プレー王国

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プレー王国とはタイ王国プレー県に存在した王国である。

歴史[編集]

プレーには『年代記』と呼ばれる史書がなく[1]、碑文なども少ないことから、王国の全容について知るのは難しい。

12世紀頃にタイ族がこの地に都市国家(ムアン)を建設、ヨム川の上流にありスコータイ王朝の影響を免れなかった。スコータイのラームカムヘーン王はこの地に進軍、また、リタイもプレーに進軍した。プラタート・チョーヘーなどの仏教施設はこのころの建設ではないかとも言われている。

またラーンナー王朝の影響下にもあり、ラーンナー王朝のカムフー1340年、プレーに侵攻している。ただ、プレーはこの間にも領土拡大を目指しており、1397年から1398年にかけてプレーのテーラ王とオーンモーンがカーオ王国に侵入し占領している。

その後、1443年プレーの国王ターオ・メーンクンはラーンナーのティローカラート王の軍門に下り独立国家としてのプレーは終わりを告げた。

歴代国主[編集]

[2] 年代は注記のあるもの以外『プレー年代記』による。

カタカナ タイ語 在位期間(西暦) 備考
ポン พญาพล 828年―844年
パフシン ท้าวพหุสิงห์ 844年ー
パノムシン ขุนพนมสิงห์ 892年ー
ワンスポン ขุนวังสุพล 982年ー
パーワンイン พญาผาวังอินทร์ 1070年ー
ポムマウォン พญาพรหมวงศ์ 1112年―
ピーラチャイヤウォン พญาพีระไชยวงศ์ 1176年ー
ボン พญาบอน 1282年―
センファカムウォン พญาแสงฟ้าคำวงศ์ 1335年―
10 シームアンムーン พญาศรีเมืองมูล 1375年ー
11 テーラ พญาเถร 1401年―
12 シーマンムアン พญาศรีมั่งเมือง 1439年―
13 メンクン พญาแม่นคุณ 1443年―
14 シーブンルアンカムカイ พญาศรีบุญเรืองคำข่าย 1480年―
15 スロイ เจ้าหลวงสร้อย 1508年―
16 ジャントラ(月) เจ้าหลวงจันทรา 1510年―
17 カムヨッドファー เจ้าหลวงคำยอดฟ้า 1514年―
18 サッムラーン เจ้าหลวงสามล้าน 1550年―
19 チェンルア เจ้าหลวงเชียงเลือ 1563年―
20 プレー国主 เจ้าหลวงเมืองแพร่ไม่ปรากฎนาม 1659年以前 正確な名前の証拠はありません
21 セーンサーイ เจ้าหลวงแสนซ้าย 1715年ー1789年 明確な証拠があります
22 テーパウォン เจ้าหลวงเมืองไชย 1790年―1817年 明確な証拠があります
テーパウォン เจ้าหลวงเทพวงศ์ (ลิ้นตอง) ※1818年―1830年 時間間隔の重複。重複期間は不明です。
23 ウッパセーン เจ้าหลวงอุปเสน 1818年―1819年 明確な証拠があります
24 インタラウィチャイ เจ้าหลวงอินทรวิไชย 1819年ー1850年 明確な証拠があります
25 ピムピサーン เจ้าหลวงพิมพิสาร 1850年ー1889年 明確な証拠があります
26 ピリヤテーパウォン เจ้าหลวงพิริยะเทพวงศ์ 1889年―1902年 明確な証拠があります
           1902年からプレー王国は国主なし

参考文献[編集]

注脚[編集]

  1. ^ The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, p.10 ISBN 087727715X
  2. ^ History of PHRAE 2007 Edition (ประวัติศาสตร์เมื่องแพร่ ฉบับ พ.ศ.๒๕๕๐). Phrae Provincial Administrative Organization. (2007). ISBN 9789744581761