フランツ・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ

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フランシスコ・ホセ
Francisco José
アブスブルゴ=トスカーナ家
Infanta Blanca and her family.jpg
レオポルト・ザルヴァトール大公とその家族。左から2人目がフランツ・ヨーゼフ(1915年)

全名
称号 エスターライヒ大公
出生 (1905-02-04) 1905年2月4日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
死去 (1975-05-09) 1975年5月9日(70歳没)
 オーストリアニーダーエスターライヒ州ヘルンシュタイン
埋葬 イタリアの旗 イタリアフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ、トリエステ大聖堂
配偶者 マリア・アロイジア・バウマー
  マリア・エレーナ・ゾイニッヒ
子女 パトリシア
父親 レオポルト・ザルヴァトール
母親 ブランカ
宗教 キリスト教カトリック教会
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フランシスコ・ホセ・デ・アブスブルゴ=ロレーナ・イ・ボルボンスペイン語: Francisco José de Habsburgo-Lorena y Borbon, 1905年2月4日 - 1975年5月9日)は、オーストリア=ハンガリーの帝室の一員で、スペインカルリスタ王位請求者ドイツ語名はフランツ・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ=トスカーナFranz Josef von Österreich-Toskana)。

生涯[編集]

トスカーナ大公家レオポルト・ザルヴァトール大公と、その妃ブランカ(カルリスタ王位請求者のマドリード公カルロス(7世)の長女)の間の四男(第9子)として生まれた。皇族の身分を法的に失った後の1926年、スペインに帰化した。第二次世界大戦中はイギリス空軍にパイロットとして従軍し、戦後はマドリードベルンドルフ英語版を行き来しながら暮らした。

1937年7月22日、ロンドンにおいてオーストリアの退役陸軍大佐の娘マリア・アロイジア・バウマー(Maria Aloisia Baumer, 1906年 - 1987年)と結婚した。後に彼女と離婚し、1962年1月21日にチューリヒにおいてマリア・エレーナ・ゾイニッヒ(Maria Elena Seunig, 1925年 - 1994年)と結婚し、間に1女を儲けた。いずれも平民出身で、家内法では貴賤結婚とされた。

カルロス・ピオ、三兄アントンらとともにカルロクタビスタ英語版の王位請求活動を続けており、1955年には、ナバラ王サンチョ4世英語版が創設したとされる百合の聖母騎士団スペイン語版勲章を支持者に授与している。1961年よりカルロクタビスタの正式なスペイン王位請求者フランシスコ・ホセ1世スペイン語: Francisco José I)となるが、フアン・カルロス1世による王政復古の直前にヘルンシュタイン英語版で死去した。甥のドミニク英語版が、有力な支持者のいないまま後継者となった。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • Harding, Bertita. Lost Waltz: A Story of Exile. Bobbs-Merrill, 1944. ASIN: B0007DXCLY
  • McIntosh, David. The Unknown Habsburgs. Rosvall Royal Books, 2000. 91-973978-0-6
  • Francisco de Las Heras y Borrero (2004). Carlos de Habsburgo, un pretendiente desconocido: El otro candidato de Franco. Madrid: Dykinson. ISBN 84-9772-556-5. 
  • Walther L. Bernecker; Horst Pietschmann (2005). Geschichte Spaniens. Von der frühen Neuzeit bis zur Gegenwart. Stuttgart: 4. überarbeitete und aktualisierte Auflage. Kohlhammer. ISBN 3-17-018766-X. 

外部リンク[編集]

先代:
カルロス9世
スペイン王位請求者
(カルロクタビスタ)
1961年 - 1975年
次代:
ドミンゴ1世