フリーマントル (西オーストラリア州)

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フリーマントル
西オーストラリア州
Aerial view of Fremantle.JPG
フリーマントル
フリーマントルの位置(西オーストラリア州内)
フリーマントル
フリーマントル
座標南緯32度03分25秒 東経115度44分38秒 / 南緯32.05694度 東経115.74389度 / -32.05694; 115.74389座標: 南緯32度03分25秒 東経115度44分38秒 / 南緯32.05694度 東経115.74389度 / -32.05694; 115.74389
人口28,893 (2016年国勢調査)[1]
 • 人口密度1,521/km2 (3,939/sq mi)
創立1829年
郵便番号6160
面積19.0 km2 (7.3 sq mi)
標準時オーストラリア時間 (UTC+8)
位置Perth CBDより南西19km (12mi)
地域自治体フリーマントル市
州選挙区Fremantle
代議院選出地区Fremantle
タウンホール
街並み
フリーマントル港

フリーマントル(Fremantle、発音:"FREE-mantle")は西オーストラリア州の港町。州都パース CBDから南西19kmのスワン川河口に位置する。人口は約2万9000人。地名は英国海軍の軍人チャールズ・フリーマントルに因む。

パースの外港として機能しており、州内で最大規模の港湾施設を備えている。古くから港町として栄えているため歴史的な建物が多く残り、観光地としての側面もある。南極へ向かう各国の南極観測船が寄港している。

歴史[編集]

1829年4月25日、英国海軍の船長 チャールズ・フリーマントルのチャレンジャー号がフリーマントル沿岸に着き、フリーマントルを含む"スワン川植民地"の建設開始。5月2日、ジョージ4世の名により"ニューホランド(当時のオーストラリア大陸の呼び名)"の西部を統治する、数日後キャンプが作られ、フリーマントルはそれ以来居住地である。1ヶ月後の6月1日に、ジェームズ・スターリング が正式にスワン川植民地の建設の為に到着、パースにはその年の8月12日まで人は居住していなかった。8月25日にフリーマントル船長はスターリングとともに植民地建設を行った後に植民地を去る。同時にスターリングはこの港湾居住地をフリーマントルと名付けた(Appleyard & Manford, 1979)。

1850年から1868年までは流刑地であった。

1881年、フリーマントルとパースを結ぶ鉄道が開業した。

1897年、港湾の拡張工事が行われ、スワン川河口の砂岩を撤去し、大型船の入港を可能にした。当時は中東からラクダが輸入されており、ラクダが道路を移動するための特別な交通法規があった。

1929年、市となる。

第二次世界大戦時、フリーマントルは太平洋戦域第2番目の連合国潜水艦の基地として使われ、アメリカ軍フィリピンに進軍するまで、最大でアメリカ艦125隻、イギリス艦31隻、オランダ艦11隻が集結していた。

文化財[編集]

フリーマントルには多くの歴史的建物がある。囚人が建てたフリーマントル刑務所世界遺産に登録されている。

街の特徴[編集]

イタリアポルトガルクロアチアなどのコミュニティーがある。

1987年アメリカスカップの開催で世界的に名前が知られるようになった。

AFLチームは フリーマントルFC(通称: The Dockers)。

盛夏にフリーマントルからパースに吹く清風は"Fremantle Doctor"として知られる。

郊外[編集]

(indicates suburb partially located within City)

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Australian Bureau of Statistics (27 June 2017). "Fremantle (Local Government Area)". 2016 Census QuickStats. 2018年12月4日閲覧 ウィキデータを編集

リファレンス[編集]

  • Appleyard, R. T. and Manford, Toby (1979). The Beginning: European Discovery and Early Settlement of Swan River Western Australia, University of Western Australia Press. ISBN 0855641460.(初期の歴史)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]