ベティ・ナンセン

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ベティ・ナンセン
Betty Nansen
生誕 ベティ・アンナ・マリア・ミュラー (Betty Anna Maria Müller)
(1873-03-19) 1873年3月19日
死没 1943年3月15日(1943-03-15)(69歳)
職業 女性俳優演出家
配偶者 ピーター・ナンセン英語版
ヘンリック・ベンソン (Henrik Bentzon)
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ベティ・ナンセン1873年3月19日 - 1943年3月15日[1]デンマーク語: Betty Nansen旧姓: ベティ・アンナ・マリア・ミュラー (Betty Anna Maria Müller[2]) )は、デンマークの女性俳優であり、自身の名を冠したベティ・ナンセン劇場英語版演出家である。

来歴[編集]

1893年の秋、ビクトリアン・サルドゥ英語版の作品『ドラ』の表題役として、コペンハーゲンのカジノ劇場でデビューした[2]。さらに、ヘルマン・ズーダーマンの『故郷英語版』でヒロインのマグダや、アレクサンドル・デュマ・フィスの『椿姫』の表題役も演じた。1896年の秋、ベティは活躍の場を王立劇場に移し、王立劇場での初演としてヘンリック・イプセン社会の柱英語版』でマーサ役を演じた

1913年から1916年に掛けて、ベティは映画俳優としての経歴を作り上げるためにアメリカに渡航した。そこでベティは、J.・ゴードン・エドワーズ英語版 監督制作の映画に複数出演した。アンナ・カレーニナ英語版The Song of Hate, Should a Mother Tell, A Woman's Resurrection英語版, The Celebrated Scandal英語版などがそうした作品の例である[2]が、いずれも興行的に失敗した。

映画俳優としてのキャリアを築くことに失敗したベティは、デンマークのフレデリクスベア英語版にあるアレクサンドラ劇場の管理を引き継ぎ、自身の名を冠したベティ・ナンセン劇場英語版へと劇場名を変更した。1943年、ベティが69歳で死去するまでの間、26シーズン分の演劇を管理した[2]

私生活[編集]

1896年、オランダの大手出版社ギルデンダル社英語版所属の作家、ジャーナリスト、ディレクターのピーター・ナンセン英語版と結婚した。1918年にピーターが死去すると、俳優のヘンリック・ベンソンと二度目の結婚をした。

1943年3月15日に死去した。69歳だった。

出演映画の一覧[編集]

  • In the Line of Duty(1913年、短編)
  • Paradise Lost(1913年)
  • The Princess's Dilemma(1913年)
  • Moderen(1914年)
  • Was She Justified?(1914年)
  • In the Hour of Temptation(1914年)
  • The Fatal Oath(1914年)
  • Eventyrersken(1914年、短編)
  • The Celebrated Scandal(1915年)
  • Anna Karenina(1915年)
  • A Woman's Resurrection(1915年)
  • The Heart of Lady Alaine(1915年)
  • Should A Mother Tell?(1915年)
  • The Song of Hate(1915年)
  • Sonnen(1916年)
  • En ensom Kvinde(1916年)

出典[編集]

  1. ^ Hans J. Wollstein (1994). Strangers in Hollywood: the history of Scandinavian actors in American films from 1910 to World War II. Scarecrow Press. p. 227. ISBN 978-0-8108-2938-1. https://books.google.com/books?id=EPkqAQAAIAAJ 2010年7月30日閲覧。 
  2. ^ a b c d Betty Nansen”. Danskefilm.dk. 2010年1月5日閲覧。

外部リンク[編集]