ハンティング・ナイフ (村上春樹)
概要
[編集]初出 | 『IN★POCKET』1984年12月号 |
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収録書籍 | 『回転木馬のデッド・ヒート』(講談社、1985年10月) |
村上は『IN★POCKET』1983年10月号(創刊号)から1984年12月号まで隔月で、聞き書きをテーマとする[1]連作の短編小説を掲載した。副題は「街の眺め」。本作品は1984年12月号に発表されたその8作目である[2]。
英訳
[編集]タイトル | Hunting Knife |
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翻訳 | フィリップ・ガブリエル |
初出 | 『ザ・ニューヨーカー』2003年11月17日号[3] |
収録書籍 | 『Blind Willow, Sleeping Woman』(クノップフ社、2006年7月) |
英訳に際して村上は大幅な書き直しをおこなった。よって、『めくらやなぎと眠る女 TWENTY-FOUR STORIES』(新潮社)に収録されたものとオリジナル版は大きく異なっている。
あらすじ
[編集]コッテージの一棟は二階建てで四部屋にわかれていた。一階の我々のとなりの部屋には親子づれが二人で泊まっていた。母親は車椅子に座った息子をいつもうしろから押していた。「僕」と妻はホテルのダイニング・ルームでその親子ととなりあわせてもひとことも口をきかなかった。それは我々二人にとって二十代最後の夏だった。
ホテルを引きあげる前日の午後、「僕」は最後のひと泳ぎをする。梯子をつかんでブイの上に上ると、ブロンドの髪のみごとに太った女がいた。彼女はかつてユナイティッド・エアラインのスチュワーデスだったという。
その夜、「僕」は異様に激しい動悸のせいで目をさます。時計の針は一時二十分を指していた。「僕」はベッドから出て、芝生の庭のまん中を一直線に横切ってみた。庭のテーブルに車椅子に座った青年が片肘をついて、一人で海を見ていた。青年は家族環境について話をしたあとに言った。
「欠落はより高度な欠落に向い、過剰はより高度な過剰に向うというのが、そのシステムに対する僕のテーゼです。ドビッシーが、自分の歌劇の作曲が遅々として進まないことを表して、こんな風に言っています。『私は彼女の創りだす無(リャン)を追いかけて明けくれていた』ってね。僕の仕事はいわばその無(リャン)を創りだすことにあるんです」[4]
彼はポケットから長さが十センチほどの木片をとりだして、テーブルの上に置いた。それは折りたたみ式の小型のハンティング・ナイフだった。
「刃をあけてみて下さい」と彼は言った。
脚注
[編集]- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻、付録「自作を語る」より。
- ^ 6作目の「BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察」は単行本には収録されなかった。
- ^ FICTION HUNTING KNIFE BY HARUKI MURAKAMI. November 17, 2003The New Yorker
- ^ ドビュッシーのこの言葉は長編『騎士団長殺し』に再び登場する。語り手は次のように述べる。「オペラの創作に行き詰まっていた次期について、クロード・ドビュッシーは『私は日々ただ無(リアン)を制作し続けていた』とどこかに書いていたが、その夏の私もまた同じように、来る日も来る日も『無の制作』に携わっていた」(同書、第1部、新潮社、72頁)