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ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラー
Fannie Bloomfield Zeisler
ピアノを弾くツァイスラー(1915年頃)
基本情報
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1875年1925年

ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラーファニー・ツァイスラーFannie Zeisler, Fannie/y Bloomfield-Zeissler, 1863年7月16日 - 1927年8月20日)は、オーストリアシレジア出身のピアニスト

ファニー・ブルーメンフェルト(Fannie Blumenfeld)としてオーストリア領シレジア、ビーリッツ(ビェルスコ=ビャワ)に生まれる。モーリス・ブルームフィールドは弟、レナード・ブルームフィールドは甥にあたる。

1868年に家族とともにシカゴへと移住し、そこでベルンハルト・ツェーン(Bernhard Zehn)、カール・ヴォルフゾーン(Carl Wolfsohn)にピアノを学ぶ。アメリカ移住後に一家はブルームフィールドに改姓する。1875年2月(11歳)にシカゴで最初のコンサートを開き、ピアニストとしてデビューした彼女は、1878年にはウィーンに渡りテオドル・レシェティツキに学び、5年後アメリカへ戻る。1885年ニューヨークへデビューして以降、北米ヨーロッパの各地でピアニストとして活躍し、アントン・ルビンシテインイグナツィ・パデレフスキと比較されるほどの成功を収め[1]、「アメリカ最高のヴィルトゥオーゾ」と評された[2]

1885年、ウィーン時代に親しくなった同郷の従兄弟にあたる[3]弁護士ジクムント・ツァイスラー英語版と結婚し、のちに三児をもうける。シカゴのブッシュ・テンプル・オブ・ミュージック英語版や個人で教育活動にも携わる。1925年には、シカゴ交響楽団との共演でデビュー五十周年を祝う演奏会を開き、1927年、心臓発作によってシカゴで没した。

彼女の演奏はピアノロールに多く残されている。同時代の作品からルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンソナタバロック期の作品まで大量のレパートリーを持ち、18日間に7回のピアノ・リサイタルを行ったが、すべてプログラムが異なっていたというエピソードがある[3]

注釈

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参考文献

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  • Baker, Biographical Dictionary of Musicians, 1900
  • Musical Courier, Feb. 27, 1895, Feb. 20, 1901.
 この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれる: Singer, Isidore [in 英語]; et al., eds. (1901–1906). "Bloomfield-Zeisler, Fanny". The Jewish Encyclopedia. New York: Funk & Wagnalls.
  • Macleod, Beth Abelson (2000). Women Performing Music: The Emergence of American Women as Classical Instrumentalists and Conductors. McFarland 
  • Hallman, Diana R. (2013), “Bloomfield-Zeissler, Fannie”, in Garrett, Charles Hiroshi, The Grove Dictionary of American Music, 1 (Second ed.), Oxford University Press, pp. 527-528 
  • Hallman, Diana (2009年). “Fannie Bloomfield Zeisler”. Encyclopedia, Jewish Women's Archive. 2017年5月9日閲覧。

外部リンク

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