ベルナルト・デ・ヴェンタドルン

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ベルナルト・デ・ヴェンタドルン
Bernart de Ventadorn
BnF ms. 12473 fol. 15v - Bernart de Ventadour (1).jpg
誕生 1130年頃 - 1140年頃
死没 1190年頃 - 1200年頃
職業 トルバドゥール
国籍 プロヴァンス(現フランスの旗 フランス
活動期間 中世
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ベルナルト・デ・ヴェンタドルンBernart de Ventadornまたはベルナール・ド・ヴァンタドゥール Bernard de Ventadour, 生年:1130年ごろ - 1140年ごろ ~ 没年:1190年ごろ - 1200年ごろ)は中世プロヴァンスを代表するトルバドゥール

トルバドゥールのユク・デ・サンシルク Uc de Saint Circ(1217年? - 1253年?)によると、ヴェンタドルンはヴァンタドゥール城(現在のコレーズ県ムスティエ=ヴァンタドゥール)のパン職人の息子だったというが、年少のピエレ・ダルヴェルニェ Peire d'Alvernhaによる諷刺詩によると、父親は従者か兵士またはパン職人のいずれかで、母親も腰元かパン職人のいずれかだったという。ヴェンタドルン本人の初期の詩『 Lo temps vai e ven e vire』によると、保護者のヴェンタドルン子爵エブル3世から歌唱法と読み書きを学んだらしい。最初のいくつかの詩歌は、庇護者の奥方マルグリート・ド・テュレンヌのために創られた。


ヴェンタドルンはマルグリートと恋に落ちたためにヴァンタドゥール城を去ることを余儀なくされ、モンリュソンMontluçon やトゥールーズに旅し、ついにはアリエノール・ダキテーヌに従ってイングランドに渡り、プランタジネット朝の宮廷に仕えた。以上はヴェンタドルン自身の詩によって明らかにされている。その後トゥールーズに戻り、その地でトゥールーズ伯レーモン5世に仕える。さらにその後ドルドーニュに行き、修道院に入った。その地で亡くなったらしい。愛の主題を格調ある明澄な言葉で歌いあげ、トルバドール詩人中のラシーヌと称されている。以下に彼のカンソの一部を紹介する。

なんの不思議があろう 歌にかけてはこのわたしが
どんな歌うたいにもまさることに
愛する人に いやさらに心ひかれ
いよいよその意に従順になりゆくからには。
身も魂も 知も情も
力も能も かの人に捧げつくして
わたしは手綱で 愛する人のほうへ
引かれて行き
他の方へ行きつくことは決してない。


まことに死者であろう 甘い愛の味を
いささかもこころに感じぬものたちは。
愛なき生になんの価値があろう
人を無聊に苦しめることのほかに?
紙よ わたしをそれほどに憎まないで下さい
愛の欲望の消えはてて
このような無聊に苦しむののちも
なお一日、あるいは一月、生き存 (ながらえ)なばならぬほどには!


まことに心より いつわりなく
こよなく美しいかの人をわたしは愛す。
こころで吐息し、目に涙するのも
かくまでにかの人を愛し かの人ゆえに悩むため。
だが わたしになにができよう 愛する人に捕えられ
投げこまれたこの牢獄を開くのは
鍵ならぬ ただ かの人の慈悲のみならば
かの人の決して見せぬ慈悲のみならば?


この愛は 甘美な味で
わたしのこころをかくまでに愉しませる。
さればわたしは日に百度も悲しみ死に
日に百度も喜びによみがえる。
この美しい貌こそが わたしの不幸
さればわたしの不幸はどんな幸福よりも貴く
わたしの不幸がそれほどに佳きものならば
悩みのあとの幸福は いかばかり佳きものであろう


おお、神よ、いつわりの恋人たちから
まことの恋を知るものを見わけられ
うそつきや詐欺師には
ひたいに角をはやしてください。
この世の金と銀のすべてを
かの人にあげてしまいたい もしそれがわたしのもので
いかにわたしがひたすらに愛しているかを
恋人が知ってさえくれるならば。


かの人をうち見るときは
風にさからう木の葉のように
怖れのためにうちふるえれば
わたしの恋は 目に顔に色にあらわれ
わたしは愛にとらえられて
子供のように分別をなくす。
かくまでに征服されてしまった男に
恋人よ、大いなる慈悲をかけてくだだい。


美しい恋人よ わたしの望みは
ただただあなたのそもべとなり
美しい主君のあなたに侍することです
よし 報酬がいくばくのものであろうとも
ご覧ください あなたの御意のままに従うわたしを
邪心なく慎ましく嬉々として礼をつくすこのわたしを!
あなたは熊でも獅子でもない
だから たとえわたしを征服しても殺しはしない。


かの人の住むわがコルテスに
この歌を送る。返し歌の遅れしことに
かの人の怒らざらんことを。

— カンソ


ベルナルト・ヴェンタドルンは、12世紀の世俗歌曲の作曲家の中でも、現存する作品数において特異である。45点の詩のうち18点が、無傷のまま旋律が伝えられている。これはトルバドゥールの歌曲としては珍しいことである。アルビ十字軍が南仏の地を蹂躙してトルバドゥールを追い散らし、多くの資料を破壊したからである。これに比べると北フランスのトルヴェール歌曲は、伝承率がぐんと上がる。

しばしばヴェンタドルンは、トゥルヴェールの伝統が北仏において発展する上で最も重要な影響力をもっていたと見做されている。ヴェンタドルンは北フランスでも有名であり、その旋律は広く流布し、初期のトゥルヴェールの作曲家によって模倣されたからである。