ベンジャミン・ギネス
ベンジャミン・リー・ギネス(Sir Benjamin Lee Guinness, 1st Baronet、1798年11月1日 - 1868年5月19日)はアイルランドの醸造家であり慈善家であった人物。初代準男爵でもあった。
醸造家
彼はアーサー・ギネス(Arthur Guinness)の3番目の息子、そして父と同じ名前を持ちギネス醸造所 (en) の創立者である祖父アーサー・ギネス (en:Arthur Guinness1725年 - 1803年) の孫としてダブリンで生まれた。彼は若いころから父の仕事に加わり、1839年には一人で仕切るようになった。1855年に父が亡くなるまでにはギネスはアイルランドで最も裕福な人物となった。これは輸出が拡大し続けていたことと、彼が常に醸造所を大きくし続けていたことの賜物であった。
ダブリンの政治家
1851年、改革された市政府の元で彼は最初のダブリン市長 (en:Lord Mayor of Dublin) に選ばれ、また1863年にはダブリンのトリニティーカレッジより名誉法学博士 (LL.D.) になった。1867年4月15日には特許権により準男爵となり、加えて同年5月18日には王許によって準男爵となった。彼は家族の手に入る支援者たちの補助金を持っていた。
1865年にはギネスはダブリン市の保守党の代議士として庶民院議員となり、死ぬまでこの議席を確保していた。なお、彼の時代の保守党のリーダーはダービー伯エドワード・ジョフリー・スミス・スタンレーである。
慈善家
1860年から1865年の間、彼は自身の出資で聖パトリック大聖堂 (ダブリン)の修復を行い、この事業には当時の金額で15万ポンド以上がかかった[1]。1865年には建物が首席司祭と聖堂参事会に返還され、2月24日には教会としての仕事が再開された。1865年12月31日には、ダブリンの市民や聖パトリックの首席司祭と聖堂参事会は、彼が都市のためにおこなったことへの感謝を表すために謝辞を送った。その謝辞は2つであり、後にパリ万国博覧会で展示された。ジョン・ヘンリー・フォーリー (en:John Henry Foley) による像は1875年に大聖堂の南側に立てられた。
その寛大さを認められて、彼は1867年に準男爵となった。彼は教会委員会 (en:Ecclesiastical Commissioners) ダブリン代表の一人であり、シンプソン病院の理事であり、さらにダブリン博覧宮殿の副会長であった。彼は爵位を得た翌年にロンドン、パークレーンの自宅で亡くなった。彼は死亡した時点で、聖パトリック大聖堂に隣接する大主教マーシュ公立図書館の修復に携わっていたが、これは息子のアーサーによって完了している。ギネスは、1855年に買い込んだゴールウェイ州アッシュフォード城(en)を中心として、多くの個人資産を用いて入念に古い遺跡を存続させることによるアイルランド考古学に実際の関心があったと明かしている。
家族
ギネスは1837年2月24日に彼のいとこであるエリザベス・ギネスと結婚した。エリザベスはダブリンのエドワード・ギネスの3番目の娘で、3人の息子と1人の娘を授かった。彼らはダブリン州北部のボーモントハウスに住んでいた。1855年には アッシュフォード城を、1856年には現在ではイーヴァーハウス (en:Iveagh House) と呼ばれる聖ステファン緑地 (en:St Stephen's Green) の80番地の家を購入し、ともに再建した。1860年代にアッシュフォード城はウィリアム・ワイルド (en) のコリブ湖に関する本で描写されている。[2]
彼は準男爵の位を彼の長男であるアーサー(Arthur)に継がせ、アーサーは兄弟であるエドワード(Edward)とともに醸造所を取り仕切った。3番目の息子であるベンジャミン (1842年 - 1900年) はイングランドに移り住み近衛騎兵連隊 (en:Royal Horse Guards) として働いた。娘のアン (1839年 -1889年) は1863年にウィリアム・プランケット卿 (en:William Plunket, 4th Baron Plunket) と結婚した。
彼はジェローム山共同墓地 (en:Mount Jerome Cemetery) の一族の墓に5月27日埋葬され、1868年8月8日には彼の動産は110万ポンド以下であると断言された。フォーリーによる彼のブロンズ像は1875年9月に大聖堂の南側に立てられ、2006年に修復された。
注
- ^ 参考ではあるが、聖パトリック大聖堂の少し後に修復が行われたクライストチャーチ大聖堂 (ダブリン)には23万ポンドがかかっており、そちらでは2006年のユーロ換算では2600万ユーロとなっている。
- ^ Wilde on Ashford
- この記事はパブリックドメインの辞典本文を含む: Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
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外部リンク
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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ダブリンからの英国下院議員 ジョナサン・ピムとともに 1865–1868 |
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