ノート:華井俊樹

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個人記事ではなく事件記事にしたらどうですか?[編集]

Wikipedia:削除依頼/ある裁判官 20120901で色々議論されていますけど思ったことをいくつか。

正直、単一で注目される出来事以外では言及価値のなく事件がなければWikipediaで記載されることもなかったであろうごくありふれた裁判官が、人物記事として単独記事が存続するのは疑問。寺西和史のように著書を発表したわけでもないし。

例えば「大阪地裁判事補盗撮事件」のように事件名の記事として作成し直してはどうですか?

例にあげられている罷免判事の多くも人物単独記事として存在するにも疑問に感じます。例えば村木保裕は「東京高裁判事児童買春事件」でいいと思います。

下山芳晴は甲府地家裁都留支部長や宇都宮地家裁足利支部長を歴任した全ての裁判官をWikipediaに記載するくらい肩書きとして特筆があると本気で考えているのならいいのですが、そうでないのなら「甲府地家裁都留支部長ストーカー事件」でいいと思います。

谷合克行も「東京地裁判事補収賄事件」や「新日本興産破産事件」でいいと思います。

他には小倉簡易裁判所判事の安川輝夫や福岡高裁宮崎支部判事の一木泰造も個人記事ではなく事件記事として記載したほうがいいと思います。案としては「小倉簡易裁判所判事職権濫用事件」や「福岡高裁宮崎支部判事痴漢事件」とかがあると思います。

これらの裁判官に弾劾前に裁判官の職務に関連して記載するに価値があることがあったとしても、「別節」で記載する程度だと思います。ただ、人物名は匿名にする必要はないし、人物名は事件名にリダイレクト化すべきだと思います。

しかし、鬼頭史郎は非常に政治的な人間であり、「謀略電話事件」だけでなく「宮本身分帳事件」でも特記される二事件の当事者ですから、事件名にまとめるだけでなく、単独人物記事は必要だと思います。

個人的には個人名で記載する価値があるのは、最高裁裁判官、高裁長官、最高裁事務総長(就任中は非裁判官ですが一応)、最高裁調査官、複数の出来事に絡んで注目される裁判官くらいだと思います。知財高裁所長、地裁所長、家裁所長、司法研修所長も入れてもいいと思う。それ以外にあえて書くとすれば裁判官から検察官に転出して幹部になったり有名事件の捜査をした法曹人、裁判官から弁護士に転出して幹部になったり有名事件の弁護を担当したり著書を出したりした法曹人、俳優など別分野でも記載に値する活躍をした元裁判官(いるのか不明だけど)など、裁判官経験はあるけれども検察官、弁護士や法曹以外で活躍した人としても記載されるに値する人間などが想定されると思います。―-TempuraDON会話2012年9月10日 (月) 15:07 (UTC)[返信]

鬼頭史郎以外、「裁判官弾劾裁判所#過去に行われた裁判官弾劾裁判」に書いてある以上の情報が必要だとは思えませんが、どうしても項目化したというのであれば、一覧化して、「裁判官弾劾裁判所」の参考資料(子記事)という扱いがよいのでないかと思います。なお、1981年の事件については、『角川新版日本史事典』の「弾劾裁判所」で「ゴルフ場汚職事件」という名称で記載されていました。 --Yhiroyuki会話2012年9月11日 (火) 13:17 (UTC)[返信]
「弾劾裁判の一覧記事」を作ること自体には賛成です。ただし、個々の弾劾裁判の元になった事件記事あるいは裁判官の記事もWikipediaに残す価値が十分に存在すると思います。なお、裁判官は公人であり、弾劾裁判は重要な司法権の機能の一部であり、その結果弾劾された公人の個人名を記事の名前にすることは、逮捕された政治家と同等であり、何らプライバシー上の問題はありません。従って、「弾劾裁判の一覧」と共にそれぞれの弾劾裁判の原因となった刑事事件に関して立項することはWikipediaの百科事典としての充実に寄与すると考えられます。各裁判官の記事に関しては、詳細は個々の人物によって違ってきますが、事件以外にも重要な裁判に関わったりしている場合、事件の有無に関わらず特筆性があると認められますし、また、それに加えて事件そのものも特筆性の度合いを強化しているわけですので、単にリダイレクトするだけではなく、単独記事として編集すべきです。--Wpjapanuser2012会話2012年9月11日 (火) 18:03 (UTC)[返信]
大阪地裁判事補盗撮事件という用語が報道で使用されていれば構わないと思いますが、用語がwikipedia発として広まる場合それを独自研究として問題視する考えがありますので(Wikipedia:削除依頼/大津市男子生徒自殺事件_2度目利用者:山田晴通さんの御意見など)、安易に新名称をwikipediaで創造することは避けたほうが良いでしょう。--メルビル会話2012年11月13日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
>事件そのものも特筆性の度合いを強化している
とはいえ、職務に絡んだ事件ではない。当該人物について個別記事を作ることに意義を見いだせないが、事件記事の中で当該人物について記述することは問題ないと思います。以下に対案を出します。

2012年に盗撮事件で逮捕、略式起訴されて、弾劾裁判所で罷免された華井俊樹は1984年9月26日生まれの岐阜県出身。岐阜県立岐阜北高等学校を経て中央大学に進学。中央大学では法友会に所属。2007年4月に名古屋大学法科大学院に入学し、2009年3月に修了。2009年9月、新司法試験に合格し、2010年に司法研修所にて司法修習(新63期)を修了。2011年1月から大阪地方裁判所に判事補として任官。2011年10月、絞首刑による死刑について「憲法違反ではない」と判断して死刑判決を下した大阪此花区パチンコ店放火殺人事件の裁判員裁判では左陪席裁判官として合議体に加わっていた。

将来において罷免されたことを前提の文言ですが、盗撮事件で注目されたとはいえ、人物として記述できるのはこのレベルでコンパクトな記述ができます。盗撮事件をベースにした記事を作成し、当該人物については事件記事に内包化して、最後に節「華井俊樹」で人物について書けば、どのような人となりかはわかります。「重要な裁判に関わったりしている場合、事件の有無に関わらず特筆性がある」は恐らく大阪此花区パチンコ店放火殺人事件の刑事裁判に判事補として関与していたことだと思いますが、私の案では大阪此花区パチンコ店放火殺人事件の言及は96文字程度で終わってしまう程度のもので、人物記事を作る正当性になる事情とは思えません。その一方で盗撮事件に関する言及は本記事の現段階でも1000文字以上はあります。また、陪席裁判官でも「重要な裁判に関わったりしている場合、事件の有無に関わらず特筆性がある」というのであれば、和田真や華井以外の裁判官の人物記事を作らないと、「重大な裁判に関わっているから、裁判官人物記事に特筆性がある」という主張の説得力はありません。
罷免されるような注目を集めた判事補について人となりを記述することは否定しませんが、事件までWikipediaに記載されるほどの地位になく無名人だった人間(華井の人物記事がWikipediaで作られたのは事件後)に関する記述については事件記事に内包すればすむ話です。事件記事「埼玉愛犬家連続殺人事件」で犯人(被告人)については節「被告人夫婦ら」でまとめていますが、盗撮事件における華井についても同じようにすればいいと思います。今回の盗撮事件でも、華井について一々人物記事を作る必要はないと思います。--TempuraDON会話2012年11月18日 (日) 05:31 (UTC)[返信]
「犯罪行為を行い、有罪判決を受けた」という事実は、他者に死刑判決を宣告することも可能である裁判官という司法権の枢要な「法の番人」たる地位と極めて密接な関連性があります。裁判官は一般人とは異なり、司法に直接携わり、非常に大きな権限を有しているからこそ、今回のような事件の結果として弾劾裁判所への訴追が行われるという事態に至っているわけであり、裁判官という地位と今回の事件の関連性は切り離すことはできません。大阪此花区パチンコ店放火殺人事件への文字数だけみれば、今のところ全体に占める割合は少ないかもしれませんが、今回の盗撮事件の記述も併せて考えれば、この人物の項目を単独で存続させる意義は十分に存在します。もちろん、「弾劾裁判にかけられた裁判官」の一覧記事を作成し、その項目の中においても簡単に記述するのは構わないと思います。この人物以外の弾劾裁判にかけられた裁判官の記事に関しては、それぞれの裁判官について「過去にどういう裁判に関わり、どのような判決を下したのか」、「どのような事件で逮捕され、有罪判決を受けたのか」を個々に判断すべきであると思います。少なくとも、この人物に関しては憲法判断を伴う死刑判決を裁判員裁判で下したわけであり、人物項目を作成するだけの特筆性があると言えるでしょう。個々の人物で状況が違うのですから、「他の人物に関して記事が作成されていないから、この人物も作成するべきではない」という論理は成立しません。事件まで記事が作成されなかったことと、特筆性の有無は全く無関係の問題です。他の多数の言語版には記事が立てられているような重要な項目であっても、中々、記事が立項されない場合も日本語版Wikipedia内には多数存在しています。その一方で、相対的に重要性が低いと感じられる記事が立てられていたりすることもあります。それは、たまたま記事を書く執筆者がいないとか、その分野に関心を持っているウィキペディアンが少ないなどの様々な要素が絡み合って発生しているものです。今回の事件の項目を別個に立てることに関しては否定しませんが、この人物に関しても記事を書く価値は十分に存在していると考えます。--Wpjapanuser2012会話2012年11月23日 (金) 04:12 (UTC)[返信]

(インデント戻します)私の意見としては、人物項目を作成するほどの特筆性は無いと思っています。憲法判断を伴う裁判などいくらでもあります。憲法に定める法の下の平等に違反しているなどという訴えは数多いです(一例として、女性だけ離婚後6か月再婚禁止)。一票の格差訴訟や君が代訴訟など、憲法違反を訴える裁判はいたるところでいくらでもあります。これらに関わった裁判官全てに特筆性があると、Wpjapanuser2012氏は言われるのでしょうか。死刑の憲法違反だけ特別だという理由もありません。

死刑が憲法違反だという訴えは、地裁や高裁で死刑判決を受けた被告側の上訴理由の一つとして当たり前に出てきます。大阪此花区パチンコ店放火殺人事件では裁判員裁判で死刑の違憲性が審理されましたが、注目されるのはその裁判そのものであり、裁判官ではありません。事実、どこのマスコミでも逮捕されるまで当該人物の名前は一度も出てきておらず、その段階における特筆性は皆無と言ってよいでしょう。一裁判の判決だけで特筆性があるというのであれば、この放火殺人事件の裁判員全員、言ってしまえば市民から選ばれた裁判員にも特筆性があることになってしまいます。そんな馬鹿な話はありません。

また、他に弾劾裁判を受けた裁判官ですが、2008年の下山芳晴元裁判官の場合でも、今回の事件におけるどこのマスコミでも「宇都宮地裁の判事」との表記でしか無く、名前は出てきません。言ってしまえばその程度の扱いでしか無いのです。

私の意見とすれば、「裁判官弾劾裁判所#過去に行われた裁判官弾劾裁判」を分割して単独項目とし、事件の概要と過程を記述すれば済むと思っています。裁判官の出身地や出身大学、経歴など、弾劾裁判と何の関係も無いでしょう(年齢ぐらいならまだしも)。事件そのものも盗撮であり、それ一つで見れば単独立項されるほどの内容ではありません。--Floter会話2012年11月23日 (金) 12:35 (UTC)[返信]

Floter氏のご意見に全面的に同意します。弾劾裁判の対象となった裁判官については、どういった行いにより対象とされたかさえあれば十分で、本名や学歴を記述する必然性はありませんし、過去の裁判での判断のようなトリビアを書く場ではありません。--Tiyoringo会話2012年11月23日 (金) 12:59 (UTC)[返信]

裁判の判決とは、生身の人間(裁判官や裁判員)が頭脳を使って思考した結果、産出されるものです。その思考過程は機械が物理法則に従って動く様子とは異なり、単純明快な方程式で説明はできません。従って、同じような事例の裁判であっても、ある裁判では無期懲役となり、また別の裁判では死刑判決となることが多数存在します。憲法判断にしても、その裁判官によって判断が異なり、ある裁判官は合憲と判断したのに、別の裁判官は憲法違反だと判断することもあります。つまり、「裁判官個人と切り離された判決」などというものは存在せず、裁判官という生身の人間存在を捨象して抽象的な「判決」という文章だけに注目することはナンセンスです。もちろん、憲法違反か合憲かを争う裁判例は数多く存在します。しかし、「裁判員裁判の結果、憲法判断も伴い、死刑という生命を奪う究極の刑罰を下す決定を行った」というのは他の事例と比較して相対的に大きな特筆性が存在すると言え、トリビア的記述とは全く異なる性質のものです。そして、犯罪を犯し、逮捕されて有罪判決を受けたという事実は極めて重いもので、だからこそ弾劾裁判所へ訴追が行われたわけです。この一連の「逮捕から有罪判決、そして弾劾裁判訴追」という状況も当該人物の特筆性を高めているわけであり、単なる事件記事や弾劾裁判訴追を受けた裁判官の一覧記事の中だけではなく、人物の記事としても単独で記述する価値・特筆性が存在すると言えます。--Wpjapanuser2012会話2012年11月23日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
他の事例と比較して相対的に大きな特筆性が存在する』というのはあなたの独自研究です。違憲判決が出た事例より、死刑の憲法判断事例に大きな特筆性が有するという第三者のご意見を示して下さい。また何度も指摘していますが、本人物は逮捕されるまで一度もマスコミに名前が挙がることはなかったのに、裁判に携わったと言うだけでこの人物に特筆性があるという出典はどこにあるのですか。また、『「逮捕から有罪判決、そして弾劾裁判訴追」という状況』が特筆性を示すのは、その事例だけです。もう一度書きますが、本人の出身地や出身大学、経歴等と何の関係があるのですか。--Floter会話2012年11月23日 (金) 22:34 (UTC)[返信]
独自研究ではなく、こうして現実に弾劾裁判の訴追を受けたことが特筆性の根拠です。そして、この人物は逮捕された盗撮事件だけではなく、それ以前の経歴においても裁判官として重大な決定を下しているわけですから人物記事として立項する価値があります。--Wpjapanuser2012会話2012年11月24日 (土) 10:40 (UTC)[返信]
つまり、逮捕以前の経歴のみにおける第三者出典による有意な言及はゼロということでよろしいわけですね。私が指摘した下山芳晴元裁判官の例を示すとおり、弾劾裁判を受けた後は裁判官の名前など全く取り上げられない(鬼頭史郎元裁判官だけはその後の経歴も含め例外です)という事実に対する返答や、弾劾裁判と本人の経歴と何の関係があるのかという問いに対しての第三者からの有意な言及もゼロということでよろしいわけですね。--Floter会話2012年11月24日 (土) 22:25 (UTC)[返信]
逮捕以前の経歴に関しても、重大な判決に関与しており、その判決に関連して言及はされています。そして、この事件が報道された際にも、過去に関わった裁判の事例が取り上げられています。--Wpjapanuser2012会話2012年11月25日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ただある、あると言っているだけで、答えが何一つ出てきません。私の質問の意図からずれた答えもあります。まとめるとともに、追加も含め、下記の点のうちについて出典をご明示ください。出典がない場合、再度削除依頼に提出することも検討しております。

  1. 違憲判決が出た事例(一票の格差問題等)を含む他の憲法判断事例よりも、死刑の憲法判断事例が相対的に大きな特筆性が有するという第三者出典の有意な言及。言及がない限り、あなたが言われた『他の事例と比較して相対的に大きな特筆性が存在する』というのは独自研究となります。
  2. 逮捕されるより前において、当裁判官が大きく取り上げられた第三者出典の有意な言及。当然、判例文に名前が載っている程度のことでは「有意な言及」になりません。
  3. 下山芳晴元裁判官の場合、今回の事件におけるどこのマスコミでも「宇都宮地裁の判事」との表記でしかなく、名前は出てこない程度の取り扱いである。後世に名前を残すような扱い方はされていないのに、個人そのものに特筆性があるのか。鬼頭史郎元裁判官を除き、他の裁判官がいたるところでその個人名を標題にするような出典はどこにあるのか。
  4. 逮捕された事件と、裁判官本人の出身地や出身大学、過去の経歴等に関連があるという出典はどこにあるのか。もちろん、記事の中にただ出身等が書かれているという程度では何の意味もありません。この出典がない限り、わざわざ経歴等を書く必要性はありません。
  5. 谷合克行元裁判官や下山芳晴元裁判官は、現状の記事を見る限り、憲法判断に関わるような裁判を取り扱ったことが記載されていない。Wpjapanuser2012氏の考え方だと、この二人には裁判官としての特筆性は全くないので、人物記事として立項されるのは不適格となるが、その認識で間違いは無いか。--以上の署名のないコメントは、Floter会話投稿記録)さんが 2012年11月30日 (金) 10:47 (UTC) に投稿したものです(Wpjapanuser2012会話)による付記)。[返信]
  1. まず、「独自研究」というものが問題となるのはWikipediaの記事においてであって、ノートページでの議論において発言の全てについて「出典」を求めるのは間違いです。憲法判断も重要ですが、憲法判断以外の要素も重要です。裁判員裁判において死刑判決を下した裁判官という事実だけをもってしても、Wikipediaに記載する特筆性は十分に存在します。
  2. 逮捕される前においても、裁判員裁判で憲法判断をした上で死刑判決を下した事件において報道されています。
  3. 下山芳晴に関しては、Wikipediaで人物としての単独項目が立てられています。
  4. 逮捕されたことだけではなく、それ以外に関しても総合的に記載している項目です。逮捕だけを記述する項目ではありません。
  5. 私の考え方は、憲法判断もひとつの特筆性を判断する要素であるということであり、それ以外の要素も重視しています。それに、このノートは華井俊樹の項目に関しての議論ページであり、他の人物に関しての議論ページではありません。別の人物の問題は、そちらのノートページなどでお願いします。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 09:24 (UTC)[返信]
全て答えになっていません。あなたが「載せる価値がある」と断じる根拠が、全てあなたの独自研究になっています。
  1. つまりあなたは『他の事例と比較して相対的に大きな特筆性が存在する』ということが誤りであることを認めるわけですね。そして私は、「裁判員裁判において死刑判決を下した裁判官という事実」にその特筆性が存在する根拠を第三者出典で求めているのです。この質問は、2番目の質問にも絡んできます。
  2. その報道とはどこにあるのですか? 出典を示して下さい。テレビ報道などは検証不可能なので、出典にはなりません。何度も書いていますが、判例文に名前が載っている程度のことでは「有意な言及」になりません。当裁判官が大きくピックアップされた出典が必要です。
  3. Wikipediaで単独項目として上がっていることを問題としているのに、単独項目が立てられているという答えは全く意味がありません。第三者出典を求めているのです。
  4. 私は関連や必要性がどこにあるのかを聞いていますし、その第三者出典を求めています。
  5. あなたの今までの返答では「それ以外の要素も重視」などしていないでしょう。逮捕されたことと、過去のたった1件の裁判だけです。
--Floter会話2012年12月1日 (土) 11:01 (UTC)[返信]
Wikipediaにおいて記事を書くか書かないかの判断は、どこかに「この人物は百科事典に掲載すべきである」などと学者や研究者によって書かれた書物ないし出典のようなものがあって、その書物あるいは出典に従って書いたり書かなかったりするわけではありません。記事執筆はあくまでもWikipediaの利用者がWikipediaのコミュニティのガイドラインや方針に従って総合的に判断することです。「誤りであるのか?」などと、何か人の揚げ足取りをするかのような詰問をされていますが、私が何か間違った回答をしたのでしょうか?「載せる価値があるかどうか」、それはWikipediaの方針やガイドラインに照らし合わせて、記載する価値・特筆性が存在すれば立項出来るわけですし、百科事典の充実のために大いに執筆すべきであるということに尽きます。そして、当該人物(華井俊樹)に関しては、報道や人物の過去の言動を総合的に勘案すれば、記載する価値のある項目と判断したということです。この判断は、私一人の独断ではなく、コミュニティの決定であるということに留意してください。以前に出された削除依頼は却下され、存続に決定しました。なお、下山芳晴に関しては、あなたが最初に言及したのであって、私は関わっていません。本項目の特筆性と下山芳晴の項目の特筆性は別の問題です。下山芳晴に関して存続の可否を議論したいのであれば、そちらのノートで議論してください。この人物に関しては、逮捕されたこと自体が重要な事実ですし、過去の裁判に関わった事実も重要です。私はどちらも重視しています。これらを総合的に判断して、執筆する価値のある項目だとコミュニティによって判断され、存続に決定されたわけです。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
私はこの人物に特筆性があるのかという質問をして、あなたがそれに対する第三者出典を出すことができなかったという話です。「出典はあります」とか「報道されています」とかいろいろ述べていましたが、結局私の質問には何一つ答えられず、あなたの個人的な判断で「特筆性がある」と言っているだけだということがわかりました。ちなみに削除依頼の方は「いったん存続で終了します。引き続き議論の場を確保する必要があれば、当該記事のノートページなどをご活用ください」とあります。あくまで「いったん」であり、私は議論が必要と思ってこのノートでコメントをしているだけです。ついでに書けば、あなたは上の方で「「弾劾裁判の一覧記事」を作ること自体には賛成です。ただし、個々の弾劾裁判の元になった事件記事あるいは裁判官の記事もWikipediaに残す価値が十分に存在すると思います」と発言されております。他の裁判官は関係ないとおっしゃるのであれば、この発言にも何の根拠がないということになりますし、「本項目の特筆性と下山芳晴の項目の特筆性は別の問題」などとは言えないはずですよ。私としては、上の方で述べられているようにリストを作れば裁判官の個人記事は不要と考え、現時点で資料をそろえようとしているところです。削除依頼はいずれまとめて出すつもりですが、今回のあなたの返答を見て、別途ほかの方がこの人物について削除依頼を出しても問題はないでしょう。 --Floter会話2012年12月1日 (土) 13:06 (UTC)[返信]
これまでの各種報道、当該人物の過去の言動を全て勘案した上で、特筆性があると判断したわけです。それは、根拠がない私的な独断とは異なり、様々な客観報道をベースにしたものです。そして、コミュニティによっても記事の削除の提案は(「いったん」とは書かれていますが)否決されたわけです。なお、「個々の裁判官の記事もWikipediaに残す価値がある」と書きましたが、それはケース・バイ・ケースで考えるべきで、少なくとも当該項目の人物(華井俊樹)に関しては記事を残す価値が存在するということです。他の裁判官に関しては、私が執筆した項目ではありませんので、詳しく精査してみる必要があります。あくまでも、一般論として「一覧記事以外に、個々の裁判官の記事も残す価値がある」と見解を述べただけです。別の問題というのは、個々の裁判官で事情(犯した犯罪行為、罷免理由、過去に関わった裁判、言動など)が異なるという意味です。少なくとも、裁判員裁判で憲法判断を行って死刑判決を出したのは華井俊樹だけの特有の事情であり、単独の人物記事として項目を執筆する価値が特別に存在すると見なしうる根拠です。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 13:30 (UTC)[返信]
裁判員裁判で憲法判断を行って死刑判決を出したのは華井俊樹だけの特有の事情であり、単独の人物記事として項目を執筆する価値が特別に存在する」のであれば、その事実のみで当該人物を取り上げた第三者出典が必要と私は再三言っているわけです。そしてあなたはその出典を未だ出していない、という話です。あなたがそのような出典は必要ないというのであれば、それで結構です。私は後日、削除依頼を出すだけの話です。--Floter会話2012年12月1日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
その事実(裁判員裁判で憲法判断を行った上で、死刑判決を下した)のみで特筆性の有無を判断しているわけではありません。その事実に加えて、犯罪を犯して逮捕され、起訴され、有罪判決を受け、弾劾裁判への訴追がなされたという事実も併せて判断しています。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 13:45 (UTC)[返信]
その判断についても私は上の方で質問しており、あなたが私の質問に対する回答、いわゆる第三者出典を出していないだけです。もっともこちらの依頼では「事件だけで特筆性がある」と書いていますし、発言がコロコロ変わっています。結局弾劾裁判を受ければ全部特筆性があるとでも言いたいだけなのではないですか。--Floter会話2012年12月1日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
別項目での発言は、本項目における発言と別個の問題です。ちなみに、そちらの項目よりも、本項目の方が(当該人物の関わった裁判、及び、下した判決などの要素から)より特筆性が高いと考えています。そして、弾劾裁判にかけられたという事実のみで特筆性があるかどうかに関してですが、簡裁判事も弾劾裁判の対象となっていますが、それは判事や判事補のように死刑判決に関わることはないので、死刑判決に関わることもある判事や判事補とは自ずから判断基準が異なってくると思います。なお、第三者出典ということに関してですが、特筆性の判断はウィキペディアの執筆者やコミュニティが方針・ガイドラインに従って行うことであり、誰か研究者や学者が学術論文や書籍で「特筆性があるので、百科事典に記載すべきだ」と述べている(あるいは、述べていない)ので執筆する(しない)などという性質のものではありません。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 14:12 (UTC)[返信]
同じ事情を持つ人物同士の取り扱いで、別個の問題と答えることに無理があります。また、私は「百科事典に記載すべきだ」などという出典など求めていません。単なる逮捕記事程度ではなく、後世まで名前を残すような取り扱い方をされている出典があるのかということを求めています。人物記事を作成するうえで、第三者出典が求められるのは当然のことです。そして、第三者出典が無い記事は当然削除対象です。そもそも、弾劾裁判を受けた裁判官は必ず特筆性があるなどという方針・ガイドラインはどこにもありません。--Floter会話2012年12月1日 (土) 14:32 (UTC)[返信]
同じ事情ではなく、別の事情で逮捕され、起訴され、弾劾裁判に訴追されていますし、彼らが裁判官として担当した訴訟も全く異なる裁判事例です。「後世まで名前を残すような取り扱い方」という点に関しては、数多く存在する裁判官の中でも極僅かにしか存在しない「逮捕されて有罪判決を受け、弾劾裁判に訴追された」裁判官であるという点が挙げられます。これらの報道を根拠として、人物記事として百科事典に書くだけの価値・特筆性があると言えるでしょう。なお、「弾劾裁判を受けた裁判官には特筆性がない」などという方針・ガイドラインも存在しません。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

>>裁判官としての特筆性は全くないので、人物記事として立項されるのは不適格となるが、その認識で間違いは無いか>>
間違いないです。
個人名を記すのではなく、場所と時代、事件内容と当事者の属性が確認できる記事名で良いと思います。
例えば「平成二十四年大阪地裁判事補婦人肌襦袢盗撮疑惑事件」ではいかがでしょうか。この人にもこれから先、長い人生がある。人の情としてこれで勘弁してあげてほしい。183.72.106.31継承--以上の署名のないコメントは、27.231.106.63会話/Whois)さんが 2012年11月30日 (金) 11:21 (UTC) に投稿したものです(Wpjapanuser2012会話)による付記)。編集履歴を見たところ、Hot cake syrup氏は、「183.72.106.31継承」と称してる者(IPユーザー氏 27.231.106.63)の書き込みに文言を付加した後、リバートされていますが、「183.72.106.31継承」と称している者(IPユーザー氏 27.231.106.63)とHot cake syrup氏は同一人物なのでしょうか?非常に議論が分かりにくくなりますので、IPユーザーで編集したり、ログインして編集したりと使い分けるのは止めて欲しいです。また、可能であればIPユーザーとして編集する場合でも、IPをコロコロと変えないで欲しいです。[返信]

「この人にもこれから先、長い人生がある。人の情としてこれで勘弁してあげてほしい。」などと述べていることを見ると、Wikipediaという百科事典への記載を「刑罰」ないし「制裁」と勘違いされているようですが、別にWikipediaに記載されることは「刑罰」でも「制裁」でもありません。また、「人の情」やら記載されている人物の「人生がどうのこうの」といったことと、Wikipediaへの掲載は何の関係もありません。--Wpjapanuser2012会話2012年12月1日 (土) 09:24 (UTC)[返信]

肌襦袢とは和服におけるスリップであって、いわゆるパンティとは全く別のものです。特定の事件名が定着しているならそれによって個人名に替えることも考えられますが、定着した事件名が存在しない場合、ウィキペディアがそれを勝手に作ってしまうのは好ましくないでしょう。題名は記事の顔ですから。--110.67.132.9 2012年12月2日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

長く議論が停止していますが、私も本項はなんらかの処置が必要だと思います。しかし、wikipediaが事件名を創造することは多くのケースでNGとされています。この問題をどうクリアするかですが、良い知恵は無いものでしょうかね?。「全てのルールを無視しなさい」というルールを使いますか?--メルビル会話2015年9月14日 (月) 09:24 (UTC)[返信]

法曹資格[編集]

<<法曹資格を失うことになる<<
とありますが、今後、平の弁護士として働くことは可能でしょうか?--2012年11月13日 (火) 15:09 (UTC)——以上の署名の無いコメントは、110.162.229.39ノート/Whois)さんが 左記の時刻 に投稿したものです(K K1980会話)による付記)。

そういった質問はYahoo!知恵袋などでお願いします。ウィキペディアノートは記事の内容について対話する場です。--K K1980会話2012年11月14日 (水) 02:36 (UTC)[返信]

どうも不可解である。[編集]

この事件、表面的な記載で済ませてしまっていいものだろうか?将来最高裁の判事になれるだろう国立旧帝大出身のエリートの裁判官が、盗撮なんかで人生を棒に振ることが考えられるのであろうか。ネットで写真を見てもイケメンで彼女に不自由する容姿ではない。裁判官なら軽い気持ちでも盗撮をして露見したならどのような結果になるか分かっているはずである。おねえちゃんのパンツは人生の全てをなげうつほどの価値があるのか、これまで積み上げた長年の努力のすべてを水泡に帰させるに値するのか、私にはどうも分からない。

普通の人間だったら始末書とお小言で済む事件だと思う。弾劾裁判までやって法曹資格を剥奪する必要があるのか。 別のもっと深い政治的な背景がある可能性も考えられる。今後の記事の進展を待ちたい。--2012年11月14日 (水) 00:56 (UTC)——以上の署名の無いコメントは、183.72.106.31ノート/Whois)さんが 左記の時刻 に投稿したものです(K K1980会話)による付記)。

ウィキペディアは百科事典であり、演説をする場所ではありません。Help:ノートページ#記事ページをご覧になってください。--K K1980会話2012年11月14日 (水) 02:36 (UTC)[返信]

Help:ノートページ#ノートページの用途にはノートに記入について「具体的には、記事内容への質問や感想の投稿、加筆や修正についての提案・議論、記事文案の提示、編集意図についての補足説明」とあり、感想の記入は認められています。
このほか、「演説」=多くの人々の前で自分の主義・主張や意見を述べること...『広辞苑』です。語彙の用法についても正しくご理解ください。(失礼)183.72.106.31継承

横から失礼しますね。その「感想」というのは、”この項の内容は百科事典的に問題あるのではないだろうか?”や”記事の内容を改善するために○○という表現の方が良いのではないだろうか?”などの感想のことですよ。事件そのものの感想のことを指しているのではありませんよ。またwikipesiaの記事作成時での「演説」と、一般でいう「演説」とは若干ニュアンスは異なります。wikiに不慣れでご存じないだけと思いますが、wikiでいう演説はWikipedia:独自研究は載せないの内容に記載されている意味です。つまり、執筆者が「お小言で済む事件だと思う」と思ってもそれをwikipediaに記載することは適当ではありません。逆に○○新聞に「お小言で済む事件だと思う」という記事があり、それを記載することが適切かどうかノートページで議論することは適切な行為です。K K1980さまが言われていることが(wikipediaでは)正しいです。--メルビル会話2012年11月14日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

>>その「感想」というのは、”この項の内容は百科事典的に問題あるのではないだろうか?”や”記事の内容を改善するために○○という表現の方が良いのではないだろうか?”などの感想のことですよ。>>
この規則の明記してあるウィキの規則の部分をリンクで示してください。183.72.106.31継承

提示したWikipedia:独自研究は載せないは読んでいただけたでしょうか?上の方に要旨が記載されています。『ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません』と明記してあります。リンク先の「ウィキペディアは演説台ではありません」もお読みください。演説の項が記載されています。これでお判りいただけないと、ちょっと困るのですが・・・・。あなたが「お小言で済む事件だと思う」というのは典型的な独自研究なんです。--メルビル会話2012年11月14日 (水) 16:10 (UTC)[返信]

Wikipedia:独自研究は載せない確認しましたが、これが示すのは記事に対するものであって、ノートへの記載の指針を示したものではないようです。むしろ「独自研究の排除は記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。」とあり、ノートの場合は幅広い裁量が認められていると解する方が自然な解釈でしょう。ただし、「ノートページで個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう。」とありますがこれはケースバイケースでしょう。Wikiの場合は読者が互いに査読し合うシステムが採用されており、この場合記事には出典や客観性が厳格に求められます。しかしながら形式主義、教条主義に陥らないためにノートにはより広い裁量権が認められ、ブレインストーミングの場を提供していると考えられます。記事においては厳格に、ノートにおいては個人への誹謗中傷や度を超えたいたずら書きなどを除いて、意見に場が開かれていると考えるべきです。183.72.106.31継承

ここは華井俊樹の記事のノートですのでノート自体の使い方の議論はここではなくしかるべき場所で行うべきではないでしょうか?--Aquamarin456会話2012年11月15日 (木) 10:09 (UTC)[返信]

了解いたしました。--2012年11月30日 (金) 16:15 (UTC)183.72.106.31継承

半保護について[編集]

なぜ、半保護されているのですか?--61.25.129.43 2017年2月14日 (火) 02:31 (UTC)[返信]

履歴をご覧ください。合意に反した編集がIPユーザーによって何度も強行されているからです。--melvil会話2017年2月14日 (火) 02:55 (UTC)[返信]