ブラッド・ダルイソ
Brad Daluiso | |||||||||||
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基本情報 | |||||||||||
ポジション | プレースキッカー | ||||||||||
生年月日 | 1967年12月31日(56歳) | ||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンディエゴ | ||||||||||
身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||||||
体重: | 210 lb =約95.3kg | ||||||||||
経歴 | |||||||||||
大学 | UCLA | ||||||||||
ドラフト外 | 1991年 | ||||||||||
初出場年 | 1991年 | ||||||||||
初出場チーム | アトランタ・ファルコンズ | ||||||||||
所属歴 | |||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||
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Player stats at PFR |
ブラッド・ダルイソ(Brad Daluiso 1967年12月31日- )はカリフォルニア州サンディエゴ出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはプレースキッカー。
経歴
[編集]UCLAを卒業後、NFLのアトランタ・ファルコンズで2試合にプレーした後、1991年9月10日、ロングキックの苦手なスコット・ノーウッドの代役としてバッファロー・ビルズに加入した[1]。その後デンバー・ブロンコス、ニューヨーク・ジャイアンツ、オークランド・レイダースでプレーした。バッファロー・ビルズ時代に第26回スーパーボウル 、ニューヨーク・ジャイアンツ時代に第35回スーパーボウルに出場したがいずれも優勝はできなかった。2001年シーズン終了後に引退した。
ロングキックを蹴ることができる彼はバッファロー・ビルズ時代の1991年、1992年、1993年もロングFGを除きほとんどキックオフのみ担当した[2]。この年アリゾナ・カージナルスとの試合で終了間際に54ヤードのFGを成功させた。またキックオフでは1992年には65回中相手にリターンを許したのがリーグ最少の12回、1993年にキックオフの開始地点が35ヤード地点から30ヤード地点へと5ヤード下げられた後も64回中44回はエンドゾーンまでボールを蹴り、その内40回はタッチバックとなり相手にリターンを許さなかった[3]。
1994年12月の試合より不調のデビッド・トレドウェルに代わってFGやPATも任されるようになった[2]。1999年にシーズン絶望となる負傷のため[4]10試合に欠場、ひざの手術後復帰した2000年には14試合に出場しFG23本中17本を決めたが、かつてのようにキックオフでコンスタントにエンドゾーンまでボールを蹴る[5]ことができず、相手に絶好のフィールドポジションから攻撃させることが多くなった[6]。
2001年、負傷したセバスチャン・ジャニカウスキーの代わりにニューヨーク・ジェッツとのシーズン最終戦1試合だけオークランド・レイダースでプレーした[7]。
脚注
[編集]- ^ His Only Job Is to Reach the End Zone, but He Never Scores a Point ロサンゼルス・タイムズ 1992年1月22日
- ^ a b Giant Relief Kicker Comes in and Wins Game ニューヨーク・タイムズ 1994年12月5日
- ^ Daluiso Is Again Simply 'That Kicker Guy ニューヨーク・タイムズ 1994年9月9日
- ^ Four to Try To Get Job As Daluiso Substitute ニューヨーク・タイムズ 1999年10月20日
- ^ Giants to Make Daluiso One Wealthy Kicker ニューヨーク・タイムズ 1995年2月22日
- ^ PRO FOOTBALL; Two Veteran Kickers To Work Out for Giants ニューヨーク・タイムズ 2001年8月29日
- ^ Jerry Knaak (2015年2月5日). “100 Days of 100 Jersey Numbers - 3”. raiders.com. 2015年2月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
- ブラッド・ダルイソ - IMDb