ノート:連合国軍占領下の日本

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過去ログ


改名提案[編集]

連合国軍軍政期(日本)として、ドイツや朝鮮などの国の表記と統一するのはどうでしょうか。--Battuta 2009年12月12日 (土) 18:03 (UTC)[返信]

英語版では「連合国軍占領下の日本」はOccupation of Japanで、ドイツはAllied-occupied Germanyとされていますから、むしろ「連合国軍占領下の日本」にならってドイツや朝鮮なども連合国軍占領下の○○としたほうがよいと思います。--Chichiii 2009年12月13日 (日) 12:26 (UTC)[返信]
日本の場合は各国軍による分割統治が行われたドイツや在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁やソ連による統治が行われた朝鮮と異なり、日本政府を通じた間接統治であった点で単純な軍の統治による「軍政」とは異なると思います。最高権力を連合軍が握っていたことは間違いないのですが。--模様砂漠2 2009年12月14日 (月) 07:15 (UTC)[返信]
軍政でしょう。--Battuta 2009年12月16日 (水) 22:32 (UTC)[返信]

京都大学永井和教授のページによると「重光外務大臣がマックァーサー元帥をして占領軍の軍政実施令を撤回せしめた」とあり、さらに1945年9月6日の重光外相の会見では「連合国側は日本に軍政を施行するが如きことは絶対ないこと」が発表されたとあります。重光葵がわざわざ強調しなければならないほど、日本の統治状態が軍政か否かはかなり重要な争点になりえるもののようですので、しかるべき出典をお願いいたします。--模様砂漠2 2009年12月17日 (木) 00:51 (UTC)(修正)--模様砂漠2 2009年12月17日 (木) 07:07 (UTC)[返信]

反対  提案に反対します。なぜならば、(1)「軍政」と称する妥当性が不明、(2)「ドイツや朝鮮の表記と統一する」という意味も意図も不明、だからです。--Lakebuel 2010年1月7日 (木) 12:51 (UTC)[返信]

年表について[編集]

連合国軍最高司令官総司令部#年表とほぼ同じ内容なんですが(本項の記述は該当項同節に含まれる形で存在している)、どちらかに統合出来ないものですか?--121.1.164.97 2008年12月29日 (月) 06:14 (UTC)[返信]

連合国軍最高司令官総司令部#年表のほうはGHQに関連する事項のみ(GHQの組織改革や人事を含む)、こちらは占領の影響のある出来事ならGHQに直接関係なくても掲載、という切り分け方にしてはどうかと思います。--miya 2008年12月29日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

GHQによる検閲についての記述[編集]

言論の自由と年表に於いて[1]と記述され、その出典として[2]が示されました。併し乍ら出典先には私が確認した限りに於いてそのような趣旨の記述はありませんでした。ご説明をいただければと思います。--廿粁 2009年10月14日 (水) 00:49 (UTC)[返信]

私が出典として挙げた[3]の中の『2-2  日本の敗戦とジャーナリズムの再生』の末尾の箇所
GHQの事前検閲も,1947年8月にはラジオ,同11月には雑誌,1948年7月には新聞においてそれぞれ廃止され,事後検閲となった。そして,その事後検閲も1949年10月から,ラジオも同月から廃止された。・・・
の記述を根拠として編集いたしましたが、問題あるでしょうか?--孫次 2009年10月14日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
孫次さんが引用し「・・・」と伏せた部分を出典として挙げた先から引用すると、
「それによってプレス・コードやラジオ・コードによるGHQによる言論統制そのものがなくなったわけでは決してなかった」と続きます。
この点についてもご説明いただけますか。--廿粁 2009年10月16日 (金) 01:22 (UTC)[返信]
私としてはプレスコードとして示された通達自体が、撤回されたわけではなかったが、
プレスコード下における検閲は1949年10月をもって撤廃されており、このことにより「日本のジャーナリズムは少しずつその活動の範囲を広げつつあった。」と続くと解釈したので、[4]のように編集しました。--孫次 2009年10月16日 (金) 10:14 (UTC)[返信]
(追記)また、別なソース[5]("「『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成」刊行に寄せて"の末尾近く)では
「ところが、検閲制度の廃止(プレスコード撤廃は昭和24年)を受けて、収録を再検討し、」とあるように検閲の廃止をもってプレスコードが撤廃されたとの見方もあるようです。どちらにせよプレスコードによる検閲が1949年(昭和24年)10月に廃止されたのは間違いないでしょう。--孫次 2009年10月16日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
孫次さんが挙げた出典よりそのように解釈したとすれば、独自研究の虞があります。出典からは、1949年(昭和24年)10月に廃止された新聞の事後検閲、プレスコードによる言論統制がなくなったわけではない、というものです。--廿粁 2009年10月19日 (月) 00:54 (UTC)[返信]
私はプレスコードによる言論統制が無くなったという主旨の編集は行っておらず、1949年(昭和24年)10月をもってGHQによる検閲が撤廃されたという旨を加筆しています。廿粁さんもおっしゃられている通り新聞の事後検閲は10月に廃止されており、ラジオの事後検閲も同月、またこれに先立って事前検閲はすでに廃止されているわけですから、これをもって先ほど挙げたゆまに書房"「『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成」刊行に寄せて」"で明確に記述されている通り、1949年10月をもってGHQの検閲制度は撤廃されたと判断でき、私の独自研究にあたるとは思えません。--孫次 2009年10月20日 (火) 14:50 (UTC)[返信]
孫次さんが記述された出典には「その事後検閲も1949年10月」から廃止とだけあり、GHQの検閲が廃止とは書かれてありません。「1949年10月をもってGHQの検閲制度は撤廃された」との判断は孫次さんがされたのではありませんか。そうでないならば、別の出典をお示し戴ければと思います。孫次さんが挙げた、ゆまに書房編集部便り(投稿日:2009/09/09)「「『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成」刊行に寄せて」とは別の見解もあります。
プレスコードについて、身近にある辞書を引いてみました。
大辞泉「昭和20年(1945)9月、GHQが新聞・出版活動を規制するために発した規則。連合国や占領軍についての不利な報道を規制した。同27年、講和条約の発効により失効。」
大辞林「日本の新聞に対し、1945年に GHQ が発令した新聞編集綱領。正式名称は「日本に与うる新聞遵則」。占領軍批判の禁止を主な内容とする。講和条約発効により失効。」--廿粁 2009年10月21日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

わかりました。では、本文中の言論の自由における「このプレスコードによる検閲は、占領中の1949年に撤廃され・・・」の箇所を「ただし、新聞、ラジオの検閲は、占領中の1949年に撤廃され・・・」と修正し、年表もそれに即した形で修正しようと思うのですが、いかがでしょうか?--孫次 2009年10月22日 (木) 16:02 (UTC)[返信]

この出典から云えることは、新聞とラジオの事後検閲の廃止と言論統制がなくなったわけではない、ではないかと思います。--廿粁 2009年10月23日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
最初に挙げた出典の中には「GHQの事前検閲も,1947年8月にはラジオ,同11月には雑誌,1948年7月には新聞においてそれぞれ廃止され,事後検閲となった。そして,その事後検閲も1949年10月から、・・・」とはっきり書かれており、事後検閲が廃止される以前に、事前検閲が廃止され、事後検閲に切り替えられた旨も書かれており、そのことを踏まえてもよいと思うのですが。--孫次 2009年10月25日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
踏まえるとすれば、事前と事後を切り分けた上で、それによっても言論統制がなくならなかったとした方がいいのではと思います。--廿粁 2009年10月26日 (月) 00:07 (UTC)[返信]
では、「新聞、ラジオ、雑誌の事前検閲は1948年7月までに廃止され、事後検閲に切り替わり、新聞、ラジオの事後検閲は1949年10月をもって廃止された。ただし、綱領としてのプレスコードは講和条約が発効されるまで失効されず、言論統制自体が完全に無くなったわけではないが、・・・」といった記述でいかがでしょうか。--孫次 2009年10月27日 (火) 20:21 (UTC)[返信]
若干形容しているのではと思われる部分があり、編輯された後、私としては削らせていただければ思います。私の手持の資料と若干異なる部分がありますので、記述は出典からとしていただければと思います。--廿粁 2009年10月28日 (水) 02:43 (UTC)[返信]
上記の内容で編集いたしました。Wikipedia:引用のガイドライン/草案#執筆は自分の言葉でより資料の記述をそのまま引用することは避けましたが、なるべく出典の内容に沿ったものとしたつもりです。なお、この内容と異なる内容の資料をお持ちであれば、編集される際にでもその資料を出典として明記していただければと思います。--孫次 2009年10月30日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
編輯された記述を出典に沿って若干修正しました。ただ、検閲の事前、事後の廃止に関する記述の分量が増えましたので、それに合わせて記述の見直しが必要ではないかとも感じます。--廿粁 2009年11月2日 (月) 02:09 (UTC)[返信]


Missing things[編集]

There are some things missing, perhaps they are not very important, but nevertheless, these are the links to the articles on english wikipedia.

There are also some interesting aspects of conflict written hereRelations between allied forces and the population of japan

And I'm glad the occupation meant we can put behind us and ultimately forget forget wartime attitudes such as this 米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断 --Stor stark7 2010年3月22日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

建国時期亡国時期について[編集]

|公式国名 = |建国時期 = 1945年 |亡国時期 = 1952年 |先代1 = 大日本帝国 |先旗1 = Merchant flag of Japan (1870).svg |次代1 = 日本 |次旗1 = Merchant flag of Japan (1870).svg |次代2 = アメリカ合衆国による沖縄統治 |次旗2 = Flag of US Occupied Ryukyu Islands.svg


は国が建国や亡国したわけでは無いので不適切ではないでしょうか 不必要なのでは? そして他の日本の歴史区分で右側に書かれるものを書き加えるべきではないでしょうか--石山石黒石山会話2015年1月10日 (土) 15:02 (UTC)-[返信]

賛成 同意します。「大日本帝国」は日本が使用した国号のうちのひとつです。日本国憲法(昭和憲法)は大日本帝国憲法(明治憲法)を改正してできたものですし、「日本(日本国)」と「大日本帝国」は同じ国家であるといえます。そのため、建国時期・亡国時期などの表記は不適切だと思います。--A22112212会話2016年6月5日 (日) 09:12 (UTC)[返信]

Divide-and-rule plan of Japan.pngは独自研究画像[編集]

File:Divide-and-rule plan of Japan.pngは出典なしの独自研究による画像。分割統治案はSWNCC 70/5:MEMORANDUM FOR THE PRESIDENT:NationalComposition of Forces to Occupy Japan Proper to the Post-Defeat Period,August 13, 1945.State Department Records Decimal File, 1945-1949 "740.00119 CONTROL (JAPAN)/18-1845" <Sheet No. SDDF(A)00444>アメリカ国立公文書記録管理局(RG59)。トルーマン「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC決定)を承認 1945年8月18日 - 国立国会図書館「日本国憲法 資料と解説・第1」で間接的に触れられているが、画像にあるような分割案はない。あると主張するならば、出典表示すること。--さんぽーる会話2016年10月21日 (金) 15:45 (UTC)[返信]

始期・終期について[編集]

戦時国際法によれば停戦の合意は口頭によればよく文書の交付を必要としません。よって国際法上の効力云々についての指摘は失当であり、一般に8月15日を終戦の日とされておりますので8月15日が適切でしょう。なお合意形成の過程のためいったん日付部分については削除いたしました。--大和屋敷会話2017年1月30日 (月) 22:10 (UTC)[返信]

日本史上初の敗戦?[編集]

概要三文目に「日本は二千年以上の歴史上初めての敗戦であった」とありますが、倭・高句麗戦争、白村江の戦い、文禄・慶長の役など(その勝敗には議論ある場合がある)、日本は第二次大戦以前の戦争で外国に負けた事があるかと思いますので、その部分を削除するのはいかがでしょうか。 運動会蛋白質力会話2021年8月15日 (日) 16:09 (UTC)[返信]