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ヘレーネ・ヴァイゲル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘレーネ・ヴァイゲル
Helene Weigel
ヘレーネ・ヴァイゲル Helene Weigel
ブレヒトの『母』を演じるヴァイゲル(1967年)
生年月日 (1900-05-12) 1900年5月12日
没年月日 (1971-05-07) 1971年5月7日(70歳没)
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没地 ベルリン
国籍  オーストリア
配偶者 ベルトルト・ブレヒト
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ヘレーネ・ヴァイゲルは、オーストリア出身のドイツ(東ドイツ)の女優であり、劇作家ベルトルト・ブレヒトの妻として知られている。

生涯

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ヘレーネ・ヴァイゲルは1900年5月12日、オーストリアのウィーンに生まれた。父親はユダヤ人弁護士であった。1919年にフランクフルトで舞台デビューを果たし、1923年にはベルリン国立劇場ベルトルト・ブレヒトと出会った。彼女はブレヒトの作品に多数出演し、彼の演劇活動の重要な協力者となった。

亡命と帰還

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1933年のナチス政権樹立と同時に、ヴァイゲルとブレヒト夫妻はドイツからの亡命を余儀なくされた。彼らはチェコスロバキア(プラハ)、オーストリア(ウィーン)、スイス(チューリッヒ)、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、そしてアメリカ合衆国などを転々とする苦難の亡命生活を送った。第二次世界大戦終結後の1948年にスイスへと落ち着き、翌1949年には東ベルリンへ帰還した。

ベルリーナー・アンサンブルの創立と功績

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東ベルリン帰還後、ヴァイゲルはブレヒトと共に劇団ベルリーナー・アンサンブルを創立した。彼女はこの劇団の中心的女優として活躍し、ブレヒトが提唱した叙事詩演劇の確立に大きく貢献した。ブレヒトの死後、1956年からは1971年に自身が亡くなるまで、劇団の運営を率いた。

代表的な舞台作品

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ヴァイゲルの代表的な舞台出演作には、ブレヒトの戯曲である『母』(1932年初演)、『肝っ玉おっ母とその子供たち』(1949年初演)などがある。特に『肝っ玉おっ母とその子供たち』における主人公アンナ・フィアリング役の演技は高く評価され、彼女の当たり役となった。

ヘレーネ・ヴァイゲルは1971年5月7日に死去した。

参考文献

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  • 聖母と娼婦を超えて: ブレヒトと女たちの共生 | 谷川 道子
  • ロラン・バルトと演劇 - 京都大学 大学院文学研究科・文学部
  • 映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』全世界に「希望」を与えるには
  • ペーター・コンヴィチュニー特別講演会 「ワーグナー演出を語る」
  • ブレヒトと、彼を巡る多くの女性たちとの愛と性の真実・・・【情熱の本箱(345)】

外部リンク

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