ベリック条約 (1357年)
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ベリック条約 | |
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署名 | 1357年 |
署名場所 | ベリック・アポン・ツイード |
締約国 | イングランドとスコットランド |
主な内容 | 第二次スコットランド独立戦争の講和条約 |
ベリック条約(ベリックじょうやく、英語: Treaty of Berwick)は、1357年にベリック・アポン・ツイードで締結された、第二次スコットランド独立戦争の講和条約[1][2][3][4]。
第二次スコットランド独立戦争はスコットランド独立戦争の第2段階であり、1333年にイングランド王エドワード3世がロバート・ブルースの息子デイヴィッド2世の代わりにエドワード・ベイリャルを王位につかせようとしたことで勃発した[1][2][4]。
概要
[編集]条約によりイングランドは1346年のネヴィルズ・クロスの戦いで捕らえたデイヴィッド2世を釈放し[1][2][4]、その代わりに10万マークまたは6万7千スターリングの身代金を要求した。身代金は10年の分割払いで支払うとされたが、実際に支払われたのは2年目までであった[1][2][4]。1年目の支払いは期日どおりに行われ、2年目は遅れ、その後は全く支払われなかった[1][2][4]。身代金を支払うために増税が行われ、しかもデイヴィッド2世が身代金を横領し始めたため、民衆は憤慨し[1][2][4]、1363年には身代金に対する抗議が行われた[5]。
デイヴィッド2世はエドワード3世を継承者に指名することにも同意したが、これはスコットランド議会に拒否された[1][2][4]。継承問題はデイヴィッド2世が1371年に死去した後、ロバート・ステュアートが即位したことで解決した[1][2][4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “The Wars - second war”. Stirling Council. 2017年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Treaty of Berwick 1357”. Scottish Wars of Independence. 2017年4月22日閲覧。
- ^ “The Anglo-Scottish Frontier, 1329-1603”. The National Archives. 2017年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “David II (r. 1329-1371)”. The British Monarchy. 2017年4月22日閲覧。
- ^ Burg, David F. (2004). A World History of Tax Rebellions: An Encyclopedia of Tax Rebels, Revolts, and Riots from Antiquity to the Present. New York: Routledge
参考文献
[編集]- Mitchison, Rosalind (2002). A History of Scotland. Routledge. ISBN 978-0415278805
関連項目
[編集]- ベリック条約(曖昧さ回避)