撮影した。
- 1924年に建てられた歴史的建築物で、2008年に「シカゴ・ランドマーク」に指定された。現在はテラーハウスというオフィスビルになっている。
- 建物の外部と周辺道路はオシュコシュ・メソニックセンター(204 Washington Ave, Oshkosh)のフロント。1849年に建てられたフリーメイソンのビルである[14]。
1933年12月 ビリーと訪れたフロリダ州ハイアレアパーク競馬場
- ロサンゼルス北西部のサンタアニタ競馬場。フロリダ州には山がないのでVFXで背後の山を消している。
1934年1月15日 イーストシカゴのファーストナショナル銀行の襲撃
- ウィスコンシン州オシュコシュのファーストナショナル銀行(434N Main St, Oshkosh)の内部・外部で撮影。
- 石畳の道路は、アスファルト舗装の上に石畳を模したゴムシートを敷き詰めている。
- ここでデリンジャーが肩を撃たれるが、防弾着を着用していて怪我はなかった説が有力[要出典]。
- この事件の1か月後、デリンジャーはアリゾナ州で逮捕されレイク郡拘置所に移送された。
1934年3月3日 レイク郡拘置所からの脱獄
- 実際に事件があったインディアナ州クラウンポイントの旧レイク郡拘置所で撮影[15]。
- 1989年に国家歴史登録財に登録された。
- 洗濯板から作った模造拳銃はこの事件で使用した。
- 映画では6,7人の看守を抵抗出来なくしているが、実際には17人だったという記録がある。しかし17人もいると映像的に信憑性を損ねる恐れがあるので、監督の判断で意図的に人数を減らした[16]。
- 拘置所を出たあと車を走らせるシーンは、ウィスコンシン州コロンバス中心部のEast James St.で撮影された[17]。
- 道路には石畳模様のゴムシートを敷き、店のショーウィンドウや看板も大幅に改装された。この地区はコロンバスダウンタウン歴史地区に指定されている。
1934年3月6日 サウスダコタ州スーフォールズのセキュリティ銀行襲撃
- 映画の2回目の銀行襲撃は、ミルウォーキーの旧セカンドワード貯蓄銀行ビル(910N Oldworld 3rd St, Milwaukee)で撮影された[18]。
- 現在はミルウォーキー郡歴史協会の資料館になっている。
- たった45秒のシーンだが、建物の賃料に8万5千ドル、インテリアの改装費に15万ドルをかけたという[19]。
- 実際にはこの強盗事件にデリンジャーが関わっていた証拠はなく、今も議論が続いている[要出典]。
1934年4月9日 フレシェットが拘束されるホテル
1934年4月22日 リトルボヘミアロッジの銃撃戦
- 実際に銃撃戦があったリトル・ボヘミア・ロッジ(ウィスコンシン州マニトウィッシュウォーターズ)で撮影された。
- 駐車場のアスファルトの舗装を撤去し、砂利に置き換えた。明るいベージュの外壁は少し濃い色で塗り替え、屋内はバーカウンターを撤去した[21]。
- 撮影はデリンジャーらが泊まっていた部屋を使用し、屋根を伝って湖畔に逃げる経路もほぼ同じという。
- 建物や周囲の木々には当時の弾痕が今も残っている[22]。
- 74年前と同じ場所で同じ銃を発砲したジョニー・デップは、金額には代えられない価値のある体験だったと語った[23]。
1934年7月22日 デリンジャーの最後
- バイオグラフ劇場(イリノイ州シカゴ2433N.リンカーンAve.)
- マイケル・マンが8歳の頃、母親と一緒に路面電車に乗ってバイオグラフ劇場(Biograph Theatre)の前を通りかかったとき、彼が生まれる数年前にここで起きた有名な事件を教えてくれた[24]。
- デリンジャーの最後のシーンはまさにその場所で再現された。劇場はライブハウスに変わり、周辺も当時の面影はほとんどなかったが、美術スタッフは古い映像や写真を参考にしながら劇場や雑貨屋、パン屋、バーなどを2ブロックに渡って丁寧に作り直した。通りには石畳と路面電車のレールを再現し、通りから見える路地裏まで整備した[25]。
- 撮影を始める前にマンは法医学の専門家を呼んだ。その専門家は歩道に長さ2.5メートルぐらいの帯状の紙を敷くと、デリンジャーが歩き、撃たれて倒れ、頭を打ちつけたであろう各ポイントに印を付けた。ジョニー・デップはそれに習ってリハーサルを行なった[26]。
- 劇場内のシーンはシカゴのポーテージ劇場で撮影した。
- 1920年にフィルム上映専用の映画館としてオープンし現在に至る。
その他[編集]
FBI本部
- ウィスコンシン州会議事堂(626.Main St, Darlinton Wisconsin)
デリンジャーのニュース映像が上映される映画館
- パラマウントシアター(EastGalena Blvd 949,Aurora Illinois)
- 1931年にオープンしたアールデコ様式の劇場。シカゴで初めて空調設備を備えた劇場で[要出典]、建築費は100万ドル(現在の約1800万ドル)だったという。
ビリー・フレシェットが住むアパート
- ヴォートラヴァーズ・ビル(949W.Newport Ave, Chicago)
- 1894年に建てられた歴史あるアパート。すぐ横を走る線路の拡張工事が決まったが、建物は保存されることになり2021年に9mほど移動する大工事を行なった。
デリンジャーとフレシェットが出会うナイトクラブ
- アラゴン・ボールルーム(1106West Lawrence Ave, Chicago)
- 1926年にオープンしたダンスホール。
フレシェットが働くスチューベンクラブ
- オーディトリアムシアター(4360S.Michigan Ave, Chicago)のロビーを使用。
車両・航空機・機関車[編集]
車[編集]
博物館やコレクターたちから集めてきたクラシックカーは100台を超える。 ダークグリーンの1932年型スチュードベーカー・コマンダーは、デリンジャーが1933年のグリーンキャッスル銀行から逃走する際に使った実車である。イリノイ州のヒストリックオートアトラクション[27]が所有しており、保証金2万ドルと温度管理が出来る倉庫に保管する条件で貸し出した[28]。
流麗なスタイルの黒の1934年型ビュイック・4ウィンドウクーペは、ユニバーサルがこの映画のために博物館から購入した[29]。元の所有者はイリノイ州のヴォロオートミュージアムだが、ここは1980年代にマイケル・マンが手掛けた「特捜刑事マイアミバイス」のフェラーリ・デイトナの撮影車を所有している[30]。
コレクターが提供してくれた車のほとんどは素晴らしいコンディションだったが、単なる背景の一部として見せなくてはならないので、それらに土埃や泥を被ったようなエイジングを施した。返却するときには全て元通りにした[31]。
航空機[編集]
捕まったデリンジャーの移送に使用する1929年製フォードトライモーターは実験航空機協会(EAA)が所有する実機である。199機生産されたうち残存するのは6機のみ[32]。
蒸気機関車[編集]
シカゴのユニオン駅に到着する蒸気機関車はミルウォーキーロード261号。
フレンズオブ261[33]という非営利団体が所有しており、あるときユニバーサルから「きみたちの蒸気機関車をユニオン駅に乗り入れることは可能か?」と問い合わせがあったという。
撮影場所はシカゴのユニオン駅で、普段は通勤鉄道となっているメトラのプラットフォームが使われた[34]。だがこの機関車の製造は1944年以降なので、映画の時代には未だ存在していなかった。
VFX[編集]
本作品でVFXやCGで映像に手を加えたシーンは400箇所に及ぶという[35]。
- 冒頭のステーツヴィル刑務所の外観。門の前に建っている近代的な構造物をブルースクリーンで覆って消した。
- ファーストナショナル銀行でデリンジャーがカウンターを飛び越えるシーンは、ジョニー・デップが上手く出来なかったのでスタントマンにやらせ、顔の部分を合成した。
- フロリダ州ハイアレア競馬場のシーンはロサンゼルスで撮影し、背後の山を消してある。
- リトルボヘミアロッジの銃撃戦で、マズルフラッシュと着弾を大幅に追加した。
- 銃撃戦の最後のほうでスティーブン・ドーフが射殺されるシーンでは、血糊や着弾の土埃などをCGで描いている。
- 銀行の支店長が顔を殴られるシーン、デリンジャーが頭部を撃たれるシーンは、あらかじめ俳優の顔に傷のメイクをしておきVFXで隠している。
- デリンジャーの顔から流れ出る血はCGによるもの。
- 頭の形に削った発泡スチロールに液体を流して血の流れ方をシミュレーションした。
- フーバー長官を演じるビリー・クラダップのメイクが不自然な部分を修正。
受賞[編集]
出典[編集]
- ^ a b c “Public Enemies (2009)” (英語). Box Office Mojo. 2009年11月28日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2008年3月7日). “Bryan Burrough: Behind the Book, Not the Camera” (英語). Vanity Fair. 2023年6月27日閲覧。
- ^ Ebert, Roger. “Michael Mann: Seeing history through Dillinger's eyes | Interviews | Roger Ebert” (英語). https://www.rogerebert.com/. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Eye For Film: Public Enemies press conference with Johnny Depp, Michael Mann, Marion Cotillard”. www.eyeforfilm.co.uk. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Getting into the Role: Johnny Depp and Michael Mann visit John Dillinger's family farm | JohnnyDepp-Zone.com”. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Getting into the Role: Johnny Depp and Michael Mann visit John Dillinger's family farm | JohnnyDepp-Zone.com”. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Christian Bale Interview PUBLIC ENEMIES” (英語). Collider (2009年7月2日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ PHILLIPS, MICHAEL (2009年7月1日). “Accent on experience for Cotillard as Dillinger’s girl” (英語). Chron. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Eye For Film: Public Enemies press conference with Johnny Depp, Michael Mann, Marion Cotillard”. www.eyeforfilm.co.uk. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Depp's 'Public Enemies' Northwest Indiana filming marking 10-year anniversary”. Chicago Tribune (2018年1月23日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Midwest hopes for ‘Public Enemies’ tourism” (英語). NBC News (2009年4月30日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ “"Sit down when shots are fired"–Johnny Depp describes filming PUBLIC ENEMIES at Stateville prison | JohnnyDepp-Zone.com”. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Public Enemies Movie vs. Real John Dillinger, Melvin Purvis, Billie Frechette”. HistoryvsHollywood.com. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Public Enemies” (英語). 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Filming Locations for Michael Mann's Public Enemies (2009), around Chicago, Illinois, Wisconsin, Indiana and California”. The Worldwide Guide to Movie Locations. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Michael Mann toned down a scene in Public Enemies because the reality was so unbelievable” (英語). The Independent (2016年8月23日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ (日本語) Johnny Depp in PUBLIC ENEMIES - Columbus, WI 1930's Makeover 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Filming Locations for Michael Mann's Public Enemies (2009), around Chicago, Illinois, Wisconsin, Indiana and California”. The Worldwide Guide to Movie Locations. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “See Dillinger Bank Scene Shot Here”. archive.jsonline.com. 2023年6月27日閲覧。
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- ^ “Middle America guns for 'Public Enemies' tourism” (英語). www.vcstar.com. 2023年6月27日閲覧。
- ^ Ebert, Roger. “Michael Mann: Seeing history through Dillinger's eyes | Interviews | Roger Ebert” (英語). https://www.rogerebert.com/. 2023年6月27日閲覧。
- ^ (日本語) On Dillinger's Trail -Public Enemies behind the scenes 2023年6月27日閲覧。
- ^ Ebert, Roger. “Michael Mann: Seeing history through Dillinger's eyes | Interviews | Roger Ebert” (英語). https://www.rogerebert.com/. 2023年6月27日閲覧。
- ^ https://www.historicautoattractions.com/
- ^ writer, Ashley RhodebeckDaily News staff (2008年3月6日). “Museum lends Dillinger's escape car to filmmakers” (英語). Beloit Daily News. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “1934 Buick 3 Window Coupe” (英語). Volo Museum. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “The First Daytona Replica Built, Miami Vice TV Car | Volo Museum”. www.volocars.com. 2023年7月20日閲覧。
- ^ “Movie Cars from the set of Public Enemies and Road to Perdition” (英語). ABC7 Chicago. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “Ford Tri-Motor Tour” (英語). www.eaa.org. 2023年6月27日閲覧。
- ^ https://261.com/
- ^ “2008 Public Enemies” (英語). Friends of the 261. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “'Public Enemies': Fast and Loose VFX” (英語). Animation World Network. 2023年6月27日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト(英語)
- パブリック・エネミーズ - allcinema
- パブリック・エネミーズ - KINENOTE
- Public Enemies - オールムービー(英語)
- Public Enemies - IMDb(英語)