フランツ・フォン・バイロス

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フランツ・フォン・バイロス
Franz von Bayros
1898年のフランツ・フォン・バイロス
誕生日 1866年5月28日
出生地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国・(現在のクロアチア)ザグレブ
死没年 (1924-04-03) 1924年4月3日(57歳没)
死没地 オーストリアの旗 オーストリアウィーン
国籍  オーストリア
運動・動向 デカダン派
芸術分野 絵画イラストレーター商業芸術
教育 ウィーン美術アカデミー
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フランツ・フォン・バイロスドイツ語:Franz von Bayros、1866年5月28日 - 1924年4月3日)は、オーストリアの商業芸術家、イラストレーター画家デカダン派に属し、エロティックで官能的な作品を多く残した。蔵書票の制作でも知られる[1]

経歴[編集]

バイロスは1866年にオーストリア帝国(現在のクロアチアザグレブに生まれる。17歳でウィーン美術アカデミーに入試に合格し入学。すぐにその優雅な社会に溶け込み、ヨハン・シュトラウス2世と交流、彼の継娘と1896年に結婚。翌年ミュンヘンに移り1904年に初の個展を開催し成功する。1904年から1908年の間、パリイタリアなどを回り研鑽を続ける。

1911年、画集「化粧台物語(Tales at the Dressing Table)」が猥褻罪でミュンヘン警察から告訴される。ウィーンに戻るがなじみを感じず、また第一次世界大戦が勃発しその作品に暗い影を落とす様になる。

1913年に二度目の結婚をする。1921年「神曲」をテーマに水彩画を発表した[2]。「薔薇の画家」「挿絵王」等とも呼ばれた。

バイロスは1924年にウィーン脳溢血のため他界。

バイロスのエロティックな作品の例

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]