フェルナン・ラボリ

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ラボリ弁護士

フェルナン・ギュスターヴ・ガストン・ラボリ(Fernand Gustave Gaston Labori,1860年4月18日〜1914年3月14日)は、フランスの弁護士、政治家。

ドレフュス事件でドレフュスの弁護をした事で有名である。

人物[編集]

フランスのランス出身。 東部鉄道検査官の息子であった彼は、パリ弁護士会で最も優秀な弁護士の一人となった。

1906年から1913年にかけて、一般参議院議員、セーヌ・エ・マルヌ県代議士を務めた。 1884年11月11日からパリ弁護士会の会員となり、Conférence du stage(1887年-1888年)の第二書記、Conseil de l'Ordre(1905年-1909年および1910年-1917年)のメンバー、そしてパリ弁護士会の第3会長(1911年-1913年)に選出された。[1]

1899年のレンヌ裁判では、コンセイユ・ド・ゲールの前でアルフレド・ドレフュスの弁護を担当した。ドレフュス事件での裁判の最中である8月14日、レンヌ市市長のエドモンド・ガストと陸軍中佐のマリー=ジョルジュ・ピカールと合流しようとしたところを銃撃され、重傷を負った。[1]

その後、法学者であり、弁舌家でもあったラボリは、パレ画報の編集長(1892年-1895年)を務め、1897年にはパレ画報(後に大画報)を創刊し、指揮をとった。1911年9月には、投獄されたギヨーム・アポリネールの弁護を担当した。

1914年3月14日、パリにて死去。

ラボリ弁護士を演じた人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Fernand-Gustave-Gaston Labori French lawyer”. Britannica (2023年4月16日). 2023年6月21日閲覧。