ノート:独島義勇守備隊

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「論争」の問題[編集]

関連項目として日本とコリアの論争が挿入されています。竹島が日韓の領土紛争に発展していることは本文にも指摘しており、竹島へのリンクも張ってあります。しかし、独島義勇守備隊そのものについて何か日韓の論争があるでしょうか?何でもカンでも論争に結びつけるのはどうかとも思います。Trek011 2005年3月25日 (金) 11:27 (UTC)[返信]

李承晩大統領の指示で武器を供与されたのなら、国家が支援する義勇兵になります。これはアフガニスタンの支援を受けていたアルカイーダやパキスタンの支援を受けているカシミール地方のイスラム教徒による義勇兵問題と何ら違いは無いのです。論争に発展させていないのは、日本側の寛容と当時の国際政治状況のためであり、国際法上で問題が無いということではありません。Revth 2005年3月26日 (土) 05:20 (UTC)[返信]

いずれにしても論争がない、なかったのは間違いないのですから。また李大統領が武器を支給したのは、後の話です。ところで国家に支援された義勇軍というと、朝鮮戦争に介入した中国人民義勇軍がありますが、国際法上問題になったという話を聞きません。義勇軍を検索するとミリシアに転送されました。民兵という見方もできますね。Trek011 2005年3月26日 (土) 05:37 (UTC)[返信]

>論争に発展させていないのは、日本側の寛容と当時の国際政治状況のためであり

日本側の記録では巡視船に発砲したのは韓国側「官憲」という認識ですから、寛容も何も義勇守備隊がいたことなど知らなかった。知らなければ論争になりません。Trek011 2005年3月26日 (土) 05:46 (UTC)[返信]

当時のこの問題に関する日本の外交文章を全部さらってみたりしたのでしょうか?いや、巡視船に対する発砲記録だけで論争になっている問題でしょう。中国人民義勇軍ですが、当然問題になっています。当時から実態が中国軍であることは認識されており、それに基づいた論争が起きています。国連軍を率いていたマッカーサー将軍が、中国に対する核攻撃を提案しています。これをトルーマン大統領が「ソ連による報復攻撃」を理由に拒否しています。「義勇軍」を派遣した国に対する報復処置として認めているが、国際状況を見て、表ざたにしていないわけです。それと朝鮮戦争のことを問題にするのなら「ソ連人義勇兵」のことも語らなくてはいけないでしょう。空軍はソ連が人も含めて支援するしかなかったため、簡単に言えば「支配地域以外の飛行禁止」が言い渡されていました。これは、ソ連側が戦争を拡大させないために行ったものです。また、アメリカ側はロシア語による無線での会話が傍受しており、これを当時創建されたばかりの国連に出すかどうかで、アメリカ政府内での論議の結果、提出しないことに決めているのです。提出すれば、国連決議に反したソ連に対する制裁を行わなくてはいけないが、戦争を拡大させないためにアメリカ側は行動を取らなかったわけです。もっと、文献を読んでから発言してください。
「戦時中で戒厳令下にあった国で武器を所持して、他国の船に発砲する存在」を日本側はどう記録に残すか考えられませんか?アメリカのように一般人が銃を所持する権利がある国ならともかく、韓国の銃所持に関する法律は基本的に日本と同じです。猟銃で撃ってきたのならともかく、小銃で撃ってきたのなら、合法的に銃を所持できる「官憲」以外を疑えますか?国内に自国の法律が及ばない武装組織があり、他国の主権下にあるものに対して武力攻撃を行っている・・・と日本に説明することができるのでしょうか。そもそも日本側は、容疑者の逮捕、犯罪を確定する裁判を行っていないので、合法的に銃を持つことができる官憲以外であると記録できる理由が無いでしょう。法律には詳しくないので推測になりますが、「銃刀法違反、公務執行妨害」をした「国外逃亡犯」と認定できると思われるので、今からでも被疑者死亡であっても送検と引き渡し要求ができるでしょう。これを行わないのは、なぜなんでしょう?それぐらいは考えられるでしょう。--Revth 2005年3月27日 (日) 08:41 (UTC)[返信]

軍の問題[編集]

最後に

>近年まで軍の指揮権を平時から国連軍に握られていた名残という側面もある。

という部分が挿入されていますが、現在では平時における韓国軍指揮権は韓国政府にあり、現在も軍が駐屯していない理由にはなりません。この部分のソースを示してください。

過去に駐屯していない理由は、平時指揮権の委譲だけで十分ですから、現在駐屯していない理由を出しましょう。国防部の発言ですが、政治的配慮ですね。
国防部は同日の懸案報告で「現段階で独島に軍を配備することは、韓日両国に軍事的緊張をもたらすだけでなく、国際的に領土紛争地域であることを自ら認める結果になるため、適切ではないと判断している」と述べた。
引用元:[1]

であれば、過去の名残という表現(正確には「近年まで軍の指揮権を平時から国連軍に握られていた名残」)という表現は不適当でしょう。また以前からそういう配慮が働いていたことも十分考えられるので、

>過去に駐屯していない理由は、平時指揮権の委譲だけで十分

とはいえない。Trek011 2005年3月26日 (土) 04:25 (UTC)[返信]

>十分考えられる 全く関係ありません。過去においては、選択の余地がないのですから。



個人ノートからの移動[編集]

独島義勇守備隊記事について[編集]

これ、個人ノートで継続するのはただの荒らしですから、こちらに移動します。署名なしは全て私のミスです。open-box 2005年3月26日 (土) 06:52 (UTC)[返信]

>竹島が1905年に島根県隠岐郡五箇村に編入されたことは事実だが、第二次世界大戦後、日本及び朝鮮を占領した連合軍が竹島を米空軍の射爆場にして日本漁船の立ち入りを禁止したため、帰属があいまいになった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本が領有権を主張して、巡視船がたびたび同島に赴くようになった。

この部分を二度にわたって消去され、二度目には竹島 (島根県)の項目に記述すべき内容であるとの理由が書かれていますが、竹島の項目には同様の記述がなく、また現状では独島義勇守備隊成立の背景が十分説明できません。記事の独立性を損なうもので復元を望みます。Trek011 2005年3月26日 (土) 03:18 (UTC)[返信]

こちらの会話ページに

>復元をお望みのようですが、現在竹島は編集可能ですが? 少なくとも、当方が処理すべき内容ではありません。記述上のテクニックの問題がありますので、そこだけ指摘しましょう。独島の背景ではなく、義勇守備隊の背景なので、結成部分に背景として記述すべき内容が多分に記述されています。結成と背景を一項目にまとめ、人数関係の記事を、組織冒頭に初期の組織構成として移動すると、きれいに収まります。open-box 2005年3月26日 (土) 03:39 (UTC)("http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Trek011" より作成)

という返信をいただきましたが、議論が分散するとわからなくなるので、こちらに返信します。

(1)独島義勇守備成立の背景として当時の独島事情に触れるのは当然であり、「独島の背景」ではないのです。また義勇守備隊成立の背景を説明するために当方が竹島の項目まで編集しなければならい義務はありません。

(2)また「人数関係の記事を、組織冒頭に初期の組織構成として移動すると、きれいに収まります」とのことですが、記事本文にも断っているように、組織の説明は末期のものであり、結成時と同じかどうかは不明です。結成時の人数は33名と述べてあります。Trek011 2005年3月26日 (土) 03:56 (UTC)[返信]

(2)は了解。結成時の人数は、33名。末期構成は以下の通りとすれば問題ないでしょう。

(1)Wikiは、政府の宣伝の場ではありません。当時の竹島の背景としては、竹島領有を企図して李承晩ラインを引いたが、政府として実力を行使する余力が無く、そこに義勇兵の介在する余地があったというだけで十分です。帰属が曖昧になったは、あなたの主張にすぎません。射爆場は、竹島の項目に是非とも記載すべき内容です。また、後段巡視船の下りは、ソースを出して下さい。

竹島の項目まで編集しなければならい義務はありません。 あります。竹島の項目には同様の記述がなくを理由にしているのは、あなたですから。open-box 2005年3月26日 (土) 04:27 (UTC)[返信]

>Wikiは、政府の宣伝の場ではありません。

私は竹島の領有権問題について日韓どちらが正当かには興味がありません。事実を正確に記述すべきだという立場です。一体、何が政治宣伝なのでしょうか。

帰属が曖昧になったは、あなたの主張にすぎません。射爆場は、竹島の項目に是非とも記載すべき内容です。

この部分のソースは次のサイトです。私の個人的な意見ではありません。

http://www.geocities.com/mlovmo/page4.html

>後段巡視船の下り

ソースはen:Liancourt Rocksです。上のサイトでも触れていますが。

>あります。竹島の項目には同様の記述がなくを理由にしているのは、あなたですから。

意味不明です。ウィキペディアの編集は自主的、自発的に行われるべきであり、誰かに強制されて行うものではありません。「竹島の項目に是非とも記載すべき」と思うのならあなたがすればいいでしょう。Trek011 2005年3月26日 (土) 05:15 (UTC)[返信]

ご自分の言動(竹島の項目には同様の記述がなく)には、責任をお持ち下さい。 ソースページの意見は明白に韓国側よりですが、それをさしおいても、1950年からという記述が出てこないのですが? 1952年の平和条約発行前の活動なので、疑問視しているのです。

>竹島の項目には同様の記述がなく

といっただけで、何故私が竹島の項目に記述しなければならない責任が生じるのでしょうか。独島義勇守備隊の項目から上記部分を除去してしまったのはあなたであり、除去には正当な理由がないといっているのです。全く身勝手な言動であるといわざるをえません。Trek011 2005年3月26日 (土) 06:46 (UTC)[返信]

裏付けのない一研究者の意見を、真実として拝聴し従属する義務はございません。

>射爆場にして日本漁船の立ち入りを禁止したため、帰属があいまいになった

>1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本が領有権を主張して、巡視船がたびたび同島に赴くようになった。

現段階においてこれらは全て裏付けのない、韓国に都合のよい想像にすぎません。open-box 2005年3月26日 (土) 06:52 (UTC)[返信]

「荒らし」とか「妄想」とか罵倒掲示板用語がそろそろ出てきましたね。(「妄想」はさすがに引っ込めましたが。)そういうところから来た人なのでしょう。とにかく、こちらはソースを示しています。違うというのであれば、その根拠を示すのが正常な議論の仕方です。根拠も示さずに妄想だの想像だのというのは、それこそあなたの想像の域を出ていないのです。Trek011 2005年3月26日 (土) 07:06 (UTC)[返信]

残念ながらあなたのソースには、妥当性がないのです。平和条約発行以前の1950年に巡視船が竹島に赴くようになったことは、裏付けを未だにいただいておりません。射爆場にして日本漁船の立ち入りを禁止したことは、占領軍による利用の手続きにすぎず、領有権に関する内容は含まれておりませんので、曖昧になる理由たり得ません。SCAPIN667以降の解釈については、竹島の項目に既に記載されておりますので、重複して記載する必要はありませんが、こちらは韓国側の立場なので許容範囲でしょう。open-box 2005年3月26日 (土) 07:14 (UTC)[返信]

>平和条約発行以前の1950年に巡視船が竹島に赴くようになったことは、裏付けを未だにいただいておりません

こちらの文章をよく読んでください。1950年は朝鮮戦争勃発の年として言及しているだけであり、日本巡視船が1950年から竹島に赴くようになったとが述べていません。「朝鮮戦争中に」という意味です。クロノロジーをまとめておきましょう。

  • 1950年6月25日 朝鮮戦争勃発
  • 1952年1月18日 李ライン宣言
  • 1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約
  • 1953年7月27日 朝鮮戦争停戦

ということなので、平和条約以降に日本の巡視船が竹島に赴いたとしても朝鮮戦争中という表現と矛盾しないのです。誤解が生じるようなら、「1952年以降」と表現を変えてもかまいません。


>射爆場にして日本漁船の立ち入りを禁止したことは、占領軍による利用の手続きにすぎず、領有権に関する内容は含まれておりませんので

これも本文をよく読んでいただきたい。連合軍司令部が領有権に関する発言をしたとはどこにも言っていません。日本漁船が入れなくなったのだから、韓国側が領有権があいまいになったと受けてっても不思議はないということです。それが正当だとも不当だとも言っていません。書いていないことで非難されてもね、、、。Trek011 2005年3月26日 (土) 07:50 (UTC)[返信]

射爆場であることによる危険性を考えると、領有権に関する発言をしていないにもかかわらず、これで曖昧になると考えるのは、不自然でしょう(韓国側の被害は、伝達漏れ・蛮勇・安全を軽視した軍による強行と考えます)。漁業面から、SCAPIN1033でそのように考えてしまうのであれば、何等問題がない記述と考えられます。朝鮮戦争関係の年数は、意図していなかったことは了解しました。朝鮮戦争のどさくさに紛れて日本が進出したように読めてしまうので、変更するのが無難でしょう。

こちらでも、無理なく双方の主張を記述する手を考えたので、読んでみて下さい。通説のSCAPIN667/1033ベースで整合性をとってみました。こちらであれば、日本も韓国も主張があり、その争点は竹島の項目に任せることが出来ます。ただ、竹島と重複することをどう考えるかという問題はありますが。

>日本国との平和条約には明記されていないが、SCAPIN667及びSCAPIN1033により竹島が自国領となりうると考えていた韓国・李承晩大統領は、1952年1月18日、李承晩ラインを竹島を含む海域に設定、独島領有を宣言した。一方、放棄したとの認識のない日本は、巡視船を派遣し領有権主張を行った。ここに、竹島は日本と韓国の間で領土紛争に発展した。 open-box 2005年3月26日 (土) 08:08 (UTC)[返信]

>SCAPIN667及びSCAPIN1033

これは専門用語であり、リンクさえ付いておらず、普通の人には理解不可能でしょう。もっとわかりやすくする必要があります。

この代案を見る前にこちらで次のような代案を作成しました。

>竹島が1905年島根県隠岐郡五箇村に編入されたことは事実だが、第二次世界大戦後、日本及び朝鮮を占領した連合軍司令部が竹島を米空軍の射爆場にして日本漁船の立ち入りを禁止したため、韓国側は島の帰属があいまいになったと受け取った可能性がある。1952年1月、まだ朝鮮戦争中であったが李承晩大統領は李承晩ラインを竹島を含む海域に設定、独島領有を宣言した。一方、1952年4月サンフランシスコ講和条約が調印されると日本の巡視船がたびたび同島に赴くようになり、竹島は日本と韓国の間で領土紛争に発展した。Trek011 2005年3月26日 (土) 08:25 (UTC)[返信]

再調整しました。冒頭は、文章がくどくなるので元から外しています。朝鮮戦争で、余剰戦力がないことが原因なので、言及は必要ですね。「たびたび~」は、初回で既に紛争化しているので結成の項に移した方がよいと考えました。リンクは、今からつけた方が楽ですね。

第二次世界大戦後、竹島は占領軍の覚書により、日本の政治及び漁業の管轄から一旦、外されることとなった。サンフランシスコ講和条約では、放棄する領土として明記されていなかったが、先の覚書により、竹島が自国領となりうると考えていた韓国・李承晩大統領は、朝鮮戦争中の1952年1月18日李承晩ラインを竹島を含む海域に設定、独島領有を宣言した。一方、放棄したとの認識のない日本は、1952年4月サンフランシスコ講和条約が発効すると、巡視船を派遣し領有権主張を行った。ここに、竹島は日本と韓国の間で領土紛争に発展した。open-box 2005年3月26日 (土) 08:39 (UTC) 修正open-box 2005年3月26日 (土) 08:41 (UTC)[返信]

サンフランシスコ講和条約が二度も出てきてくどくなるので、次のようにしました。この文章は竹島の背景説明ではなく、守備隊成立の背景説明だという点を配慮してください。

>竹島は1905年島根県隠岐郡五箇村に編入されたが、第二次世界大戦後、占領軍の覚書により日本の政治及び漁業の管轄から一旦はずされた。このため、竹島が自国領となりうると考えた韓国の李承晩大統領は、朝鮮戦争中の1952年1月、李承晩ラインを竹島を含む海域に設定し独島領有を宣言した。一方領有権を放棄したとの認識のない日本は1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると巡視船を派遣し領有権主張を行った。ここに竹島は日本と韓国の間で領土紛争に発展する。Trek011 2005年3月26日 (土) 09:08 (UTC)[返信]

一応これで本文に復活しておきます。後、何かあれば本文で。Trek011 2005年3月26日 (土) 09:13 (UTC)[返信]

問題ないと思われます。リンクだけ直しておきます。open-box 2005年3月26日 (土) 09:18 (UTC)[返信]

巡視船への発砲[編集]

1954年9月25日付韓国政府に対する日本外務省口上書では

>最近同島の現況調査のため派遣された日本国巡視船が同島より突然銃撃を受け損害を被るに至った。

としており、発砲と被害の事実は確認できる。撃沈には触れていない。

Trek011 2005年3月26日 (土) 10:37 (UTC)[返信]