ハインリヒ1世 (メードリンク公)
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ハインリヒ老公 Heinrich der Ältere | |
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メードリンク公 | |
出生 |
1158年 |
死去 |
1223年9月11日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア公国、ハイリゲンクロイツ修道院 |
配偶者 | ハインリヒ |
子女 | ヒリサ・チェスカー |
家名 | バーベンベルク家 |
父親 | オーストリア公ハインリヒ2世 |
母親 | テオドラ・コムネナ |
宗教 | キリスト教カトリック |
メードリンク公ハインリヒ老公(Heinrich der Ältere, Herzog von Mödling, 1158年 - 1223年9月11日)は、バーベンベルク家のオーストリア公ハインリヒ2世とテオドラ・コムネナの息子で、オーストリア公レオポルト5世の弟。同名の息子との区別のため、老公(der Ältere)といわれる。
生涯
[編集]ハインリヒは、父ハインリヒ2世の存命中からすでにオーストリア公領を支配していた兄レオポルト5世より、メードリンクの支配を任された。メードリンクはバーベンベルク家の古くからの領地の一つであり、ハインリヒのもとで大きく発展した。ハインリヒは自ら公爵と名のり、メードリンク城を建設し自身の居城とした。ハインリヒの評判は高かったが、兄と争うことはなかった[1]。
ハインリヒは1223年9月11日に死去し、ハイリゲンクロイツ修道院のチャプター・ハウス内のバーベンベルク家墓所に埋葬された。
結婚と子女
[編集]ハインリヒはボヘミア王ヴラジスラフ2世とその2番目の妃ユーディト・フォン・チューリンゲンの娘リヒサ(Richsa、リヒツァ、ライツァとも、1182年没)[2]と結婚した。
- ハインリヒ(若公)(1236年没[3]) - メードリンク公、嗣子なく若公の代で断絶した。
脚注
[編集]- ^ H. Hanko, p. 110.
- ^ Karner in Mödling, 2011年7月4日閲覧
- ^ Walter Kleindel: Österreich Chronik. Daten zur Geschichte und Kultur. Wien / Heidelberg: Ueberreuter 1978, ISBN 3-8000-3130-2, Stammtafel der Babenberger
参考文献
[編集]- Helmut Hanko: Herzog Heinrich II. Jasomirgott. Pfalzgraf bei Rhein – Herzog von Bayern – Herzog von Österreich. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 2012, ISBN 978-3-534-25605-1.
- Tobias Weller: Die Heiratspolitik des deutschen Hochadels im 12. Jahrhundert. Böhlau, Köln u. a. 2004, ISBN 3-412-11104-X.