プロジェクト‐ノート:紀年法

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本ノートページは、「ガイドライン」の改正に関わらない個別の紀年、紀年法についての検討・議論の場です。「ガイドライン」についてのご意見はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドラインにお寄せください。

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在位年と西暦との対照表について[編集]

上記のとおり、「年代の対応付けの制限」については合意が成立し、今後、少しずつでも修正が図られることになり、喜ばしい限りです。なお、上記の合意を元に記事を修正する際には、ここのノートへのリンクを要約欄に記載頂きますと、無用の混乱・軋轢を生む可能性が低くなりますので、皆さん、心がけて頂ければ幸いです。

さて、上記節でちえカラスさんが指摘された「在位年と西暦との対照表」について、折角議論が深まってきたところですので、引き続き話し合いたいと思います。私は自分の提案に固執するわけではありませんし、Kinoriさんのおっしゃることももっともであると思います。ただ、ちえカラスさんのご指摘については、現状のままでよいという意見は、今のところ見当たらないようにも思います。今のところ出ている案は、

  1. ろうの案:Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載
  2. Saigen Jiroさんの案:非史実を前提とした「日本書紀における古代天皇の西暦対照表」のようなページを作り、Aの表をまとめて記載
  3. Kinoriさんの案:冒頭部に「実在しない」と明記/表の節名のすぐ下に普通の大きさで「実際の年代とは考えられない」と記した下に表を掲載

であろうかと思います。

Saigen JiroさんはKinoriさんの案を受け容れたように見えます。私としてもKinoriさんの案に首肯できるのですが、そもそも問題を指摘されたちえカラスさんのご意見をお聞きしたいところです。ある意味、「常識」を弁えていると自分では思っている利用者だけで、現場で「常識」が通用しない学生を相手にしている方の意見がないままの改善案では、もしかしたら十分ではないかもしれません。Kinoriさんが言及した「冒頭部に実在しないことを明記する」の案に対し、ちえカラスさんがどのように思われるかを、まだお聞きしていませんので。--ろう(Law soma) 2013年3月25日 (月) 07:30 (UTC)

私としては、現行のように各天皇の項目毎に対照表を掲げる必要はないと考えます。別の項目、たとえば書紀紀年や皇紀などの項目に付属させるのが穏当だと考えるのですが、いかがでしょう。  Kinoriさんが言及されている平田俊春氏は、あの狂信的な皇国史観を唱道した平泉澄の門下生であり、戦後もあまり立場を変えずに活動されたようです。それゆえ、「書紀の紀年には誤りがある」といわれても、本音は違うところにあるのではないかと想像しますね。したがって、氏の歴史年表は特異なものといってよいでしょう(吉川弘文館の『日本史総合年表』などを見て下さい)。標準的で安定した説を中心とした百科事典を目指すwikiで取り上げるべきものではないと判断します(学説史の整理では良いでしょうが)。また、分類Aの記紀記載は大半が伝承的記事であり、逐一西暦に対応させることはできません。  以上の理由により、現行の対照表のあり方は変更するべきだと考えます。--ちえカラス会話) 2013年3月26日 (火) 13:06 (UTC)

要約欄に何やら見られない記述が登場したのを見て、慌てて駆けつけて参りましたので、従来の議論に対する認識不足があれば御寛恕戴ければ幸いです。私は消極的意味で対照表はあった方がいいという立場です。私自身、継体天皇以前の紀年は疑いをもってはいるのですが、かと言って記紀に記載された伝承を流れとして把握するためには、分かりやすい指標がないのも百科事典としてどうかと思います。例えば、履中天皇の2年と反正天皇の3年が時系列としてどっちが先でどっちが後かと認識するためにはそれぞれの天皇の在位順位と在位年から利用者に計算させると言うのは、私は利用者に対して甚だ不親切であると思います。この場合指標として使用可能なのは西暦か皇紀になるのでしょうが、今の時代に皇紀を使っている方を探す方が難しいくらいですので、残るのは西暦ということになると思われます。勿論、あくまでも対照表は便宜上設けるということでしかないので、非実在の可能性については明記する必要性はあるのは当然のことです。--水野白楓会話) 2013年3月26日 (火) 16:23 (UTC)

(個人的な提案)あと、この問題は日本史とか皇室史とかの問題にも関わって来るので、プロジェクト:日本史プロジェクト:日本の皇室の参加されている方にもお声をおかけした方がいい気がするのですが、ご検討いただければ幸いです。--水野白楓会話) 2013年3月26日 (火) 16:33 (UTC)
(ちえカラスさんへ)ありがとうございます。仰る趣旨は分かります。
ところで、Wikipedia日本語版には「中立的な観点」という方針があり、むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。となっております。その方針上からは皇国史観であっても掲載する必要があります。勿論、現在科学的な批判があり、主流派ではないことは明記する必要はありますが。
ちえカラスさんのご意見は、Saigen Jiroさんの案と「各天皇記事には記載せず別の記事に掲載する」という意味では同種のものと整理してよろしいでしょうか。
(水野白楓さんへ)ありがとうございます。早速プロジェクト:日本史プロジェクト:日本の皇室に案内しました。
(皆さんへ)概ね論点は、表を分割統合するか否かという点にあるように思います。折角他プロジェクトに周知しましたので、もう少し他のご意見を待ってみて、それから具体的に議論を始めたいと思います。--ろう(Law soma) 2013年3月27日 (水) 08:08 (UTC)

(Law somaさんへ)ご指摘のように、私の意見はSaigen Jiroさんの案とほぼ同一と考えていただいて結構です。ただ、平田俊春氏作成の年表をわざわざ掲載する必要はやはりないと考えます、「中立的な観点」からしても。触れるなら研究史のなかで、ということではないですか。--ちえカラス会話) 2013年3月27日 (水) 13:32 (UTC)

『日本史総合年表』第2版を見ました。この年表では、在位年の対照が西暦500年、武烈天皇2年からはじまっています。それ以前は一年一年に欄をつくる形式ではなく、事項がとびとびに配列されています。500年以前は一律に否定すべきと考えているのでないことは、とびとびになった中に一部神功紀の事件をとるところから察せられます。単純に考えて、古い時代について対照表を組まないのは、空白ばかりのページを作りたくないからではないでしょうか。
『最新歴史年表』では、前660年について縄文文化晩期と記し、以後長く書紀の紀年と並行させます。そして崇神天皇以降について、諸学説の紀年を書紀の紀年と並行して示します。もちろん学説は書紀のものより下ります。学説欄を除くのは推古天皇以降です。つまり『日本史総合年表』のほうが書紀を軽信していると、言おうとすれば言えてしまいます。前660年から表を組んだことに底意はあるのですが(10年1ページだからページ数を10倍すれば皇紀が計算できると書いてあります)、「狂信的な・・・門下生」による「特異なもの」といった見方で退けられるような、程度の低いものではありません。
書紀編者は、記した年代を書紀の中だけの話として記したのではありません。中国や朝鮮の史書にある倭人・倭国関係の記事を意識していました。神功皇后66年は西暦266年で、西晋の泰始2年。台与の遣使の年です。神功皇后49年は249年、その干支は己巳で、干支が2巡した120年後の己巳、369年が、百済の近肖古王24年にあたります。ここらあたりの歴史を学んだことがある人なら、こうした参照を珍説・奇説とは言わないでしょう。『最新歴史年表』の便利なところは、こうした参照が簡単にできることでした。そして今日ではウィキペディアでも同じようなことができます。便利な時代になりました。愚かな民衆に誤用されないためという理由でこの便利さをなくす提案には賛成しがたいです。
しかしともかく両書は年表であり、ウィキペディアでそれに該当するのはプロジェクト:紀年法で管理される1年などの西暦年記事です。1年のページから「垂仁天皇30年」「皇紀661年」といった記述を除き、そこだけ別ページを参照させようという提案ならまだわかるのですが、人物記事から年代だけ別ページに移すのは、おっしゃる懸念と関係ないのではないでしょうか。人物記事から移しても、我々はただ不便になるだけで、誤解のおそれは増えもせず減りもしないと思うのです。--Kinori会話) 2013年3月28日 (木) 15:43 (UTC)
神社記事などを執筆しておりますので、各地の神社で孝元天皇の御宇創建と伝えられていること等には個人的に興味を引かれています。でも孝元天皇を紀元前の人物と考えたことはありません。(実在しても卑弥呼の時代の人でしょう。)Kinoriさんのご意見を伺って思ったのは、結局のところ、仁賢天皇以前は、逐一人物記事に表を付けずとも、「上古天皇在位年と西暦対照表(仮称)」へのリンクを貼るだけで足りるのではないか、ということです。そして、その方が複数の説を併記しやすく、更に干支のチェックもし易いのではないか、ということも考えました。--ろう(Law soma) 2013年3月29日 (金) 00:36 (UTC)
Law somaさん、議論を進めて頂いてありがとうございます。私としては分割表でも統合表でも、表が存続するならば異論はありません。議論を伺う限りでは、Law somaさんのおっしゃる統合表に関して、時系列の認識上さらに便利になるので作成したいと考えています。現状では「分割表から統合表への移行」には反対があっても「分割表と統合表の併存」には異論がないようですが、「統合対照表の作成」自体については皆様いかがでしょうか。異論がなければ、議論を「統合表作成のレイアウト」の議論と「分割表の存廃」の議論に分けたいと思います。--Saigen Jiro会話) 2013年3月29日 (金) 12:35 (UTC)
(話は本筋からずれますが)前記と関連したことで、現行のWikipediaは「各国の元号→西暦」や「各西暦年ごと」の記事は充実していますが、「各西暦年が各国の元号の何年にあたるか」をまとめて扱った記事が無いように思います。例えば『日本古代史辞典』には西暦とともに干支・年号・改元月日・天皇・中国の皇帝名と元号・朝鮮の王名と元号をまとめた表があるのですが、そういった網羅的な「東アジア年号対照表」があっても良いし作成しようかと思います。その場合は史実ですので、A・Bグループは除いた方が良いとは思いますが。--Saigen Jiro会話) 2013年3月29日 (金) 13:05 (UTC)(追記)

Law somaさんのご提案で結構ですが、再度、現行のあり方(分割表)を廃止していただくことを希望しておきます。その理由は、一般の方のいらぬ誤解を防ぐためであり、将来の改善(改悪)に際しても統合表の方が対応しやすいと考えるからです。各天皇の項目毎に対照表を逐一掲げるのは無駄でもあり、一カ所に統合するのが様々な情報を加える場合も都合が良いでしょう。  Kinoriさんのような詳しい知識をお持ちの方は、少し不便になりましょうが、我慢していただきたい(wikiを簡便に利用する人が多くなっているのですから)。紹介して下さった『最新歴史年表』の巧妙さを一般の方はおそらく見抜くことが出来ないでしょう。ですから、かなり詳しい説明が必要となるはずです。そのためにも統合表の方が都合が良いと考えます。--ちえカラス会話) 2013年3月30日 (土) 01:53 (UTC)

統合表を用意することに賛成します。そして人物記事にも今まで通りに置くのがよいと思います。「隠す」「表示」機能があるのですから、置いて邪魔になるものではないでしょう。ウィキペディアは紙数の制限を受けないので、大型で分厚い『日本史総合年表』を量で超えてもいいのです。そして繰り返しになりますが、知識制限が良いこととは思えません。民衆を善導するために余計な知識をカットして正統思想だけを刷り込む、というのは明治の文部省が考えたことではありませんか。正反対の方向で同じことをしても良いことはありませんよ。だから私には、ちえカラスさんが考える便益が便益と思えないのです。人物記事から対照表を除くのは、1クリック余計にかかる不便にすぎませんから、私の反対も気持ちとしては少しの反対です。しかし得られる利益がないことに、賛成の気持ちはおきないのです。--Kinori会話) 2013年3月31日 (日) 01:18 (UTC)

残念ながら、Kinoriさんの同意を得るには時間がかかりそうですね。ならば、ともかく現在の誤った対照表を削除することだけでも同意して下さい。そうでないと、私の問題提起と皆さんのご協力でせっかく訂正された、各天皇の項目での内容や歴代天皇表の記載と対照表との矛盾が放置されてしまうことになるからです。何度も書きますが、現実に弊害が生じているのですから、早急に削除をお願いしたい。  それにしてもKinoriさんを代表として詳しい知識をお持ちの方々が、これまでのwikiの記載をなぜ放置されてこられたのでしょうか、不可解でなりません。--ちえカラス会話) 2013年3月31日 (日) 07:34 (UTC)

いや、詳しい知識を持っているからこそ、置いて邪魔にならない表をあえて除去する気にならなかったのですよ。私も含めて。本文に非実在性を書いてあれば、それでよしとしてきた利用者の気持ちはわかります。常識ですから。ですが、ちえカラスさんの提言で、その「常識」が通用しない一部の現実を知らされた訳です。
私は今もってKinoriさんのご意見も理解出来ます。だから、例えば各天皇記事においては「隠す」機能を必須として、更に「日本書紀による」、「実際の年代とは考えられない」と明記しさえすれば事足りるという気持ちもあります。私個人としては、どちらでもよいのです。ここでは、折り合いのつく着地点を模索しているだけなのです。--ろう(Law soma) 2013年4月1日 (月) 03:30 (UTC)

Law somaさんが書かれたことは理解できないですね。現行の対照表は現在の学問水準からみて、明らかに誤ったものです。それをそのままにして「置いて邪魔にならない」と受け止めるのは、歴史学の根本である年代観を理解されていない、ということになりますよ。  いずれにせよ、誤った現行の対照表は早急に削除するべきです。どのように改善するのか、新しい対照表をどのように掲示するのか、などはその次の段階で良いでしょう。--ちえカラス会話) 2013年4月1日 (月) 13:58 (UTC)

何と言いましょうか、現行の対照表が現在の日本史の学問水準からみて誤ったものであることに異論はないのですよ。ただ、「そう言われてきた」という資料なのです。天皇記事は日本史分野が主領域になりますが、神道や民俗学の範疇にも入るものです。伝承であり現在の学問水準からみて事実とは認められないことが明記されていれば、それでもよい、という立場です。
もちろん、これまで私の個人的意見を押しつけようと議論してきたわけではありません。私の出している「折り合いのつく着地点」は、今でも「Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載」です。ちえカラスさんが許容されるなら、「Aの時代に関しては、年表記事へのリンクのみ」と変更しますが。Kinoriさんも、「私の反対も気持ちとしては少しの反対です。」とおっしゃっているように、何が何でも反対な訳ではありません。この場面でちえカラスさんにお願いしたいことは、ご自分が理解出来る出来ないではなく、「得られる利益」の明確な説明です。--ろう(Law soma) 2013年4月2日 (火) 01:23 (UTC)

Law somaさん、「「得られる利益」の明確な説明」とありますが、どういうことでしょうか。何度も書きましたように、知識のあまりない学生たちの誤解を防ぐためですが。また、現状でのwiki記載の矛盾を解消するためです。これで、よろしいでしょうか。  ところで、神道や民俗学に興味を持たれているのですか。それならば、仰ることが分かりやすくなります。両分野ともに時代による変化をあまり認めようとはしませんから。ただ、神道というのは、学問というより信仰という要素が混入してきますね。注意が必要となるでしょう。また民俗学についても慎重さが必要でしょう。それは、主な素材となる伝承というものが奇想天外な一面をも含みうるからです。その一例として、民俗学を専攻する方から聞いた話を紹介しておきます。それは、兵庫県の明石には光源氏の子孫と自称する一家(族)が存在する、というものです。その伝承がどのような経緯で成立したのか、詳しいことは確認できなかったのですが、伝承というものの一面を象徴していると言えるでしょう。また以前に記したことですが、伝承にはいくつもの層が重なっており、それを一つ一つ慎重に弁別する必要もあります。そして、その確かな方法は未だに見出されていないでしょう。ですから、古代史では両分野にはあまり関わらないのです。その辺りが、一般の方には不満なのでしょうが。--ちえカラス会話) 2013年4月2日 (火) 13:40 (UTC)

「「得られる利益」の明確な説明」と書きましたのは、Kinoriさんが2013年3月31日 (日) 01:18 (UTC)に「しかし得られる利益がないことに、賛成の気持ちはおきないのです。」と書かれていることに対応しております。表の除去に消極的にではあれ反対しているKinoriさんに、その「得られる利益」を、これまでちえカラスさんが書かれてきたことに加えて何か説明されては如何かと思った次第です。
神道や民俗学に関して、私自身が興味を持っているか否かは、特に関係ありません。百科事典の利用者は、そのような分野に興味があって調べたいと思っている人も含まれるということを言いたかったのです。Wikipediaは百科事典であり、歴史用語辞典でも人物事典でもありません。複数の分野にまたがる項目については、複数の視点が欠かせないのです。私は天皇記事が「日本史分野が主領域」という事実は認識しております。それでも他分野への配慮をしつつ書かねばならないのではないでしょうか。--ろう(Law soma) 2013年4月3日 (水) 01:16 (UTC)
私見を。統合表への移行を私も初めは考えていたので、私の考えた「得られる利益」を挙げると、
  • 「余計なワンクリック」という「不便」を通して、初学者が「その天皇の非実在」をより認識できる。
  • 「他の天皇のページにはあるのに対照表がない」ということからも、それをより認識できる。人間は文には目を通さながちなので(これまでの人生経験上)。
の2点を考えておりました。あくまでも初学者に対してのみですが、ちえカラスさんの言う「弊害」が上記により防げるのならば、それは「利益」にあたるのではないでしょうか。--Saigen Jiro会話) 2013年4月3日 (水) 07:52 (UTC)

Saigen Jiroさん、私の意見を補足して下さって、有り難うございます。しかしLaw somaさんの指摘される「他分野への配慮」も、他の項目記事と矛盾し、しかも誤った情報を提供したのでは意味をなさないでしょう。ですから、まず現在の対照表を削除した後に、統合表へ移行するのか、分割表も並行して掲示するのか、また、対照表の内容をどこまでとするのか、などについてじっくりと議論するのが最善ではないですか、と提案しているわけです。いかがでしょうか。--ちえカラス会話) 2013年4月3日 (水) 13:35 (UTC)

「Aの対照表を併存するかしないか」が現状の着地可能点なのに「まず削除」では議論にならないでしょう。また、現行の対照表がその期間Wikipediaのどこにも無くなる状態になることを考えると、少なくとも私は同意できません。対照表が継続される編集をしていくべきと考えます。これまでの「人物記事にも今まで通りに対照表を置くのがよい」という意見に対して「誤った対照表を削除することだけでも同意して下さい」という件や、「「得られる利益」の明確な説明を」に対して「そんなことより早く削除を」という姿勢のように、建設的な議論をする姿勢がちえカラスさんから見えないため、もっと早くまとまる議論もまとまらないのです。私としても早く収束させたいので、先にも補足させて頂きました。
(追記) 統合対照表の作成自体には異論はありませんでしたので、上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧としてとりあえず作成しました(copy&pasteながら)。これで議論もしやすくなれば幸いです。--Saigen Jiro会話) 2013年4月3日 (水) 16:45 (UTC)
Saigen Jiroさん、お手数をおかけしました。ありがとうございます。ちえカラスさん、私は最初から「Aの時代に関しては、掲載しない/Bの時代では、「日本書紀による」と明記/Cの時代では、掲載」と言っており、また、追加で「Aの時代に関しては、年表記事へのリンクのみ」でもよい旨提示しております。いずれ、ここで話し合っていることは、お互いの立場についての論争ではなく、お互いの考えているメリット・デメリットを考慮した場合、どのような記述が最も読者のためになるかということです。前向きに着地点の模索にご参加ください。Kinoriさん、おっしゃる「利益」として、上記Saigen Jiroさんご提示のメリットに加え、繰り返しになりますが私が上で書いた「複数の説を併記しやすく、更に干支のチェックもし易い」もご検討ください。現状の(Saigen Jiroさん作成の)統合表を縦表に修正し、列を加え、別の説を追加すれば、もっと使い勝手がよくなり誤解も少なくなると考えております。--ろう(Law soma) 2013年4月4日 (木) 00:14 (UTC)
(追記)統合表が作成された現状での今後の進め方について、私としては、
  1. 各天皇記事にある対照表を削除するか否かの合意を得る
  2. 統合対照表の体裁・内容をどのようにするのか話し合う
の順で進めていきたいと考えております。Kinoriさんのレスポンスをお願いします。--ろう(Law soma) 2013年4月4日 (木) 00:19 (UTC)
作成してくださったSaigen Jiroさんに感謝します。統合表には人物別の表では得られない利益がある、という点にはまったく同意です。その利益の中には、Law somaさんが挙げたこともあるでしょうし、また別の良い点もあるかもしれません。それに対し、人物別の表では西暦年にたどりつくまでの検索時間の短さという、これまた軽視できない利点があります。両方にメリットとデメリットがあるのなら、両方残して利用者に好きなようにさせればよいというのが私の考えです。既に述べたことの繰り返しになりそうですが、一般的に学問というものは、誤った説を見せないように、触れさせないようにと動くものではないはずです。愚にもつかない珍説は別段として、日本書紀の紀年は、現代の歴史学でも全然参照されないものではないのですから。そして、我々が作ろうとする百科事典は、中学・高校生ややる気がない大学生に読者を絞ったものではなく、調べる意欲と日本語を読む能力を持ったすべての人を対象にしたものでしょう。そういう意味で、Saigen Jiroさんが挙げた欠点については、人によってはそういう事もあるかもしれないが皆がそれに縛られることはないだろう、と考えるのです。しかし、まあ、私が強く反対するのは全然消してしまうことです。リンクを引いて場所を移すことに強い反対はありません。両方に置くという意見に納得していいだけるならありがたいことですが、皆さんがそうは思わないと言うなら仕方がないかと思っています。--Kinori会話) 2013年4月5日 (金) 13:24 (UTC)

Saigen Jiroさんに誤解させるような書き方で、申し訳なかったです。わたしが対照表をいったん削除してはいかがか、と記したのは「Kinoriさんの同意を得るには時間がかかりそうですね。ならば」ということであったのです。もちろんKinoriさんが同意して下されば、先へ進めてもらって結構です。ですから、Law somaさんが提示された手順で話を進めていくことに異存はありません。ただ、いささか納得できないのは、編集に関わっている皆さんの便宜を考慮する必要があるのか、ということです。しかし、こうした疑問を提示することで議論の進行を阻害しようとするものではありません。--ちえカラス会話) 2013年4月6日 (土) 14:12 (UTC)

皆さんのご意見はもっともではありますが、着地可能点となるとLaw somaさんの案となるでしょうか。私もそれに同意します。Law somaさん、いかがでしょう。--Saigen Jiro会話) 2013年4月6日 (土) 15:47 (UTC)

皆さん、ご意見ありがとうございます。いずれ、現在のところSaigen Jiroさんが作成してくださった統合表を削除すべきという意見はありません。個別天皇記事の対照表の除去に関しては、Kinoriさんが消極的反対、ちえカラスさんが積極的賛成、Saigen Jiroさんと私が消極的賛成といったところではないか、と受け止めております。
では、Kinoriさんには申し訳ありませんが、個別天皇記事における対照表について、「Aの時代に関しては、除去し、統合表へのリンクを貼る/Bの時代では、「日本書紀による」と明記して対照表を残す/Cの時代では、これまでどおり掲載する」という案でいきたいと思いますが皆さん如何ですか?--ろう(Law soma) 2013年4月8日 (月) 01:03 (UTC)
賛成 異論ありません。--Saigen Jiro会話) 2013年4月8日 (月) 03:41 (UTC)

私も賛成します。よろしく進めて下さい。--ちえカラス会話) 2013年4月8日 (月) 12:17 (UTC) 

賛成ではありませんが、私一人の反対で止めるようなことではありませんので、そのように進めてください。--Kinori会話) 2013年4月8日 (月) 23:52 (UTC)

皆さん、特にKinoriさん、ありがとうございます。それでは、各プロジェクトにも周知していますので数日異論を受け付けますが、概ね合意できましたので来週には作業にかかりたいと思います。--ろう(Law soma) 2013年4月9日 (火) 00:10 (UTC)

相当期間異論がありませんでしたので、各天皇での作業を行いました。--Saigen Jiro会話) 2013年4月17日 (水) 01:19 (UTC)
Saigen Jiroさん、まとまった時間がとれなくて取りかかっておりませんでした。ありがとうございました。--ろう(Law soma) 2013年4月17日 (水) 03:23 (UTC)
横からのレスで失礼ですが、上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の作成にあたり、Wikipedia:ページの分割と統合にある「編集履歴の継承」は考慮されたのでしょうか? 要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧へ統合」か「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧へ一部転記」と記されていれば最低限の条件はクリアされたのですが。このままだと誰かが削除依頼したら受理されかねません。--SRIA会話) 2013年4月17日 (水) 06:35 (UTC)
SRIAさん、ご指摘ありがとうございます。完全に抜かっておりました。今からどんな対処をすれば良いでしょうか?--Saigen Jiro会話) 2013年4月17日 (水) 12:10 (UTC)
私も確認しておりませんでした。申し訳ありません。今後の対処としては、最も筋が通った適切なものとしては、1.各天皇記事から表を除去した編集を一旦全部を取り消した上で、要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧に転記・分割」と書いて再度除去する。2.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を空編集し、要約欄に各天皇記事のリンクを貼って(入らないならノートに書いてノートへのリンクを貼るのも可かと思います)「~より転記」と書く。3.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の特定版(第1版と第2版)削除依頼を出す。というものでしょう。
とは言え、現状ではここのノートへのリンクも貼られており、一応の履歴訴求性は確保されています。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧の削除依頼を出してコメントを募集することを先にするというのも、一つの手かもしれません。--ろう(Law soma) 2013年4月18日 (木) 00:03 (UTC)
(インデント戻します)返事が遅くなりました。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧は、現時点でSaigen Jiroさんの履歴しか存在しないので、初版投稿者による即時削除依頼が可能です。記事冒頭に「{{即時削除|全般8|コメント=要約欄でのコピー元履歴の不掲載}}」と貼れば、Wikipedia:削除依頼にかけなくとも管理者権限ですぐに記事が削除されます。その後、1.各天皇記事から表を除去した編集を差し戻し、2.上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を再作成して、要約欄に各天皇記事のリンクを貼り、3.各天皇記事から表を削除して要約欄に「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧に統合」とすれば問題ないと思われます。多分この方法が一番すっきりして簡単だと思います。--SRIA会話) 2013年4月18日 (木) 16:30 (UTC)
Law somaさん、SRIAさん、お返事ありがとうございます。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧を一旦削除依頼にし、各天皇記事も変更前に戻しました。今後、一覧を再作成し、各天皇記事からの統合の旨を(要約欄に入りきらないので)一覧のノートに記載するとともに、各天皇記事においてもご指摘のようにすることといたします。対処方法を教えて頂き、感謝申し上げます。--Saigen Jiro会話) 2013年4月19日 (金) 14:32 (UTC)
一応、一連の作業を終えました(これでよろしければ)。お手数をおかけし申し訳ありませんでした。--Saigen Jiro会話) 2013年4月19日 (金) 14:58 (UTC)

Saigen Jiroさん、Law somaさん、本当に有り難うございました。これで、wikiの記述もようやく正常なものとなりました。感謝致します。--ちえカラス会話) 2013年4月21日 (日) 04:30 (UTC)

報告 Saigen Jiroさんはじめ、議論にご参加の皆さん、お疲れ様でした。以後、統合対照表の体裁・内容をどのようにするのか話し合う場は、当該記事のノートで行うべきだと思いますので(それほど急ぎの案件ではないものの)、こちらでお願いします。--ろう(Law soma) 2013年4月22日 (月) 00:48 (UTC)

Template:日本の元号について[編集]

はじめてこちらに書き込ませていただきます。Template:日本の元号が、以前の「前後の元号を指定して表記する形式」から一覧テンプレートに変更され、Template:中国の元号Template:ベトナムの元号と形式が乖離するようになっています。編集されたY.kansuke氏は9月以降編集行為を行われていないので、こちらで意見を求めることにした次第です。私個人としては「日本」か「中国・ベトナム」のいずれかの形式に統一するほうが望ましいと思いますので、ご意見をいただければと思います。--F.M.H会話) 2013年11月24日 (日) 10:59 (UTC)

報告 時間が経っていることに鑑み、上記の投稿者の会話ページで質問をしています。回答を待ってからコメントなど行いたいと思います。--ボンバスパンチ会話) 2019年2月3日 (日) 06:51 (UTC)

和暦を西暦単年記事の冒頭末尾に付ける提案[編集]

2014年等の各西暦年記事の冒頭への和暦(平成26年など)の追記を提案します。

  • ex: 2014年(2014 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。平成26年。

(冒頭最後尾に追記)

和暦テンプレートの使用停止により、テンプレートを使用していた各一般記事では和暦を手入力で記入する方法に切り替わりましたが、この作業の手助けと記述ミスを防ぐために、各西暦年記事の冒頭に和暦を追記したいと思います。各一般記事から西暦年リンクをクリックすることによって和暦を(画面をスクロールせずに)確認できます。なお、一部地域に特化した記述に関する規約「WP:JPOV」ですが、この規約は他の各暦を同列に扱わなければならないという結論を導き出すものではありません。

関連議論

--Triglav会話) 2014年8月11日 (月) 02:45 (UTC)

書き加えました。--Triglav会話) 2014年11月3日 (月) 04:18 (UTC)
コメント
  • (賛成)西暦から和暦(およびその逆)を調べることがわりと多く、「和暦→西暦」はすぐわかるのに「西暦→和暦」はスクロールしないといけないのが、ほんのひと手間とはいえ毎度不便で、開いた瞬間に目に入る場所にあったらいいなあと常々感じていました。たとえば1872年なら冒頭末尾に「日本天保暦では明治4年11月21日 - 明治5年12月2日にあたる。」などと書かれていたら、日本関連記事の執筆のとき、とても助かります。--miya会話) 2015年4月9日 (木) 03:47 (UTC)

会話ページでの助言に従い、和暦表示を冒頭テンプレートの中に収容しました(明治6年~平成80年)。天保暦以前についてですが、日本史執筆陣はこの点に関してとても優秀ですから、変換の難しさも十分に配慮してくださるでしょう。まずは、西暦置換が進んでいる近代(わかりやすく言うと日本史以外の日本の事象すべて)を編集する執筆者を支援して、それから天保暦以前を別途考えてみましょう。--Triglav会話) 2015年4月15日 (水) 14:35 (UTC)

安閑天皇在位の西暦対照について[編集]

第27代天皇安閑天皇の在位の西暦対照についてです。

現在、「安閑天皇#在位年と西暦との対照表」の表(‎Nnhさんによる2007年2月1日 (木) 09:25(UTC)時点の版で追加)において、「年代は『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えたもの。」という注意書きとともに、安閑天皇元年を西暦532年とするものから、同4年を535年とするものまでの天皇在位の西暦対照が記載されています。また、「532年」より「535年」までの各西暦記事においても「ほかの紀年法」節で同様の内容が記載されています。これらの記載は、『日本書紀』において安閑天皇の先代である継体天皇の崩年が継体天皇25年(531年)であり、崩御の日に「立大兄為天皇」(大兄(勾大兄皇子、安閑天皇)を立てて天皇と為す)という記述があるために、その翌年を安閑天皇元年と考えたものと思われます。しかし『日本書紀』には、安閑天皇元年条の末尾に「是年也太歳甲寅」とあり、甲寅年は534年に当たるため、安閑天皇は(理由は不明ながら)即位の3年後を元年としたものと考えられます。よって、『日本書紀』を根拠とする限り、「安閑天皇」の記事の表および各西暦記事は534年を安閑天皇元年、535年を同2年に修正するべきと考えています。しかしその場合、532年と533年をどう扱うかという問題が生じてしまいます。よって、これらの事柄について1週間意見を募集したのち、編集を行いたいと思います。なお私としては、532・533年については「安閑天皇」の表は「-」(ハイフン)に、各西暦記事は「(在位:安閑天皇)」のように修正することを考えております。--61.125.219.213 2018年5月10日 (木) 12:57 (UTC)

コメント ご連絡を頂いたので参りました。当該時期の紀年には揺れがあり確定出来ませんので、一説に寄るべきではないと考えます。不記載(ハイフン)とするより複数説併記すればよいかと。信頼性の高い二次資料・三次資料ではこの時期の紀年についてどう記載されているか情報を頂けると、判断材料になります。--Saigen Jiro会話) 2018年5月10日 (木) 20:15 (UTC)
提案者です。二次資料・三次資料についてはまだ確認しておりませんが、「安閑天皇」の表については「年代は『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えたもの。」とある以上『日本書紀』の紀年を第一とすべきかと思います(現在の記事には参考文献の記載がないので、どのような書に記載されている説なのかわかりません)。その上で現状の表を併記することが最善策ではないでしょうか。--61.125.219.213 2018年5月10日 (木) 21:09 (UTC)
以上、『日本書紀』の記載を中心に述べてきましたが、『本朝皇胤紹運録』に異説を発見したため記載します。
  • 継体天皇項 - 「(前略)廿五年二月崩。(中略)此後二年子丑王位。(後略)」 「」とは子年の532年と丑年の533年を指します。この期間は安閑天皇在位ではなく空位だったということです。
  • 安閑天皇項 - 「(前略)天皇元年卽位。(後略)」 「天皇元年」は534年ですので、安閑天皇の即位は『日本書紀』に記される継体天皇25年(531年)ではなく安閑天皇元年(534年)だったということです。
これらの記述を使用すれば、『日本書紀』で532・533年が安閑天皇在位として数え始められていない理由が説明できるので、この説も併記する諸説に加えるべきと思われます。その場合、532・533年は空位期間の他例(例えば「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」の神武天皇77年~同79年)にならい、それぞれ(継体天皇26年)・(同27年)としておくのがよいでしょう。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 03:37 (UTC)
さらに異説を(こちらを先に記載するべきでした)。『日本書紀』継体天皇段に、割注の形式で「或本云、天皇廿八年歲次甲寅崩。」(或本に云ふ、天皇廿八年歲次甲寅534年)崩す。)とあります。これを採用すれば、継体天皇の崩年は安閑天皇元年と同年となります。この説を記すことも、記事の正確性確保には不可欠でしょう。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 03:55 (UTC)
まだ異説がありました。『扶桑略記』安閑天皇条に「年六十八即位。〈明年元年〉元年甲寅」(〈〉内は割注)とあるので、これをとれば安閑天皇即位は533年となります。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 04:13 (UTC)

見づらいノートとなり申し訳ございません。ここで以上の諸説より改訂版の表の案を作成します。ハイフンは使用せず「紀年なし」と書きます。

--- 以下表の案 ---

--- 以上表の案 ---

これでどうでしょう。少々わかりにくいかもしれませんが、諸説併記ならこれがベストです。各西暦記事は、「天皇在位紀年については諸説あるため、「安閑天皇#在位年と西暦との対照表」を参照。」と最初に述べたように「(在位:安閑天皇)」と修正するなどすればよいでしょう。本来『日本書紀』によって書くべきところですが、『日本書紀』に意味不明の無紀年があるこの時期はこうするほかはないかと。

以上をもって私の案といたします。ご意見をよろしくお願いいたします。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 07:01 (UTC)『古事記』の記述を追加など。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 07:44 (UTC) 年齢追加など。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 08:24 (UTC) スタイル修正--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:09 (UTC) 修正。在位年と西暦との対照表をつくっているのだから、在位紀年部分のみ強調すべきと判断。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:35 (UTC) 表注形式に修正。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 08:44 (UTC) 修正--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 10:03 (UTC) 2書追加--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 11:37 (UTC) 表を単純化。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:47 (UTC) 修正--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:56 (UTC)

対照表に天皇の年齢を追加しました。各説で天皇の在位紀年が異なっていても年齢は同じであることを示すためです。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 08:24 (UTC)
やはりわかりにくすぎるように思うのでスタイルを改めます。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:09 (UTC)
コメント Wikipediaの信頼性とは信頼できる情報源に拠るべきで、特に一次資料に拠って記述されるべきではないとされているかと存じます。説の有力性・妥当性(一次資料の有力性・妥当性)に関しては二次資料・三次資料に基づいて記述されるべきですので、編集者様個人の判断ではなく学術的な判断が記事に反映されるべきかと。急ぐ案件ではないはずですので、二次資料・三次資料に基づいたご議論の方を切にお願い申し上げます。--Saigen Jiro会話) 2018年5月11日 (金) 12:36 (UTC)
情報 とりあえず吉村武彦『ヤマト王権(岩波新書1272)』(岩波書店、2010年)p. 137の年表に改変を加えたものを下記します。やはり二次資料・三次資料の無い限り平安以降の遺文を取り上げるのは危険と考えます。--Saigen Jiro会話) 2018年5月11日 (金) 22:05 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話) 2018年5月13日 (日) 21:42 (UTC)
情報ありがとうございます。成立年代が下る『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』にご指摘によって「参考」を加えました。
質問です。私が『上宮聖徳法王帝説』を見る限り欽明天皇元年は531年ですが、Saigen Jiroさんが記載された表で532年となっているのは誤りではないでしょうか。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 10:03 (UTC)
表に『上宮聖徳法王帝説』・『元興寺伽藍縁起』を追加しました。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 11:37 (UTC)
2・3次資料を確認したので記載します。
文献名\西暦干支 531年辛亥 532年壬子 533年癸丑 534年甲寅 535年乙卯
日本古代史年表[1] 継体25年
 
(書紀紀年の記載なし)
(欽明元年)
(書紀紀年の記載なし)
(欽明2年)
安閑元年
(欽明3年)
安閑2年
(欽明4年)
日本書紀暦日原典[2] 継体天皇25年 安閑天皇即位前2年 安閑天皇即位前1年 安閑天皇元年
安閑天皇2年
日本暦日原典[3] 継体天皇25年 継体天皇26年 継体天皇27年 安閑天皇元年
安閑天皇2年
東方年表 大字版」[4] 継体25年 (空白) (空白) 安閑元年
安閑2年
文献情報
  1. ^ 吉川弘文館編集部/編  吉川弘文館 出版(2006年12月)
  2. ^ 内田正男/編著  雄山閣出版 出版(1988年)
  3. ^ 内田正男/編著 雄山閣出版 出版(1992年6月)
  4. ^ 藤島達朗野上俊静/編 平楽寺書店 出版(1996年)
以上見ましても、記事現状と一致しているものはありません。なお「日本書紀暦日原典」では、「安閑天皇即位前」の表現が使用されていますが、『日本書紀』には継体天皇25年に安閑天皇が即位した記録があるので「即位前」の語は不適当です。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 12:37 (UTC)「東方年表」追加。--61.125.219.213 2018年5月13日 (日) 14:46 (UTC)
諸史料と照らし合わせれば、「日本古代史年表」と「東方年表」が最も適切と思われます。--61.125.219.213 2018年5月13日 (日) 14:55 (UTC)
コメント 文献ご提示どうもです。文献通りに追記しました。ここまでのコメントですが、他天皇記事同様に(私提示の年表とは言わないまでも)色付けなく単純な表の方が良いです。他天皇記事の表を本記事の表に揃えるか、本記事の表を他天皇記事の表に揃えるかという点では、他天皇記事表の方が正直言って遥かに見やすいです。本記事では単純表に留めて、様々な情報を付加するのであれば「継体・欽明朝の内乱」の方で掲載された方が良いかもしれません。あと『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』を挙げる学術的妥当性を示す文献は無いのでしょうか。紀年を書いた文献は他に『帝王編年記』もあるでしょうが、それも含めて文献が無ければ参考としても掲載は不適当だと思います。また「その方法をとった場合の紀年」で当該時期の表作成をしている文献はあるのでしょうか。総じて文献にある範囲で潤色なく表作成をなされるべきかと。--Saigen Jiro会話) 2018年5月13日 (日) 21:42 (UTC)

お返事ありがとうございます。3点あります。

  • 帝王編年記』は完全に失念しておりました。ありがとうございます。確認しましたところ、紀年部分は『本朝皇胤紹運録』と同じでした。
  • 『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』を参考として記載したのは私の独断です。確かに不適切でした。他記事にならい掲載を控えるとともに、色を除去して表を単純化いたします。表に記載する情報は、これも他記事にならい『日本書紀』のみとします。
  • 「その方法をとった場合の紀年」を使用する文献は、wikipediaの「安閑天皇」の記事の現状そのものです。これはSaigen Jiroさんの「一説に寄るべきではないと考えます。」「複数説併記すればよいかと。」の意見により記載したのですが、必要がないのでしたら除去させていただきます。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:47 (UTC)
返信 ご理解・ご譲歩下さったことに心から謝意を表します。他の方からの意見もあるかもしれませんので、しばらくコメントを置きます。--Saigen Jiro会話) 2018年5月14日 (月) 10:04 (UTC)
返信ありがとうございます。
妥協点が見いだせたことをうれしく思います。では、反対意見がなければ相当期間が経過したのちにこの内容で編集を行いたいと思います。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 10:17 (UTC)
最初の提案から1週間が経過しましたが、Saigen Jiroさんの意見以外は特にないようなので現在の案で合意とみなし編集を行いたいと思います。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 12:55 (UTC)
完了しました。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:01 (UTC)

見落としていましたが、「531年」の記事でこの年を「安閑天皇元年」としている部分がありますが、この年は同記事内にあるように継体天皇25年であり、『日本書紀』をはじめとした諸文献に安閑天皇元年説がないためこれも修正します。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:11 (UTC)

2月7日 (旧暦)」についても同様です。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:16 (UTC)
ついでに、安閑天皇在位に関する諸記事の誤りを修正しておきました。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 14:03 (UTC)