ノート:硫黄島の戦い

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


「硫黄島の戦い」の古い版には削除されたものがあります。削除に至るまでの経緯はWikipedia:削除依頼/硫黄島の戦い本ノートの古い版を参照してください。

出典[編集]

「ある硫黄島作戦記の著者」の箇所とその下の文章は英語版からの翻訳だと思います。まだ、英語版にも記述は残っておりますので、en:Battle of Iwo Jimaのノートで質問してみてはいかがでしょう。--sabulyn 2006年11月5日 (日) 08:12 (UTC)[返信]

硫黄島の呼称について[編集]

硫黄島の名称は、今日では「いおうじま」と読まれることが多いが、正しくは「いおうとう」である。かつては、北、本、南3島を合わせて「いわうたう」と呼び、やがて3島を分け、本島を「いわうたう」=「いおうとう」と呼称していた。アメリカ軍では発音のしやすさから「いおうじま」と読んだとみられるが、この影響からか日本でも1980年代頃より「いおうじま」と呼ぶ人が増えてきている。

  • 上記の記述について、出典があれば、お教え下さい。小笠原村の公式ホームページなどによれば、1779年(安永8年)にイギリスのクック探検隊が硫黄島を発見した時点で、既に「ノース・アイランド」「サルファー・アイランド」「サウス・アイランド」と、三島は分けられているようです。また、国土地理院の地形図では、1968年の返還直後から「いおうじま」と表記されているようです。--Frhikaru 2006年11月6日 (月) 08:28 (UTC)[返信]
    • 私は当該箇所を追加した張本人ではありませんが、調べてみたら小笠原諸島地名事典 Place Namesというサイトに下記のような記述がありました。
      • 1891年、小笠原島南々西の無人島を硫黄島と命名する旨公布、このときどう呼んだか不明だが「いおうじま」とルビをつけた新聞もあった。
      • 小笠原諸島では開拓者達は「いおうとう」と呼び定着した。しかし「いおうじま」と回答しているものもある。
      • 陸海軍は「いおうとう」を使った。戦前命名された動植物には「イオウトウアジサイ」、「イオウトウウグイス」などがある。
      • 国土地理院1/5万分地形図は、1968年返還直後は「いおうとう」であったが、その後の版では「いおうじま」に変更。
      • 小笠原村役場は「いおうじま」を認めているようであるが「いおうとう」も使っている。
      • 米国がIwo Jimaの呼称を使ったのは、旧海軍水路部作製海図のローマ字表記に基づくと思われる。--猪山人 2006年11月7日 (火) 08:30 (UTC)[返信]

硫黄島の戦略的な価値について[編集]

  • 仮に硫黄島が早期警戒拠点としての価値を有していたとしても、高度約10000メートルで飛来し、高々度からの爆撃を行うB29を日本軍が撃墜することは、非常に困難だったのではないでしょうか。日本軍機の迎撃により、「アメリカ軍の爆撃機がかなりの損害を被っていた」というような事実があるのでしょうか。--Frhikaru 2006年11月6日 (月) 08:34 (UTC)[返信]

日米の損害の比較[編集]

  • 日本軍の損害と米軍の損害とを比較して、どちらが多いと論じるのは、無理ではないでしょうか。日本軍は兵員の補充もなく、降伏も拒絶したので、戦闘に参加した兵員の大部分が死亡したのに対して、米軍は負傷者を救助して後方へ待避させつつ、前線に新たな兵力を投入しましたから、米軍の戦傷者が日本の戦死者を上回るのは、ある意味、当然の結果ではないかと思います。--Frhikaru 2006年11月11日 (土) 16:11 (UTC)[返信]
    • 「アメリカ軍が最も大きな損害を蒙った戦闘であった」との表記は、米軍の損害数なら沖縄戦の方が多いので、間違いですので戻しました。「米軍の戦傷者が日本の戦死者を上回るのは当然の結果」というのはよくわかりませんが。サイパンでも沖縄でも米軍の損害は日本軍の損害を下回っています。--猪山人 2006年11月11日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
    • 沖縄戦の数字を勘違いしていたので、「アメリカ軍が最も大きな損害を蒙った戦闘であった」というのは間違いでした。--Frhikaru 2006年11月11日 (土) 16:58 (UTC)[返信]
    • 「損害」という言葉の意味が曖昧なので、具体的に記述してみました。戦死者1名と戦傷者1名を同じ「損害」としてカウントするのは妥当ではないように思います。--Frhikaru 2006年11月11日 (土) 17:04 (UTC)[返信]
      • 確かに戦死者1名と戦傷者1名を同じ「損害」としてカウントするのは妥当ではありません。しかしそれは逆の方向にです。身も蓋もない言い方になりますが、戦死者は死ねば終わりですが、戦傷者は後送、治療、看護、傷痍年金などに莫大なコストがかかり、交戦国に与えるダメージはより大きいのです。こういう事情もあるので「損害」といえば戦死者と戦傷者の合計を指します。あなたの言うような曖昧さは全くありません。--猪山人 2006年11月11日 (土) 17:23 (UTC)[返信]
      • ご指摘のように、戦傷者を後送、治療、看護する国においては、戦傷者は戦死者よりも大きな「損害」となり得ますが、戦傷者に自決を強いたり、負傷しても前線で死ぬまで抗戦することを強いる国においては、いささか事情が異なります。単純に戦死者と戦傷者を合計し、「損害」として、その多少を比較するのは妥当ではないように思います。--Frhikaru 2006年11月11日 (土) 18:14 (UTC)[返信]
  • 「硫黄島の戦いはアメリカ軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であった」という表現は、英語版ウィキペディアアメリカ海兵隊のサイト、その他例1例2など各方面で見られる表現です。「単純に戦死者と戦傷者を合計し、「損害」として、その多少を比較するのは妥当ではない」などという見解を主張されるのであれば、その旨を記載した出典を明記されるようお願いします。出典の提示がないのであれば本文のほうは元通り戻しますのであしからず。--猪山人 2006年11月12日 (日) 00:09 (UTC)[返信]
  • 「太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であった。」というのはペリリュー戦を考えると正確ではないと思いますがいかがでしょうか?

日米損害を比較するのならば、米軍が硫黄島における戦闘に展開した全兵力をあげ、そこから比較すべきではないでしょうか?

  • アメリカは生還率50%未満だと作戦遂行はしませんでした。かたや日本は「20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死」とあります。まさに96%以上が死亡です。日本軍側で戦闘不能になった方を含めれば、ほぼ殲滅されたのが実情です。栗林氏に与えられた任務は結局果たされませんでしたし、これが果たして戦術として評価に値するものかはなはだ疑問です。もちろんかの地に居た将兵や遺族への「思い」とは別の次元で語られることです。戦争は悲惨であるという視点が欠けた「本文」としか見られないです。--以上の署名のないコメントは、I have no name会話投稿記録)さんが 2007年2月9日 (金) 19:56 (UTC) に投稿したものです。[返信]
  • また栗林氏に与えられた任務は、結果が示している通り、いわば「失敗」だったのではないでしょうか。B-29の仮飛行場として硫黄島を利用すれば米軍の起動力は大いに増します。これを阻止するならともかく栗林氏の作戦はあの状況では仕方なかったのでしょうが単なる「時間稼ぎです」それをを大いに礼賛する記述はやめて頂きたいと思っています。やはり「戦争は悲惨」という言葉を入れる方がいいと私も考えます。これは民族独立戦争等々でも共通することですし。--以上の署名のないコメントは、I have no name会話投稿記録)さんが 2007年2月9日 (金) 20:05 (UTC) に投稿したものです。[返信]
  • ウィキペディアは、「戦争の悲惨さ」を啓蒙する場所ではありませんし、ましてや過去の歴史や人物の評価を決定する場所ではありません。「戦争は悲惨」などという文言を敢えて追加するのは、毛頭不適切です。--Eros618 2010年7月12日 (月) 23:14 (UTC)[返信]

『日本軍同士の殺し合い』記述について[編集]

NHKアーカイブ・NHKデマンドにて番組の内容を確認。記述されているような内容の発言は確認しませんでした。当該記述者はどのような資料を基に書き込まれたのでしょうか?疑問部分記述に下線を引かせて頂きます。--男梅 2009年10月19日 (月) 03:28 (UTC)[返信]