ホセ・サロメ・ピナ

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ホセ・サロメ・ピナ
José Salomé Pina
ホセ・サロメ・ピナ作のメキシコ皇帝マクシミリアンピウス9世の会見の習作
誕生日 1830年
出生地 メキシコ、メキシコシティ
死没年 1909年6月7日
死没地 タクバヤ(メキシコシティ)
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ホセ・サロメ・ピナ(José Salomé Pina、1830年 - 1909年6月7日)は、メキシコの画家である。サンティアゴ・レブル(Santiago Rebul)やホセ・マリア・ベラスコ・ゴメスと並んで、19世紀のメキシコを代表する画家の一人である。

略歴[編集]

メキシコシティで生まれた。メキシコシティの美術学校、アカデミア・デ・サン・カルロスでスペイン出身の画家、ペレグリ・クラーベに学んだ。22歳で旧約聖書のエピソードを題材にした作品を出展して注目され、翌年の作品も評価された。1854年にローマ留学の奨学金の得られるコンクールに優勝し、ローマに留学し、帰国後、1856年にはパリに留学する奨学金を得て、シャルル・グレールの工房で学んだ[1]。パリで描いた作品2点はアカデミア・デ・サン・カルロスに送られ、後にメキシコ国立美術館に収蔵されている。

1860年頃、再びローマに移り、ニコラ・コンソーニ(Nicola Consoni: 1814–1884)やポール・ガリオ(Paul Césaire Gariot: 1811–1880) に学んだ[2] 。1865年にはメキシコ皇帝マクシミリアンピウス9世の会見を題材に大作の依頼を受け、制作の準備を進めたが、帝政の終焉やピナのアカデミー教授就任などのために完成することはなかった。

ペレグリ・クラーベが1868年にスペインに帰国するため、後任のアカデミア・デ・サン・カルロスの教授に選ばれた。ピナはスペインのプラド美術館などを訪ねた後、帰国し1869年からアカデミーの教授の仕事を継いだ[1]。サロメ・ピナに学んだ学生には、レアンドロ・イサギレフェリックス・パラがいる。晩年はメキシコで宗教美術への関心が薄れたため学生からの人気は無くなっていいたとされる[1]

1909年に亡くなった。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c Jose Salome Pina (1830-1909)”. Artfact Biographies. Artfact. 2013年3月4日閲覧。
  2. ^ LA VIRGEN DEL REFUGIO DE SALOMÉ PINA Archived 2011-05-24 at the Wayback Machine. Por Eduardo Bàez M.