ノート:木綿 (ゆう)

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ノート:木綿 (糸)から転送)

「木綿 (糸)」からの改名提案[編集]

「もめん」と「ゆう」の違いは、糸かどうかによるものではありません。木綿糸というものもあるわけで、今の記事名はあまりよくないと思います。「木綿 (ゆう)」に変更しようと思うのですが、どうでしょうか。--Kinori 2009年3月31日 (火) 09:10 (UTC)[返信]

  • (賛成)木綿(もめん)も木綿(ゆう)も繊維の名前ですし、個人的には前者も「木綿 (もめん)」に変えて曖昧さ回避にしたいぐらいですが、一般的な用語としての観点からは・・・(以下、愚痴になるので略)。いづれにせよ、改名の可否に関係なく本文記述も微調整は必要ですね。--胡亂堂 2009年3月31日 (火) 10:07 (UTC)[返信]
  • (コメント)反対というより、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに「括弧内に別名、原語や読み仮名を併記してはなりません。記事名でなく本文で行うようにしてください。」という文言が明記されている以上、読み仮名をもって記事名に採用することは困難ではないかと思われます。--水野白楓 2009年4月1日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)コウゾに統合するのはどうでしょうか。この記事の内容は(将来の加筆を見込んでも)「コウゾの利用法」の範囲を超えることはなく、コウゾ内にあって差し支えありません。現状は単独記事にするにはあまりに短いです。--Bista 2009年4月1日 (水) 23:11 (UTC)[返信]
  • (コメント)上で賛成票を投じましたが、水野白楓様の仰有るように「原語や読み仮名を併記」することが禁止されていますので(すみません、知りませんでした)、「木綿 (ゆう)」は不可ですね。一旦賛成を引っ込めます。また、Bista様のご意見に就きまして、「『コウゾの利用法』の範囲を超えることはな」い点はごもっともなのですが、神道における祭祀用具に頻繁に用いられていますので、特筆性はあると考えますし、その方面からの加筆も十分見込めるかと思います(当方にその力量があればいいのですが・・・)。従いまして、改名には賛成、「コウゾ」との統合には反対となります。で、新項目名なのですが、カジノキから作られることもあり、「木綿 (コウゾ)」だとやや落ち着きが悪いように感じられますので、いっそのこと「[[ゆう (繊維)]]」にするというのはどうでしょうか?--胡亂堂 2009年4月7日 (火) 11:56 (UTC)[返信]
  • (コメント)現在の植物学ではコウゾとカジノキは明確に区別され、カジノキも使われるということですので、統合案は引っ込めます。「ゆう」にするのならゆうゆう (曖昧さ回避)にしてゆうに移動することも考えていいかもしれません。現在のゆうは曖昧さ回避としてあまり必要性がなさそうです。--Bista 2009年4月7日 (火) 20:42 (UTC)[返信]
  • (コメント)いろいろご意見ありがとうございます。Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:曖昧さ回避に従えば、1.記事名は正式名称、2.かっこ内は分野、が原則です。文面からすると、かっこ内については分野別でうまくいかない事態が想定されていないようです。同じ分野で同じ名前だが別の記事にしなければならない、ということは滅多にありませんからね。ここで挙げられた候補は、誤解を呼ばないという目的を満たしており、どれであってもおかしくないと思います。直感的にはかっこが付かないゆうに魅力を感じますが、ウェブで検索するかぎり、「ゆう」を正式名称とみなすこともできなくはないが、木綿との差は歴然であるようです。記事名を「ゆう」にして、冒頭部はこのまま「木綿(ゆう)は・・・」と書き出すというのはどうだろうかと思います。--Kinori 2009年4月12日 (日) 02:33 (UTC)[返信]

提案変更後[編集]

長いので節を入れました。--open-box 2009年5月16日 (土) 16:41 (UTC)[返信]

議論が途絶えておりますが、現在のゆうゆう (曖昧さ回避)に移動し、跡地になったゆうに本記事を移動するということでよろしいでしょうか。ゆうに改名提案のテンプレートを貼りましたので、もしそれで異議がなければ移動をかけたいと思います。--Kinori 2009年4月29日 (水) 07:30 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。Wikipedia:改名提案にも告知しました。--Kinori 2009年4月30日 (木) 07:51 (UTC)[返信]
(反対)さすがに、「ゆう」という語に繊維のゆうが第一義というのは無理があると考えます。単に「ゆう」と言われれば、やはり「夕」を第一に上げる方は少なくないと思われますし、「邑」も無視できません。「釉」が最初に来られる方もおられるでしょう。もちろん、「優」、「雄」であっても、何らおかしな点はありません。これらは確かに字引的なのですが、日本語として「木綿」がこれらを差し置いて、優先されるほどとは考えませんので、ゆう=「木綿」というのは、いかがなものかと考えます。また表記として「ゆう」<「木綿」という関係が成り立つのであれば、「木綿 (**)」の**を考えるのが無難であると考えます。
確かに糸はまずいでしょうね。コウゾも使えません。繊維も、木綿だって当然繊維ですしと、曖昧さ回避の分野名として何を使うかに悩まれたことは良く理解できます。さて、この「木綿」は繊維であり、日本固有の物であることは間違いないわけです。他国に同様な物があったとしてもそれは、それ自体の名称が存在するはずであり、『@は、日本の「木綿(ゆう)」と類似した繊維である』といった方向性で書けるわけです。そこで、「木綿 (日本の繊維)」はいかがでしょう? 長くなるという欠点はありますが、糸、繊維などの不適切な曖昧さ回避は回避できる、用例の多い「木綿」でいける、「ゆう」について考慮する必要がなくなるという長所があると考えます。--open-box--あれ? 時間が消えてる……--open-box 2009年4月30日 (木) 18:49 (UTC)[返信]
なるほど妙案ですね。確かに杞人の憂かもですが、将来「ゆう」という芸能人なりが出てきた場合、ぢーぷなふあんから改名提案が再提出される虞れがありますので、「[[木綿 (日本の繊維)]]」が無難ですね。--胡亂堂 2009年4月30日 (木) 22:38 (UTC)[返信]
「木綿 (日本の繊維)」では「木綿 (糸)」の欠点がそのままだと思います。「ゆう」は糸だけのものであり、「もめん」は糸以外のものもさしますが、「もめん」にも糸はあります。「ゆう」は日本だけにあり、「もめん」は日本以外にもありますが、日本にも「もめん」はあります。かつ知名度では「もめん」のほうが圧倒的なので、「木綿 (糸)」や「木綿 (日本の繊維)」では、「木綿」の分割記事と思われる可能性が高いです。積極的に「ゆう」の記事を探している人も迷うと思います。それでは道しるべとしての目的に適しません。
その点、「ゆう」かコウゾに言及する方式なら、「もめん」の話でないことがただちに明らかです。一般に、この「ゆう」について書かれるときには、「木綿の原料は・・・」と書き流されることはまずありえず、少なくとも初出のところで「木綿(ゆう)の原料は・・・」などと読み仮名を示します。普通の文章で、「ゆう」の読みが曖昧さ回避目的で使われているのです。特徴的なことだと思います。
そして、open-boxさんがあげた前半の理由ですが、Wikipedia:曖昧さ回避に「曖昧さ回避を辞書にしない」とあるのはご承知かと思います。「曖昧さ回避すべきもの」にも、読者がその言葉で検索するかどうか考えろ、迷う恐れがないものは作るな、作ったとしてもその項目名で呼ばれるものすべてを載せるのではない、とあります。現在の「ゆう」の場合、「リゾートエクスプレスゆう」がポイントであって、「夕」「邑」「釉」「優」などが並んでいるだけなら削除依頼送りです。ですから、「ゆう」の読みをするものの順位は考慮しなくて良いと思います。--Kinori 2009年5月1日 (金) 17:18 (UTC)[返信]
Kinoriさんと同感です。読みが「ゆう」であるものは本来、リストになくていいものだと思います(曖昧さ回避のページ自体、不要かもしれません)。「ゆう」と書くもので、記事ができそうなものが現れば、そのときまた考えればいいでしょう。--Bista 2009年5月2日 (土) 03:29 (UTC)[返信]

「木綿(ゆう)」とされるのは、難読語・複数の読みがある語であれば当たり前の処置であり、この種の表記からは、あくまでこの記事の対象となる「木綿」の読みが「ゆう」であり、一般的な読み「もめん」との曖昧さ回避以上の価値は導けません。「夕」「邑」「釉」「優」等も全て「ゆう」であり、「ゆう」の第一義として「木綿」でなって、「木綿」が「ゆう」としてこれら他の「ゆう」(特に「夕」)に優越することは決してあり得ないと考えます。この記事にとっての「ゆう」は、あくまで「木綿」の読み(ゆう)は「もめん」との間で曖昧さ回避であるに過ぎず、発音「ゆう」としては「夕」「邑」「釉」「優」等と同格以上にはなり得ないのです。故に他の読み仮名「ゆう」を考慮しなくて良いとするのは、「ゆう」に移動するという前提がなければ成り立ちません。にもかかわらず「ゆう」でなければならないと主張するのであれば、それは中立的な観点に反します。
「木綿 (**)」は「もめん」と誤解される可能性があるから、この記事は「ゆう」でなければならないと主張するのは、論理の飛躍です。なぜならば、その場合であっても「ゆう (**)」と中立的な名称にすることは可能ですから。
なお「木綿 (日本の繊維)」が「もめん」の分割記事と思われる可能性が高いというのは、あまり筋が良くありません。そもそも、「もめん」の分割であれば、記事名称は「日本の木綿」「日本における木綿」などとなり、「木綿 (日本の繊維)」となる可能性は低いですからね。それに、木綿からの分割と思われることはそもそも問題ではありません。「ゆう」でくれば曖昧さ回避、「木綿」でくれば「もめん」と、そもそも一発でたどり着く可能性は無きに等しく、たどり着いた先で誘導されているのですから考慮する必要はありません。執筆者としては、(糸)が他の表記に変わっても、執筆時に面倒になりますが本質は現状でも変わらないのではないでしょうか? 現状でも「ゆう」を「もめん」にリンクしてしまうような人は、(**)がどう変わろうとも「もめん」にリンクしてしまうでしょう。まして、「もめん」について書くときに「木綿」ではなくわざわざ「木綿 (**)」とする理由があるでしょうか? 「もめん」を書くに当たって誤って「ゆう」にリンクされる事例はむしろ現状の(糸)の方が可能性は高いのですが、そのような事例がどれほどあったのかな? と思います。
(**)の現在まで出されている案に不満があるのであれば、よりよい曖昧さ回避の識別子を模索するべきであり、そこを放棄して「木綿(ゆう)」に特権を与えることで、中立的ではなく日本語として問題のある対処です。どうしても待てないし案も出ないなら不十分な案と考えても何らかの案をとるしかありませんが、その種の事情は無いと思われます。(妥当な曖昧さ回避ではありませんが)このままのんびり待つべきであって、強引な移動で処置すべきではありません。
ここまでで、もう一つ思いついた案があります、それは「木綿 (コウゾ属)」です。カジノキもコウゾ属ですし、カジノキの存在で使えなくなった「木綿 (コウゾ)」の延長線上の案としてこれも選択肢の一つになるのではないかと考えました。
「曖昧さ回避を辞書にしない」とは、同音で引かれる物のルーティング機能を持たせてはならないと言うことではありません。辞書的な定義の羅列にしないという意味なのです。ゆうを名に持つ人名をずらずら並べればそれは「連想ゲーム」でしょう、「ゆう」の語源や発音ばかり書いてルーティング機能がなければそれは辞書でしょう。しかし、ルーティング機能を持たせることすなわち曖昧さ回避機能を持たせることは、曖昧さ回避の目的とするところです。
もし、「ゆう」を「音」としての側面を切り捨て「ひらがな」だけにしたいのであれば、全ての項目が削除対象でしょう。JRの列車は「リゾートエクスプレスゆう」であって、「ゆう」ではない。バンドメンバーは、カタカナ等々……。このように解釈するのであれば、Bistaさんが言われるように曖昧さ回避自体不要ですが、それはここでやっていいことではありません。Wikipedia:曖昧さ回避の議論でしょう。ただ、そういった物を排除していくのはWikipediaらしくないなぁという感想はありますが。--open-box 2009年5月2日 (土) 10:02 (UTC)[返信]

コウゾ属については後として、とりあえず批判された点にだけ答えさせてください。
まず、Open-boxさんが重視する「第一義」は、辞書に固有のもので、百科事典の書法にはありません。なんでもよいので百科事典と国語辞典を並べて見比べてみてください。その上で、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを辞書にしないを読んでください。曖昧さ回避ページはたくさんの案内を出して辞書のようになることもありますが、それは偶然そうなるだけです。ですから、第一義が違うからという反対は成り立たず、それに絡めて中立性を云々するのは見当違いです。
分割記事の場合記事名が「日本の木綿」等になるはずだ、という論には、読者はウィキペディアの規則に精通する義務はないと指摘させていただきます。ウィキペディアのルールはウィキペディアの編集者が知っていればいいことです。読者は知らなくても直感的に使えるのが良い百科事典です。
かっこ内は、少し前まではほとんど考慮せずともよい要素でしたが、現在は検索窓に単語を入れると前方一致の記事が表示されるようになっています。今は、かっこ内を良いものにすれば、かっこ付きページにも一発で到達できる時代なのです。
執筆時のリンク先注意については、ご指摘のようにどの案でも配慮が必要です。ですから、どの案が優れているかの検討に影響を与える要素ではありません。
そして、「「曖昧さ回避を辞書にしない」とは、同音で引かれる物のルーティング機能を持たせてはならないと言うことではありません」に関連してお尋ねしたいのですが、Open-boxさんは同じような「同音で引かれるもののルーティング」で今記事になっていないもの(けんせいとう等)のひらがな記事を作っていきたいとお考えなのですか。そういう望みなら、それこそWikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:索引の改正として本格的に提案し、議論すべきだと思います。現在の「ゆう」、そしてOpen-boxさんが4月30日に挙げた例の中には、読者がわざわざひらがなで調べたりしないようなものまであります。Bistaさんと私は、Wikipedia:曖昧さ回避に照らして、それらは不要だと言うのです。(どこにどんな文で書いてあるか、逐一指摘する必要がありますか。)「リゾートエクスプレスゆう」は実際に「ゆう」とだけ書かれることがあり、Wikipedia:リダイレクトの短縮名・略称・通称にあてはまりますので、他との衝突がなければ「ゆう」→「リゾートエクスプレスゆう」のリダイレクトになるべきものです。それを削除すべきという理屈がどこから出たのか、Wikipedia:曖昧さ回避を変更する必要がどこから出てくるのは、私にはちょっと理解できませんでした。--Kinori 2009年5月7日 (木) 08:24 (UTC)[返信]
索引や目次としての機能を求められる曖昧さ回避と百科事典の本文に当たる各記事を一緒にしないで下さい。求められる機能から、ある程度辞書的に構成するのは必要な事であり、本文記事を取り扱うWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんを、そういった機能面の要請にまで拡大解釈することは妥当ではありません。Wikipediaの方針やガイドラインは本文記事のためにあるのであって、それを使いにくくするためにあるのではないのです。
Wikipediaが百科事典であると言うことに振り回されて、日本語であることを忘れるべきではありません。あくまで日本語版Wikipediaという一つの百科事典であるのですから、日本語として他を圧して問答無用で選択されるようなものでもなければ、仮名表記を特定の事物が占拠するのは妥当ではないのです。
木綿-日本の繊維で、日本国内のもめんについての記事に誤解されるという主張は、結論が先にあるアクロバティックな主張と考えます。ウィキペディアの規則に精通しない読者であれば、そも括弧を当てにはしませんよ。もちろん括弧が良くなれば一発で到達できる可能性は上がりますから、よりよい曖昧さ回避を求めるのはよいことです。ただ、私は前方一致の考え方そのものをあまり評価していないので(操作性が良くないので変な記事に行くことがあってあまり好きじゃない……)、そこは割引いてもらった方がいいのでしょうが。
現状、音で引かれている記事を廃止しようとするのであれば、それは曖昧さ回避自体を作り替え、「発音基準の曖昧さ回避は作らない」としなければなりません。もちろん、音基準で扱っている記事(あしモモ (曖昧さ回避)等)は全部解消ですね。あさしお朝潮の様に分けるか、先に挙げた例のようにまとめるかのいずれかにすることは『Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:索引の改正として本格的に提案し、議論すべき』なのですから、それを今回の改名の理由にすべきではないですし、それ以前に強引にひらがなの記事名を空き家にして「木綿」を持ってくるのはいくら何でもまずいでしょうと考えます。
曖昧さ回避で「ひらがな」以外を切り捨てる事を要求するなら、「ゆう」→「リゾートエクスプレスゆう」は成り立ちませんよ、「ゆう」ではなく、「リゾートエクスプレスゆう」なのだから。Bistaさんが主張するように安易に絞りをきつくすると言うことは、こういう異常事態に一歩ずつ近づいていくことなのですよと、例示したのですが伝わらなかったのでしょうか? 曖昧さ回避として、書かれることもあるという広げたレベルで判断するのであれば、「ゆう」→「リゾートエクスプレスゆう」は当然残るでしょうが、バンドのユウをなぜ上げたか、わかりませんか? 仮名文字の違いしか残らない、本来は列車よりも優先されるべき候補だからなのです。そうそう、音基準ならこの人(YOU (タレント))忘れるのはまずいですよね(一応歌手「ゆう」もいるらしいのですが、どの程度かわかりません)、こっちは関連項目にYouを足せばいいだけですが。それはそれとして、私は安易にきつい縛りをかけることは、利用者には害しか残らないと考えます。だから、『そういった物を排除していくのはWikipediaらしくない』と言っているのです。
現在ルーティングになっていない記事が、十分にその可能性を配慮すべきなら加えられるべきでしょう。少なくとも特定の事象が居座るよりは、同音異義語の曖昧さ回避を作る方が明らかにましです。そのような、緊急避難的対処を除けば「ひらがなWikipedia」ではないから要らないと考えるのもいいと思いますし、暴挙に備えて何らかの対処が必要ではないのか? ってのもありでしょう。しかし、安易にWiktionaryに逃げるのは、これもどうかと思うのです。たとえば「せいとう」(なお「けん」は、付け合わせと楽器が漢字を使えないので辞書的かどうかを考えるまでもなく埋まりますと、いらん突っ込みを)ですと、赤リンク相当→Wiktionary→そこから各ページ&赤リンク→Wikipediaに戻る……。この事態は「ウィキペディアは辞書ではありません」の拡大解釈により利用者に不便を押しつけている事例だと思います。曖昧さ回避が存在すれば、曖昧さ回避→そこから各ページで済むのですから、一度考えた方が良いのかもしれませんが、それもまたここでやることじゃないでしょう。--open-box 2009年5月8日 (金) 16:34 (UTC)[返信]
図書館に行って紙の百科事典を見てください。ほとんどのものは、五十音順で配列し、ひらがな・カタカナを項目名に入れるところまでは、辞書と同じです。辞書はそれによって同音の語をすべてカバーしますが、百科事典は自ら項目として立てて解説するものだけを並べます。平凡社の世界大百科事典なら中国史に出てくる「邑」と「由宇町」だけ。小学館の日本大百科全書なら「木綿」と「由宇町」だけです。そうした百科事典が日本語として問題がある、と感じるのは、Open-boxさんだけだと思います。普通の人は、辞書を引くべきだと思いなおすのです。なんでもいいから辞書を引けば、そこにはまさにOpen-boxさんが求める方法で「ゆう」という語の意味が書かれています。
 こういう事実が一般常識としてあるのに、「ウィキペディアを辞書にしない」「曖昧さ回避を辞書にしない」という方針は、(「発音基準の曖昧さ回避は作らない」と重ねて書かれていない限り)実は「ひらがな項目を辞書にする」ことを意味するのだ、と主張されるのは、どう考えてもおかしいです。ひらがな項目を辞書的にする意図があるなら、むしろ「ウィキペディアは辞書でもある」「曖昧さ回避は辞書でもある」と書かれなければなりません。
 Open-boxさんは、記事本文のためには方針やガイドラインは無視せよと言いますが、方針はみなの合意としてまとめたものであり、まずは守るべく努めるものです。隙をついて裏をかくような読み方をしていいものではありません。実際、日本語版発足以来何年もの間、我々は読み仮名だけのリダイレクトや曖昧さ回避を作成せず、索引ページを作ってやってきました。ひらがな記事を索引の代用にしてしまうというアイデアが、「辞書ではない」という方針のために抑制されてきたことは、ウィキペディアでの経験が長いOpen-boxさんなら先刻ご承知のことだと思っていたのですが。ついでながら、記事本文は、たとえばこの記事なら歴史や民俗について調べて書くことによって発展するのです。曖昧さ回避ページの行数を増やし、本体記事を押しのけることは、記事本文の発展と何の関係ありません。
 それと、いろいろ例を挙げてくださったものの多くが、例としての意味をなしません。方針を杓子定規に適用すると消されるものか、あるいはKinoriらの意見を適用すると消されるものとして、様々な例を挙げ、それはおかしいと言おうとしたのだと思いますが、違いますか。それにあてはまるのはあしだけです。モモ (曖昧さ回避)にはモモ (児童文学)モモ (会社)モモ (料理)があり、あさしお朝潮と同様に、正式名称の記事を並べた普通の曖昧さ回避です。「ゆう」→「リゾートエクスプレスゆう」は略称・通称として必要になると申し上げたのに、なぜかその説明を無視して「曖昧さ回避で「ひらがな」以外を切り捨てる事を要求する」話にしています。誰かそんな基準を持ち出しましたか。私は「読者がわざわざひらがなで調べたりしないようなもの」を切り捨てる事を要求しています。略称、通称としてひらがなが用いられているなら、まずリダイレクトを考えるべきであり、その結果他記事との衝突が起きる場合に、曖昧さ回避に入るのです。方針文書や、相手の意見をきちんと読んで理解してから批判していただきたいです。
 見当違いでない例について答えますと、「GO!GO!7188のギター・ボーカルのユウ」については、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避すべきものに、「執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません」とあります。独立記事になったとしても、リダイレクトになるべきものが、千年以上の歴史を持ち「木綿以前」を語るときに外せない木綿(ゆう)と平等な扱いとは思えません。「リゾートエクスプレスゆう」ともどもotherusesにするか、ゆう (曖昧さ回避)に追い出せば良いでしょう。独立記事があるYOU (タレント)については、本当にひらがなの「ゆう」が通称としてよく使われているなら、やはりリダイレクトとしての存在意義はあるので、同様にします。それが方針にそったやり方のです。--Kinori 2009年5月16日 (土) 08:46 (UTC)[返信]
異なる意見を出されて、『隙をついて裏をかくような読み方』と、他人を侮辱するとは……。もし、これが侮辱にならないと思っているなら甘いです。権限を託されている管理者は、平生より慎重でなければなりません。相手を侮辱してもいいなら、Wikipediaは侮蔑で満ちあふれますよ。なぜその様にすべきなのか、いかにあるべきなのかを考えるよりも、衆を頼み悪口雑言並べ立てて議論を破綻させて力尽くで進める方が容易なのですから。しかし、それはWikipediaとして良い事態ではありません。ですから、その種の議論を破綻させる行為を行わないようにするものです。
このような状況である以上、合意は形成できないでしょうし、どこまで行っても平行線でしょう。だからといって議論成立せず、改名不成立ではまた同じような議論になりますから、進展を図るため、コメント依頼を提出しました。
これ以上継続するのも何ですが、放置できませんので。
百科事典の索引については、Kinoriさんの説明とは異なる事象です。紙であれば結果が「読みがな**」-「対象@@」となるから、「かな」で引いているという意識がないのであって、現実に行われていることは、「読みがな」による検索です。ここでWikipediaの場合と言うよりも漢字仮名変換を有する環境の場合、簡単に漢字が出てきますから、「音」で引いているという意識はなくなります。これは、検索者の頭の中で「かな」→「漢字」というプロセスを飛ばして、漢字による検索を行うためです。また、読みがわからずとも綴りはわかっている場合もありますから、漢字による曖昧さ回避が行える事は、漢字仮名変換を有する環境の利点と言って良いでしょう。
だからといって、検索候補としてひらがなが放り込まれる可能性がないとは出来ません。この点を考慮したとき、読み仮名による項目を排除することは「辞書ではない」という方針が暴走しているのでは無いか? と私は危惧します。
なお、索引ですが、機能しているとはちょっと考えにくいです……。例えば、検索窓に「せいけん」と入れたとしましょう。正しく索引が機能しているなら、Wikipedia:索引 せいけが検索の頭に出てくるべきですが、Wikipediaにチェックを入れ標準を外さなければそうなりません。これでは曖昧さ回避の代用とはなりません。また、索引が万全かと言いますと、残念ながら「記事がある物」かつ「読み仮名として認識できた物」という弱みがあり、万全とは言えません。この点、編集・利用が容易な曖昧さ回避には一日の長があります。ウィクショナリーもありますが、ウィクショナリーには利用者に迂回路を採らせるという欠点があります。
「辞書ではない」という方針を日本語版が間違った運用をしているのではないか? という指摘ですから、今の運用が正しいと考えるKinoriさんが、『ガイドラインを無視』ではないのかと考えるのは、問題ないでしょう。ですがそれを、『隙をついて裏をかくような読み方』と真っ向から侮辱されるようでは、対話は成立しませんね。私は、ガイドラインの解釈や運用が、誤解や拡大解釈に基づいているのではないのか? と言っているのですよ。
『我々は読み仮名だけのリダイレクトや曖昧さ回避を作成せず、索引ページを作ってやってきました』としていますが、Kinoriさんが作成しないことはご自由ですが、KinoriさんとKinoriさんの同調者だけでWikipediaは作られているのではありません。現実に存在している曖昧さ回避はその様になっていないことは示しましたが、利用者に不便を課すことになろうとも、現実に存在するリダイレクトや曖昧さ回避を全て変更して良いと考えるのですか? それでは、方針を盾にした破壊行為になりませんか?
モモ (曖昧さ回避)については、桃も百々もモモではありませんよ。それを全部正式名称とはどういう事ですか? Kinoriさんの意見ならモモ (**)以外は全て削除して、桃 (曖昧さ回避)百々に分けなければなりません。にもかかわらず、モモ (**)だけを並べ立てて『正式名称の記事を並べた普通の曖昧さ回避』とするとは、見落としでは済まされません。そして、このような発音同居型と、あさしおのような細分化型の曖昧さ回避が両方とも存在するという事実を元に曖昧さ回避のノートで議論を進めるべきであって、この記事を改名するために発音同居型の曖昧さ回避記事の削除を持ち出すのでは、本末転倒です。
制約を高めることがどのような事態につながるのかという話に対して、『「曖昧さ回避で「ひらがな」以外を切り捨てる事を要求する」話』と限定するとは、人の意見を読んでいないのですか? 後半を『見当違いでない例』とする時点で、『見当違い』もいいところです。その部分の本質は、曖昧さ回避の制約はいかにあるべきものなのか、そしてその話題はこんなところで扱って良いのかと言うことを、単なる制約の話と読み違えた物を説明しているのですから、説明を得てなお、誤った解釈を前提として続けるのでは、意思疎通が成り立ちません。
繰り返しになるようですが、曖昧さ回避が持たざるを得ない辞書的な性格と、これに矛盾する「曖昧さ回避を辞書にしない」の関係をどうするのかは、個別記事のノートで、限られた参加者が決めて良いことではないのです。最低限つきあうなら、『単なる定義のリストにしたり、語源や発音を書いたりして辞書のようにしてはいけません』とはありますが、そこに曖昧さ回避のために必要な説明を与えてはならないとは全く記載されていない事を考えるべきです。
『曖昧さ回避ページの行数を増やすことが、本体記事を押しのける』とは、成立しない論点です。曖昧さ回避がどのような分量になろうとも、個々の記事の本文には影響がありません。それを本文記事を押しのけると考えるのは、「木綿(ゆう)」が本文記事でなければならないという前提がなければ成立しません。曖昧さ回避は曖昧さ回避、個別記事は個別記事であって、これらは異なる物です。曖昧さ回避の変遷が本文記事に影響を与えることはありません。せいぜい、記事名に曖昧さ回避が付くか、それとも曖昧さ回避を(曖昧さ回避)にするかという程度のことで、曖昧さ回避の他の候補が弱ければ(曖昧さ回避)になる可能性が上がるでしょうが。
さて、延々と繰り返した上の議論ですが、実は改名とは余り関係がありません。この改名に置いて大きな問題点は、「木綿」で行くべきなのか「ゆう」で行くべきなのかであって、曖昧さ回避を動かすかどうかというのは、本当はまた別の話であり、「ゆう (**)」に移動してから曖昧さ回避で議論というのも「ゆう」の一案として考慮した方が良かったのではないでしょうか。
最後になりましたが、木綿(ゆう)が「ゆう」になることは良い解決法では無いと考えます。この記事は、「木綿」と「表記」され、「ゆう」と「発音」される物についての記事である以上、あくまで読み仮名に過ぎない「ゆう」を記事名とすること自体に無理があり、「ゆう」の主たる記事になることは、さらに問題と考えます。「木綿(ゆう)」がどれだけの歴史を持っていても、それは「木綿(ゆう)」としての価値であって、「ゆう」としての価値ではないのですから。しかも、少し考えただけの私ですら、二つも曖昧さ回避の候補(コウゾ属)、(日本の繊維)を出せましたから、「ゆう」が最適と考えるのは、一足飛びに「ゆう」という結論に飛びついて、他の結論の可能性を顧みていないのではないだろうか? と私は大変疑問に感じます。--open-box 2009年5月16日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
なお、先の要約では対話拒否を確認としましたが、対話拒否の意図がないなら、その意図がないと一言お願いします。残念なことですが、このままでは私としては対話する気がないのではないだろうか? と考えざるを得ません。平行線なら平行線でよいのですが。--open-box 2009年5月16日 (土) 16:48 (UTC)[返信]

侮辱や対話拒否と言われるのはまったく心外ですが、コメント依頼については私も必要を感じていました。Wikipedia:コメント依頼/kinoriとopen-boxを出して、議論のやり方について他の方々の意見をいただきたいと思います。ここでは、そこで取り上げない細部について指摘させていただきます。

モモについて。open-boxさん自身がはじめに「モモ (曖昧さ回避)などは全部解消ですね」と書きました。その言葉に対して私は、全部解消にはならないのだから見当違いだと答えたのです。後になってリストの一部に限るのは、open-boxさんの前後矛盾です。私の見落としのせいではありません。

open-boxさんが、一般論として「制約を高めることがどんな事態につながるか」を想定してそれについて論じたことはわかりました。それは私の読み違いですね。それに関連して、あさしおについても読み違えました。お詫びします。しかしなぜ、誰も支持していない極論を想定して議論するのでしょうか。誤解を解いて読み直してみると、open-boxさんが「ひらがなの曖昧さ回避の全廃・削除」という説に反駁している箇所は他にもありますね。ひらがなの曖昧さ回避の全廃か、さもなくばひらがな項目を辞書にすることを許容するか、という二択は、open-boxさんが独自に設定したものです。もう一つ、Wikipedia:曖昧さ回避にのっとって作ったり作らなかったりする、という中道があり、私はそれを支持しているのです。Wikipedia:曖昧さ回避にはどういう場合に載せるのかについて様々に書いてあるし、それがWikipedia:リダイレクトと連動する場合については私が指摘しました。他の人にしても、何の基準もなく制約を高め、行きつくところまで行ってみよう、というような発言はしていないと思います。

記事本文について。まず初めにopen-boxさんが、ウィキペディアの方針は記事本文のためにあると書きました。それに対して私が、曖昧さ回避をいくらいじっても記事本文のためにならないと指摘したのでした。この議論が本文の改善と無関係だということで我々の意見が一致するなら、それで良いです。

それから、別の記事にもあるじゃないか、という論法は、ウィキペディアでよく聞く理屈ではあります。確かにウィキペディアにはたくさんの方針に反した記述がありますが、それによって既存の方針が廃止になったり無効になったりするわけではありません。曖昧さ回避でよくあるのは、はじめは正当な曖昧さ回避として作られたページに、便乗してずらずらと余計なリストがぶらさがって長大化する現象です。それは珍しくもないが、正当でもありません。気づいたとき、気づいたところで、やる気のある人が一つ一つ改善していくことが求められる、というだけです。--Kinori 2009年5月19日 (火) 02:43 (UTC)[返信]

誰も支持しないことであることに問題はありません。事態を想定するのですから、この場で誰かが支持しているかどうかに意味はないのです。極端な事例を想定して、そこからアプローチを始めるのは、問題解決の手法の一つです。
どうも伝わっていない気がしますねぇ。「モモ (曖昧さ回避)などは全部解消ですね」ということは、「あさしお」の様にさらに「表記」で細分化していくことになりますねと言うことですよ? 実態は、「モモと桃と百々」であるような同居型は、「あさしお」のような分離型と併存している。この記事を動かすために、同居型を廃止するかのような曖昧さ回避の解釈を個別記事で決めるべきではない、それは全体でやるべき事であると言っているわけですが、伝わりませんか?
二択ですが、ここで「曖昧さ回避を辞書にしない」を掲げた時点で、二択を作ってしまっているのです。素直に、曖昧さ回避の候補にこの記事より優越する物が、「ある」か「ない」かに絞るべきであったと思います。
「作ったり作らなかったりする」という中道を支持するなら、曖昧さ回避を狭める主張をすべきではありませんし、人の意見(緊急避難的に作ってもいいけど、そもそも存否を問うなら全体的な議論をすべき)は、度外視ですか。なお、本来の意図にかかわらず辞書的と主張した時点で、中道のつもりが同表記限定に振ってしまうことになりかねません。このたび意図を説明されるまでは全面廃止派として扱うしかありませんでした。
曖昧さ回避を整えることは、利用者が望む記事へたどり着きやすくするという点で、記事のためになるとは思いますが、これは記事本文とは別ですね。
「それなら別の記事にもあるじゃないか」は、実態を考慮せずに提案を押し通すときにも良く聞かれる意見です。「Aを削除したんだからこれも削除」という形を取ることが多いのですが、これらは自ら主張する場合以外は、「相手の意見は、別の例を持って正当化しようとしている」というレッテル張りですよ。この論法はなるべく回避すべきです。
これは、「正当な曖昧さ回避」のあり方そのものの問題かもしれません。何を曖昧さ回避するのかというところなので、作った人は正当ではないと思っても、付け足す人は正当と考えているでしょう。Kinoriさんが想定する単にあるから足しちゃえという人もいますし、逆に機械的に消してしまう人もいます。ここで問題なのは、削除と加筆は対等ではないことです。加筆にはそれなりの意図や意味がありますがそれなりに時間を使うのに対して、消してしまう人は一瞬で終わります。それを考えたとき、削除は安易な対処ではないかとも考えるのです。そういう曖昧さ回避は適宜分けて行くのもありだと思います。--open-box 2009年5月19日 (火) 09:51 (UTC)[返信]

コメント依頼提出後[編集]

長いので節を作ります。--open-box 2009年5月16日 (土) 16:41 (UTC)[返信]

  • 「木綿 (糸)」が問題であり、改名が必要であることは合意が取れていると考えます。
  • 改名候補について合意を模索している状況で、「木綿」と「ゆう」の案が存在します。
  1. 「木綿」案は必ず曖昧さ回避が必要です。
    1. (日本の繊維)は、日本の「もめん」についての記事と混同する恐れが指摘されています。
    2. (コウゾ属)は、(コウゾ)で対応できないカジノキに対応させています。この段階で反応はありません。
  2. 「ゆう」案は必ずしも曖昧さ回避が必要ではありません。
    1. 「ゆう」に移動して現在の「ゆう」を「ゆう (曖昧さ回避)」に移動する案です。曖昧さ回避としての「ゆう」がカバーする範囲と、「木綿(ゆう)」を「ゆう」として記事にすべきかという2点が問題です。

以上、ざっとしたものですが、個人的にまとめてみました。--open-box 2009年5月16日 (土) 17:17 (UTC)[返信]

  • コメント 私感として一番わかりやすいのが、しょっぱなに否定された「木綿 (ゆう)」なんですけど……。読みでなく繊維の実質を表す表現ということで、認めて頂くわけにはいかないんでしょうか。どうしてもだめなら、次善の策としては「木綿 (コウゾ属)」でしょうか。上の長文の議論では、結局この名称の良しあしについてはほとんど論じられてませんね。「木綿 (コウゾ属の繊維)」の方がよりわかりやすい気がしますが、カッコ内があまり長くなっても使いにくいですし。「ゆう」は、それでいけないとは言いませんが「木綿」系に比べると検索のときに思いつきにくい=利便性で劣る気がします(主観ですが、ここを利用する人はまず漢字での検索を試みると思うので)。仮に「ゆう」系にするなら、「ゆう (木綿)」にするのが一番わかりやすい気がします。--Arawodas 2009年5月19日 (火) 04:12 (UTC)[返信]
  • コメント 表記揺れがあるようですが「木綿 (樹皮繊維)」がいいと思います。johncapistrano 2009年5月19日 (火) 04:59 (UTC)[返信]
  • コメント「コウゾの木の皮の繊維を蒸して水にさらし、ほぐして作られた糸」を指すものは、「木綿」であり ゆう と読むのと、「ゆう」であり漢字では木綿と書くのと、どっちが妥当という理由があるのか、どっちが一般的という共有された感覚があるのか(詳しいわけではないけど、「絹」なら前者、「ひまわり」なら後者、理由があるものとして「サクラ」というようなところを想定しています)。前者なら「木綿」、後者なら「ゆう」で対応を考えることになります。
    • 「木綿」の場合、1.記事名は正式名称、2.かっこ内は分野、が原則だとするならば、これらの原則を超えた事例として、便利なもの、わかりやすいものを選べばいいと思います。「記事名の付け方」上の「正式名称に読み仮名を併記したもの」ではなく、正式名称=木綿を採用し、読み仮名を曖昧さ回避に用いたものとして「木綿(ゆう)」も候補として考えられると思います。「木綿(ゆう)」が最適という意見が多いなら、それでいいんじゃないかな。
    • 「ゆう」だと、曖昧さ回避の意味合いについての議論を待たざるを得ないように思います。--Ks aka 98 2009年5月19日 (火) 10:03 (UTC)[返信]
  • コメント振り出しに戻ってしまいますが、上記お二方のご意見に勇気づけられましたので、当方も「木綿 (ゆう)」が最適ではないかとの愚見を表明させていただきます。
    1. どうも「ゆう」に対しては「木綿」という漢字で表記するのが一般的じゃないかと思われ、「木綿」を排してまで「ゆう」を項目名にするのはどうかと思うため、項目名としては第一に「木綿」を掲げるべきではないか(議論を見直して気づいたのですが、当方が「ゆう」案のいいだしっぺですね・・・すいません)
    2. 括弧内が分野を表すものであれば「繊維」という情報は欠かせないのではないか(卑見では「(コウゾ)」とすると、植物の種類であるとの誤解を与えそうな気がします)
上の場合、もしも特例が認められるのであれば「木綿 (ゆう)」に如くはないのですが、将来「読み仮名併記」として、改名提案を経ずに(つまりここのノートを見ずに)改名されてしまう可能性もあります。そこで、括弧内には「日本の繊維」や「コウゾ属の繊維」や「樹皮繊維」のように「○○の繊維」とするしかないと思います(現段階では最後者に惹かれます)。もっとも、即時改名を施されるにせよ、施行者が括弧内にどのような表現を用いるかには興味が湧きますし、分野名について考えを廻らした末に、結局他者の意見を求めるためにここのノートを使い、この議論に目を通してくれるのではないかとの希望的観測も持っています。で、ごちゃごちゃとごたくを並べましたが、つまるところ
  1. 「木綿 (ゆう)」
  2. 代案としては「木綿 (樹皮繊維)」などの「○○の繊維」系
かな~、と思います。--胡亂堂 2009年5月21日 (木) 09:56 (UTC)[返信]
  • コメント「木綿 (ゆう)」または「ゆう (木綿)」がわかりやすいと思います。たしかに「曖昧さ回避」の括弧内は分野別が原則ですが、この場合は例外としてもよいのではないでしょうか。また、手持ちの「新明解国語辞典」(初版)で「ゆう」を引くと、「古来の用字は、木綿」となっていることや、PCの日本語入力でも「ゆう」では「木綿」に変換されないことなどから、項目名をひらがな表記とするのもあると考えます。この場合は曖昧さ回避にしても括弧内は分野的ですし、むしろこっちの方が問題が少ないかもしれません。--みっち 2009年5月22日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
  • コメント「木綿 (ゆう)」の「ゆう」の扱いとして、例外とするという明快な解決法がある事を見落としていました。さらにArawodasさんの意見のように「ゆう」自体が「読みでなく繊維の実質を表す表現」という考え方も出来るのですね。その2点から「木綿 (ゆう)」への改名も十分にありだと考えます。「樹皮繊維」もいいですね。「木綿 (ゆう)」が無理なら、こちらでしょうか。--open-box 2009年5月29日 (金) 02:55 (UTC)[返信]
  • コメントこの「木綿」を探している人がきちんとたどりつける、別の「木綿」を探している人が間違って迷い込むことがない、という点では、「木綿 (糸)」、「木綿 (日本の繊維)」は失格で、その他提案されたものはみな合格だと思います。あとは微妙な有利、不利の比較考量になります。木綿についてはわかりませんが、和紙業界では特に区別する必要がなければ現在でもカジノキまで一括してコウゾと呼んでいるようです。他の百科事典・辞書を見ると、カジノキへの言及なしに木綿は楮から作るとあるので、「木綿 (コウゾ)」が不可ということはないでしょう。「木綿」が多いか「ゆう」が多いかということなら、木綿の方が多いです。「ゆう」を主にした用例は、ウェブ上に[1][2]などありはしますが、木綿と書くほうが多いです。自分の感覚では木綿 (ゆう)木綿 (コウゾ)ゆうゆう (木綿)がそれぞれ簡潔明快で良いと思います。ゆうゆう (木綿)にするなら、現在の曖昧さ回避ページをゆう (曖昧さ回避)に移動するかどうかの議論を続ける必要がありますが、他の方々が「木綿(ゆう)」でよいなら自分はそれに賛成します。--Kinori 2009年5月29日 (金) 08:18 (UTC)[返信]
消極的な賛成まで含めると、木綿 (ゆう)でかなり広い合意ができそうですが、それでまとめていいでしょうか。--Kinori 2009年6月7日 (日) 01:05 (UTC)[返信]
賛成 反対がございませんし、合意形成と判断してよろしいかと存じます。--胡亂堂 2009年6月7日 (日) 08:50 (UTC)[返信]
木綿 (ゆう)への移動を完了しました。議論に参加してくださった皆様に、あらためて御礼申し上げます。--Kinori 2009年6月16日 (火) 01:59 (UTC)[返信]